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半歩 ~守・破・離 短き刃 長き道~  作者: 止水


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外伝 残るもの ー断片ー

道場の静けさの中。


橘 一は、正座していた。


正面には、湊川宗家。

綾は、そのやや後ろに控えている。


宗家は、目を閉じた。

「……そうか」


短い言葉。

それだけで、十分だった。


そして

「この度は、心よりお悔やみ申し上げる」

静かに、そう告げる。



一は、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」



再び、沈黙。




宗家が、ふと綾に視線を向ける。

「綾」

「深江殿を、お呼びしなさい」


わずかに、間。


「…はい」

「深江殿ですね……」


綾は一礼し、静かに道場を出ていく。


襖が閉まる音。


残されたのは、二人。


重くはない。

だが、軽くもない沈黙。


やがて――


襖が開く。


「お呼びと聞いて――」

還暦を超えているであろう男性が、一の姿を見て――止まる。


そして。

顔が、崩れた。


「……おお」


驚きと。

それ以上の何か。


「……おお、そうか……」


一歩、近づく。


目を細める。


「宗一郎殿の……」


わずかに戸惑いながらも頭を下げる。

「橘 一と申します」

「はじめまして――」


「いや」

即座に、否定が入る。


深江殿は、笑った。

「初めてではない」


一瞬。


空気が止まる。


「……え?」

一の目が、揺れる。


深江殿は、どこか懐かしむように言う。

「お前さんが、まだ歩けもしない頃だ」

「宗一郎に抱えられてな」


一は、言葉を失う。


記憶に、ない。

当然だ。


「……本当、ですか」

思わず、宗家を見る。


宗家は、静かにうなずく。



それだけ。

確定する。


綾が、わずかに目を丸くする。

「……そうだったのですか」

小さな驚き。


だが、すぐに落ち着く。

一は、言葉を探す。

「申し訳ありません……全く、覚えておりません」


深江殿が、ふっと笑う。

「そうだろうな」


一の視線が、わずかに落ちる。

「父は……」

そして、上げる。

「なぜ、ここへ通っていたのでしょうか」


問い。

まっすぐな。



宗家は、首を横に振る。

「その事に関しては先代しか存じていない」

あっさりとした答え。


一の目が、わずかに揺れる。

「……」


「理由を聞いたことはない」

宗家は淡々と続ける。


「裏門より、来て、立ち、帰る」

「それだけだ」


沈黙。


そのとき。

深江殿が、口を開く。

「俺は、何度か一緒に…」


一の視線が向く。

「鍛錬もしたし――」


「試合もした」


わずかに、空気が変わる。


綾が、静かに聞いている。


「……どういう方、だったのですか」

一の声は、少しだけ低くなる。


深江殿は、少しだけ考え――


言葉を選ばずに、そして笑い顔で言った。

「鬼だな」


一瞬。


理解が止まる。


「……鬼?」


「ああ」


深江殿は、遠くを見るように言う。

「心に鬼を持っていたな…」

「常に、な」


一の指が、わずかに動く。


「同時に、妙に静かだった」

「場を乱さない」

「いや――」

「場に溶けていた」


「いるのに、ぶつからない」

「いるのに、消えている」


言葉が、ゆっくり落ちる。

「自然と、調和していた」


沈黙。


一は、息を吸う。

「……私の知る父は」


言葉を選ぶ。


「穏やかな人でした」

「怒ることも、ほとんどなく」

「……まるで、空気のような」


その言葉に。


綾が、わずかに視線を上げる。


「……私も幼い頃の記憶ですが、」

静かに言う。

「とても、穏やかな方でした」 


柔らかな記憶。


深江殿が、小さく笑う。

「そうか」


「そこにたどり着いたか…」


どこか、納得したように。

どこか、羨ましそうに。


「……なら」


深江殿の目が、一を見る。


「そこまで行けたんだろうな…」


意味は、すぐには分からない。


だが。

言葉は、残る。


一の中に。

断片として。


鬼。

調和。

空気。


父は、どこにいたのか。

何をしていたのか。


そして――

何を、残したのか。


ーーーーー


「一殿…」

深江が口を開く


「初めて宗一郎が此方へ来られたとき…」


一は深江を見る


深江は、言葉を選んでいた


「… 死を覚悟され正門の前に立たれていました…」


一も綾も、驚く


「そして私と…試合いました…」


御宗家も静かに聞いていた…


「何を話されていたかは存じませんが、…」


少し 間をおいて…


「その後、私は御宗家の名を受け本住吉一刀流…」


深江は再び一を、見て

(懐かしいなぁ…)


