第三十九話 オープンキャンパスの片付けも終わり ー前提ー
オープンキャンパスの片付けも終わり、
人の気配が、少しずつ引いていく。
中庭の端。
ベンチ。
澪が、いつものようにカフェオレを持って座っている。
春日が準備したものだ
「……座れば?」
春日は、一瞬迷ってから――座った。
少し、間。
「で?」
澪が、何でもないように聞く。
「どうだった?」
軽い問い。
だが。
逃げ場はない。
「……」
春日は、視線を落とす。
(言うべきか)
(言わないべきか)
一瞬。
だが。
「……勝てる気が、しません」
出た。
言葉。
澪は、少しだけ目を細める。
「誰に?」
「弓場さんです」
即答。
「素手では」
一拍。
「……対応できません」
澪は、頷きもしない。
否定もしない。
ただ。
「ふーん」
それだけ。
(軽い……)
だが。
次の一言。
「で?」
春日、止まる。
「で、どうするの?」
核心。
逃げられない。
「……空手を、学ぶべきかと」
言った。
自分の中で、初めて。
澪は、少しだけ笑う。
「ふーん」
同じ返し。
だが。
今度は、違う。
「で?」
もう一度。
春日、戸惑う。
「……で?」
「それで強くなるの?」
静かに。
春日、答えられない。
「……」
澪は、カフェオレを一口。
「ねえ春日」
少しだけ、声が変わる。
「昨日の組手」
「何がダメだったと思う?」
春日は、すぐに答える。
「間合いです」
「打撃の距離に、対応できませんでした」
「半歩が、取れません」
「軌道も、速く――」
「うん、そこじゃない」
即否定。
春日、止まる。
「……違うんですか?」
澪、あっさり。
「違うね 鷹宮先輩から聞いたよ」
「え?」
「先輩、観てたよ 弓場さんとの組手」
「……」
春日は澪の顔を見る
春日の思考が、止まる。
「じゃあ、何ですか」
澪は、少しだけ笑う。
「簡単だよ」
一言。
「“やりたくないこと”から逃げてる」
「そして… 拘ってる」
春日、目を見開く。
「……違います」
即答。
「自分は――」
「素手を――」
「うん、知ってる」
澪、遮る。
春日、止まる。
「それが?」
「勝てない? 何が問題なの?」
「……」
言葉が、出ない。
澪は、静かに続ける。
「君さ」
「“当たる”のが嫌なんでしょ?」
核心。
春日の呼吸が、止まる。
「……」
「弓場は違う」
「当たる前提で入ってくる」
「当たっても、その先がある」
一拍。
「でも君は」
「当たらない前提で動いてる」
「……」
「だから」
「当たった瞬間、終わる」
静かに。
断言。
春日は、何も言えない。
(……そうだ)
分かっている。
だが。
認めていないだけだ。
「それ」
澪が続ける。
「剣の理だよね」
「……」
「“一太刀で終わる”前提」
「だから当たったら終わり」
春日の手が、わずかに動く。
「でもさ」
澪は、軽く言う。
「弓場さんは違うよね?」
答えは、出ている。
「……はい」
「じゃあ」
「何で同じことやってるの?」
沈黙。
完全な、沈黙。
風が、少し吹く。
春日は、ゆっくりと息を吐いた。
「……自分は」
言葉を探す。
「小太刀を、教わりました」
澪は、黙って聞く。
「父と、祖父に」
「その中で」
「間合いと、拍子と、外し方を――」
一拍。
「“当たらないため”に学びました」
「うん」
澪、頷く。
「でも」
春日は続ける。
「それは」
少しだけ、迷う。
だが。
言う。
「無手のためでもある、と」
「教わりました」
澪の目が、変わる。
「へぇ…」
(無手か…)
春日は、続ける。
「だから自分は」
「剣を持たなくても」
「同じように――」
止まる。
「……同じように?」
澪が、促す。
春日は、目を閉じる。
そして。
ゆっくりと。
「“当たらない位置にいる”ことで」
「成立させようとしていました」
言った。
言語化。
澪は、少しだけ笑う。
「すこし、違うね」
春日、目を開く。
「……違う?」
「うん」
一言。
「お父さんは”無手”と言ったんだろ…」
「それ、春日の考えが浅いね」
「……」
澪は、軽く指を動かす。
「君がやってるのは」
一拍。
「ただ単に素手で勝つことだ」
「全く違う」
春日、固まる。
「……」
「時間」
「拍子」
「軌道」
「何のために、これを学んだんだ?」
「目的は、何?」
「…勝つため…」
「君のお父さんやお爺さんたちは…」
一息置いて
「ただ”勝つ”ことが目的で術を残してきたのか?」
「拘っているのは――」
一拍。
「“勝ち”か?」
「“素手”か?」
沈黙。
「もっと聞くぞ!」
「春日お前が求めているものは」
「単なる”勝利”か?」
「別の何かか?」
(……そうか)
春日の中で、何かが… 何かが…。
澪が強く言い放つ
「お前は何にためにその技を学んだ! その術を使う!」
春日の雰囲気が変わった
「すいません 答えられません」
「わかりません ただ…」
「……父は」
ゆっくりと。
言葉にする。
「“当たらない”のではなく」
一拍。
「“当たる前を消している”と感じました」
澪、笑う。
「それだね。」
さっきと違い、優しく…
「それ、何のため?」
春日がゆっくり
「……ですが」
「それでは、――」
澪が
「今のままじゃ、そのうち勝てなくなるね うん」
「というか、それお父さんの教えと異なるんじゃない?」
即答。
「なぁ、春日…」
「はい…」
「雪は勝つために…勝つためだけに
本住吉流を学んでいると思うのか?」
答えられない
「……」
(違うと思う… 違う…)
「そうだね… 私もそうだ」
続けて
「そして」
澪は優しく
「君の拘り」
「かなり変だ」
「……」
「で? どうする?」
「やはり、わかりません 全くわからないんです」
少し間を置いて――
「それでよろしい!」
「は?」
「わからい それが分かっただけでも成長だよ」
「あとは、自分で考えろ!」
「考える…」
「そう 考える…」
「… よくわかりませんが…」
「ん?」
「でも、なにかがわかりました!」
「ほう…」
「カフェオレ一杯で相談に付き合ったんだ」
「ちょっとは感謝しろよ~」
「ありがとうございました!」
春日、まっすぐに頭を下げる。
澪は、軽く手を振り、
「はいはい」
背を向けて歩き出す。
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砂を踏む音。
足音を、わざと立てて近づいてくる
春日が振り向く。
「……あ」
澪は、すでに気づいていたのか
何も言わない。
雪は、いつもの調子で。
「終わった? 春日くん」
何でもないように聞く。
「……はい」
少しだけ、戸惑いの残る声。
雪は、春日の顔を少しだけ見て。
一言だけ、言った。
「いい顔になってるよ」
それだけ。
春日、止まる。
「……え?」
雪は、もう興味を失ったように。
視線を外す。
一拍。
「しっかり、考えてね」
静かに。
そして。
くるりと背を向ける。
「じゃあね」
軽く手を振って、去っていく。
残された春日
しばらく動かない。
(……考えている顔)
その言葉を、反芻する。
澪の横に雪が走り寄り
「よかったね さすが澪」
軽く言う。
澪は
「……飼い主の義務としてね これくらいは」
中庭は、もう静かだった。
春日の中では――
確かに、何かが動き始めていた。




