第2話 腹をくくる
エマが持ってきた働き口は、この町の油商人マハド家の警備を手伝うという内容だった。
マハド家はオリーブ油などを扱う商売人で、店売りもやっている。
バルマ中の灯りがマハドを頼っていると言っていい。
マハドのオリーブオイルがなければ、どこの食堂でも料理ができなくなるだろう。
それだけマハド家の商売は大きかった。
そうなれば金の匂いに引かれて、悪党が近寄ってくる。
詐欺やコソ泥、それから押し込み強盗。
怖いのは強盗だ。
徒党を組んで押し入る武装強盗は、血を流すことをためらわない。女を犯す奴がいれば、逃走時に火つけをして火事の混乱に乗じる奴もいた。
マハド家の商売は油屋だ。火つけなどされたら目も当てられない。
強盗への用心は徹底していた。
そこで俺にも用心棒の勤め口が回ってきたわけだ。
エマがよこした紙きれには、「冒険者ギルドに顔を出せ」と書いてあった。
依頼主はマハド家だが、ギルドを通した依頼ということらしい。
みしり――。
冒険者ギルドに足を踏み入れると、俺の重みで木の床が沈んだ。ここの床はしっかりしているので、俺は気にせず奥のカウンターまで進んだ。
ロビーにはあちこちに冒険者がたむろしていた。俺の方にちらちらと視線を送ってくる奴が多い。
強さが売りの冒険者たちだ。デカい奴を見れば気になるのだろう。
いつものことなので、俺は視線を無視してカウンターの上に手を置いた。
「ここに行けと言われたんだが」
「ああ、エマさんの紹介ですね。伺っていますよ」
受付の女とは顔なじみだ。金に困るとギルドに仕事をもらいにくるからな。
用心棒ばかりではない。体を生かした力仕事を紹介してもらうこともしばしばあった。
「マハド家の用心棒ですね。一人欠員が出まして。三日ほどつないでいただけますか?」
「こっちも短い方がありがたい」
強盗に備えるのは夜の仕事だ。生活が昼夜逆転してしまうので、あまり長くは勤めたくない。夜働いて昼間寝る習慣がついてしまうと、仕立屋の仕事に差し支えるのだ。
縫物ってのは夜やるもんじゃない。ランプの油はただじゃないし、灯りが足りないと仕事の効率が落ちる。
何より仕事のアラが見えにくくなる。
半端な仕上がりの物を客に納めたくないからな。
三日の夜番くらいなら、すぐに昼型の生活に戻れるだろう。
「こちらがギルドからの紹介状です。これを持ってマハド家に行ってください」
「わかった。この足で行くよ」
どうせ銅貨一枚の金もない。支度はおろか、食事さえ取れない俺はまっすぐマハド家に向かおうとした。
「よう、アンタ」
「うん?」
ロビーを抜けようとする俺に横から声をかけてきたのは、いかにも冒険者という格好をした若者だった。
「俺はハンク。俺と組んでダンジョンに潜らないか?」
唐突な申し出に、俺は相手を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見返した。
「俺は<剣士>だ。剣のスピードなら負けないぜ。アンタは見たところ<盾役>だろ? 俺のスタイルと相性がいいはずさ」
「悪いが勤め口がもう決まってるんだ。ほかを当たってくれ」
こういう誘いはよくあることだ。俺のデカい図体が<盾役>にぴったりだと思えるらしい。
しかし、ダンジョン攻略なんて用心棒よりもはるかに危険な仕事だ。俺はご免被る。
「そう冷たくするなよ。悪い話じゃないぜ? 取り分は折半でいいし、俺は売り出し中のホープだぜ」
「そういうことじゃない。興味がないんだ。どいてくれ」
行く手をふさがれて、俺は少しばかりイラついた。顎を引いて頭の上からハンクという若い男をにらみつけてやった。
「何だと? てめえ、なめてんのか!」
いきり立ったハンクの手が腰の剣に伸びた。だが、その手が剣の柄にかかる寸前、横から伸びた手が手首をつかんだ。
「待て。そいつは俺の知り合いだ。行かせてやってくれないか」
静かに語りかけたのは分厚い胸板が特徴の男だった。俺よりは小さいが、身長も百九十センチを超えているだろう。
ハンクは男の手を振りほどこうとしたが、がっちりつかまれた手はピクリとも動かない。
「アンタは――?」
俺が言いかけると、逞しい男は目でそれを制して俺に出ていけと促した。腕をつかんだまま若い冒険者を俺から遠ざける。
(すまない)
俺は目だけでそう告げ、男が空けてくれたスペースを通ってギルドのロビーを抜けた。
「『山嵐』のクラウド……。どうしてアンタが」
ハンクが何やら声を上げていたが、俺は振り返らずにギルドの外に出た。
(一つ借りができたな)
通りを歩き始めながら、俺は肩をすくめた。
クラウドは「山嵐」と名乗る冒険者パーティーのリーダーだ。圧倒的な体力を誇る<剣士>でありながら、パーティーを率いる知恵と胆力を併せ持った男だ。
そうでなければ「バルマ最強の男」と呼ばれることはない。
今頃は俺に絡んできたハンクを言いくるめていることだろう。どんな跳ねっ返りだろうと、この町でクラウドを無視することはできない。
それだけの実績と実力がクラウドにはあった。
(礼代わりにアイツの服でも直してやるか?)
