閑話 約束 ー呼吸困難ー
学園の片隅。
春日は、いつになく真剣な顔で座っていた。
向かいには――澪。その横には雪。
澪は、春日が用意したカフェオレを飲んでいる。
春日が口を開く。
「……澪先輩」
「ん?」
「折り入って、ご相談があります」
「今回も相談料はカフェオレかい? まあ、いいよ。何?」
一口。
雪は何も言わない。
我関せず、といった様子で、静かに座っている。
春日は、少しだけ間を置いてから言った。
「弓場さんと、カフェに行くことになりました」
「ふーん」
無関心。
「それで?」
「どうすればいいですか?」
ぴたり、とカップが止まる。
「……は?」
澪は、ゆっくりと春日を見る。
雪の肩が、わずかに揺れる。
「いや、ちょっと待って」
一拍。
「なんで私に聞くの?」
「今回のような場面は、経験豊富かと」
「なるほど」
即答。
雪は、すっと横を向いた。
春日は、真正面。真剣だ。
「もともとは、お礼として私が奢る予定でした」
「うん、知ってる」
「ですが、今回、弓場さんとの組手で貸し借りはなくなりました」
「うん」
「なので、これは“純粋なカフェ”になります」
「純粋?……何それ」
澪は、呆れたようにため息をつく。
「で?」
「何を話せばよいのか」
「そもそも、どう振る舞えばよいのか」
横を向いている雪の肩が震える。
澪は、しばらく黙る。
そして――
「……春日」
「はい」
「それ、全部わかんないの?」
「はい」
即答。
澪は天を仰いだ。
「マジか……」
小さく呟く。
(こいつ、対人戦闘は強いのに、対人会話は初心者か……)
雪は顔をそむけたままだ
一拍。
「まずね」
カップを置く。
「カフェってのは――」
少しだけ、真面目に言う。
「飲み物飲んで、適当に話す場所」
「そこは、分かるのですが……」
今にもメモしそうな勢い。
「“適当”ね」
「深く考えない」
「はい」
「気楽に」
「はい」
「以上」
雪の肩が、大きく揺れる。
「……それだけですか?」
「それだけ」
即答。
春日は、少し考える。
「しかし」
「何?」
「“適当”というのが、全く分かりません」
「そこ?」
澪は軽く頭を抱えた。
「じゃあ、具体的にいこう」
「はい」
「まず、注文する」
「はい」
「飲む」
「はい」
「で、会話する」
「はい」
「内容は?」
「適当」
「……」
春日は、完全に止まった。
澪は、ニヤっとする。
「まあ、冗談は置いといて」
(半分本気だけど)
雪の肩の震えが止まらない。
「普通はね」
澪が指を立てる。
「相手の話を聞く」
「はい」
「興味を持つ」
「はい」
「適当に相槌」
「はい」
「たまに質問」
「はい」
「以上」
「なるほど」
春日は、深く頷いた。
(大丈夫かこいつ)
澪は、少しだけ不安になる。
雪から、漏れるような笑い声。
「あと」
「はい」
「変なこと言わない」
「変なこと、とは?」
「空気読めってこと」
「空気……」
春日は、遠い目をした。
「読めません。無理です」
「だろうね」
即答。
雪が、何かをこらえて苦しそうにしている。
「じゃあ、もう一つ」
澪は、少しだけ悪い顔になる。
「褒めとけばいいよ」
「褒める」
「そう」
「例えば?」
「かわいい、とか」
「……」
春日が、完全に固まる。
「言えません」
「なんでよ」
「事実確認が必要です」
「いらないから」
「曖昧な評価は危険です」
「うるさい」
澪は、思わず笑った。
雪もつられて、笑いを漏らす。
「じゃあ、別の言い方」
「はい」
「“面白い人ですね”」
「それなら可能ですが……」
「うん」
「面白い人は、よく言われています」
「あー……なるほど、納得」
また雪が横を向く。
「それなら……」
「はい」
「距離感」
「距離……」
「近すぎない」
「はい」
「遠すぎない」
「はい」
「触らない」
「はい」
「殴らない」
「しません」
「当たり前だよ」
澪は笑いながら、カフェオレを飲む。
雪が今にも崩れそうだ。
「(……苦しい……)」
「で、最後」
「はい」
「楽しめ」
「……」
春日が、静かに考える。
「難易度が高いです」
「だろうね」
澪は、あっさり言った。
一拍。
「まあ」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「普通にしてればいいよ」
「普通……」
「うん」
「いつも通り」
春日は、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました」
(絶対わかってない)
澪は確信する。
その横で――
雪は、ついに限界だった。
口元を押さえたまま、肩を震わせている。
「(……無理……)」
静かな学園の片隅で。
一人だけ、呼吸困難寸前だった。