「本住吉流に御前演武の取りを任せる手紙を届けた…」



「あの本住吉流ですか?」

綾が深江に尋ねる


「そうだ 」


「では、本住吉流に伺いして…」

話の途中で深江殿が言葉を遮る


「それは止めたほうがよい…」

「本住吉流の古参者は、今も橘殿を恨んでおられる」


「宗一郎さまが?」

「恨まれる?」

一が尋ねるより先に綾が深江に尋ねる


身を乗り出し深江に迫るように問い正す…


ーーーーーー


夜。


直伝夢野道場は、すでに静まり返っている。


灯りは落とされ、月の光だけが床を淡く照らしている。


その中央に――

橘 一は、座っていた。


宗家の言葉。

深江殿の言葉。

綾の言葉。

すべてが、頭の中で交錯している。


(何を)

問いが浮かぶ。


だが。

答えがない。


深江殿も

本住吉流とのことについては

口を開かなかった


ーーーーー


手が、わずかに動く。


木刀に触れる。


その重さ。


これは、

ただの、木だ。


(父は……)


穏やかな背中。

静かな声。


何も教えなかった。

何も残さなかった。


胸の奥で、何かが沈む。

「――無意味だ」


ぽつりと、こぼれる。


その言葉は、軽くない。

自分に向けたものだった。


「残すものなど、ない」

言い切る。


その瞬間。

どこかで、何かがほどける。


力が抜ける。


「……やめよう」

小さく、呟く。


剣を。

考えることを。

残すことを。

すべて。





「やめるのは、勝手ですが」


声。


顔を上げる。


綾が、立っていた。


いつからいたのか、分からない。


月明かりの中で、静かにこちらを見ている。


一は、少しだけ視線を逸らす。


「……聞かれていましたか」


「はい」

否定しない。



綾は、歩み寄る。


木刀を見て。

そして、一を見る。


「残すものが無いと、思われたのですね」


「……はい」

素直な返答。


もう、取り繕わない。


「もう、技は残らない」

「術にも意味はない」


ゆっくりと。

言葉を確かめるように。


「ならば――」


顔を上げる。

「何のために、残すのですか」


真っ直ぐな問い。


綾は、少しだけ考えて

木刀を、一本取る。


「橘様」


静かに言う。

「少しだけ、お付き合いください」



ゆっくりと立ち上がる。


木刀を取る。

構える。


綾が、動く。


ゆっくりと。

間合いに入る。


一も、動く。


触れる距離。


だが――

打たない。


そのまま。

すれ違う。


何も起きない。


静かな通過。


やがて、止まる。


背中合わせ。


「……今のは」


綾が、言う。

「何も残りません」


一は、黙っている。


分かっている。

何も起きていない。

何も残っていない。


「ですが」

綾が、ゆっくり振り返る。

「今ここに」


一を見る。


「衝突は、ありませんでした」


一の目が、わずかに動く。


「それは」


言葉を選ぶ。

「残らないもの、です」


一拍。


「ですが」

「無かったことには、なりません」


沈黙。


理解は、まだ届かない。


だが。

言葉は、残る。


「橘様は」


綾が続ける。

「ここで、多くを残してはいません」

「技も、術理も」

「言葉すら」


一の指が、わずかに動く。


「それでも」

「ここでの…橘様…宗一郎様の後に」

「争いは、残りませんでした」


静かな断定。


一の中で、何かが引っかかる。


「……それが」

絞り出す。

「残したもの、ですか」


綾は、少しだけ考える。


そして。


「分かりません」

否定する。


一瞬、空気が止まる。


「……分からない?」

「はい」


まっすぐに。


「ですが」

わずかに、目が柔らぐ。


「それでも残っているものを」

「私は、今も見ています」


一は、言葉を失う。


説明されない。

定義もされない。


否定もされない。

ただ――


委ねられる。


(……何だ、それは)


分からない。


だが。


完全には、切れない。

さきほど捨てたはずのものが。


まだ、ここにある。


胸の奥に。


「橘様」

綾が、静かに言う。


「残す理由が分からなくても」


一拍。


「静かに消えずに…在り続けるものも、あります」


月の光に残花が、揺れる。






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