冒険者稼業をしていれば武器や防具だけでなく、着ている衣服も傷みが激しい。いちいち新調していてはキリがない。
クラウドが身につけるものはしっかりした仕立の上等な服だ。地味な色遣いだが、生地は上物だし、縫製もいい。
きちんと手入れしてやれば何年も着られる服だ。
(一旦バラして新しい糸で縫い直してやれば、更に長持ちするだろう)
魔獣の爪で破られた穴はかけはぎでふさいでやろう。穴など元からなかったように消してみせる。
クラウドのズボンにはつぎ当てが目立った。
あんな安直な仕事は気に入らん。
そんなことを考えながら、俺は油商マハド家までやってきた。
◆
(さすがに深夜は冷える)
俺は不寝番として店の正面に立っていた。右手には身長よりも長い棒を持ち、地面に突き立てている。
賊が現れたらこの棒で追い払うという威勢を示しているわけだ。
正面を守る不寝番はもう一人。俺と少し離れた位置に立っている。
そいつは普段冒険者として活動しているそうで、自前の剣を腰に帯びていた。
気合を入れて支度してきたらしく、鎖帷子と手甲を身につけている。
要するに体に着けた鉄の部分が多かった。
普段着姿の俺でさえ冷え込みを感じるのだ。鉄製の防具を身に着けた相方は、さぞかし寒さを感じているに違いない。
それが証拠に、相方は店前に立ってから六時間の間に既に三度も便所を使っている。
こればかりは我慢に限界があるので、やむを得ないことであった。
ここまで俺の方は立ちっ放しで過ごしてきたが、そろそろ尿意を覚えてきた。こういうときは早めに行っておいた方がよいので、俺は相方に声をかけて持ち場を離れた。
くぐり戸を通って店に入り、俺は便所に向かった。便所は店の奥を通り抜けた離れになっている。
用を足して手を洗っていると、突然闇の中から人が争う声と物音が聞こえてきた。
(何だ?)
物音はどうやらマハド家一同と使用人たちが休む住居棟から聞こえたらしい。俺は耳を澄ましてみたが、それ以上は何も聞き取れなかった。
(どうする?)
何か事件が発生していることは間違いない。急病人が出たとか、酔っぱらった使用人が暴れているとかであれば、用心棒の俺が出るまでもない。騒ぎはすぐに収まるはずだ。
静まり返った空気を前に、俺は行動に迷った。
その時、再び住居棟で騒ぎが起こった。
「強盗だ!」
「うわあ!」
「この野郎っ!」
「ぎゃあっ!」
叫び声や悲鳴とともに、争う物音が俺のところまで聞こえてくる。
声の感じからすると、全部で五人いる用心棒仲間が叫んでいるようだ。
(強盗だと? そうだとしたら、応援に行かなくちゃ)
俺は母屋に続く渡り廊下を進もうとした。
その時、母屋から出て来る人影を目にした。
俺はとっさに渡り廊下から飛び降りて、床下の空間に転がり込んだ。
渡り廊下を歩いてくるのは二人の男。幸いこちらの存在に気づかなかったようだ。
「あれが便所だな」
「これだけの騒ぎだ。のんびり用を足してる奴なんかいるもんかよ」
「文句言うな。親方に見てこいって言われたんだ。行くしかねえだろう」
男たちはぶつぶつ言い合いながら便所に近づいてくる。このまま隠れていればやり過ごせそうだ。
「ほらみろ。誰もいねえぜ」
「そうだな。うん? ちょっと待て」
俺は廊下の下から首だけを出して、男たちの様子をそっと窺った。
すると、男の一人が便所の床にかがみ込んだ。
「おい! 床が温かいぞ。さっきまで誰かいたに違いねえ!」
「何だと? 探せっ!」
バタバタと男たちが便所から出て、周りを見回した。もちろん俺は首を引っ込めて、廊下の床下で息を殺している。
「お前、便所の周りを見てこい。俺は廊下の床下を確かめる」
「わかった」
男たちは小声でそう言葉を交わすと、廊下の上から地面に降りた。言葉通り、一人が床下を覗こうとする。
(このままじゃ見つかる)
俺は覚悟を決めると、床下から転がり出た。そのままの勢いで一気に体を起こす。
俺の身長は二メートル少々ある。その俺が暗がりで急に立ち上がったのを見て、腰をかがめていた男は驚きで硬直した。
男の手には短剣があったが、それを構えることさえ忘れている。
(チャンスだ!)
今なら棒の一撃で相手を倒せるはずだったが、あいにく俺は持ち場に棒を置いてきた。まさかこんなことになるとは思わなかったからな。
とっさに俺はベルトをさぐった。左手で男の首をつかみ、上を向かせた顔に右拳を振り下ろす。
「ぐっ、ぎゃあーっ!」
男は両手で顔を隠そうとしたので、俺は短剣を持った右手をつかみ、思い切り握りつぶしてやった。
俺の握力は常人離れしている。中でも指の力が強い。
手羽先でもひねったように、男の尺骨がぽきりと折れた。
「あぁあああ!」
短剣を取り落とし、男は右手首を押さえてひざまずいた。
「おいっ、どうした?」
便所の陰からもう一人の男が姿を現す。
これ以上騒がれると、仲間が集まってくるかもしれない。俺は目の前でうずくまった男を思い切り蹴り飛ばした。ごつんと男のこめかみがくぐもった音を立て、男は横倒しに転がった。
「て、てめえっ⁈」
俺に近寄ろうとしていた二人目の男は、一歩手前で足を止めた。こいつも俺の大きさにひるんだようだ。
腰の短剣を抜きもせず、口を開けて俺を見上げて固まっていた。
「おぐっ?」
男にとって一歩の距離は俺にとってはないに等しい。俺の靴底が男の腹にめり込んでいた。
真後ろにふっ飛んだ男は、腰から地面に落ちて頭を打った。
「うっ。げぇえ……」
気絶した二人の男の横で、俺はこらえきれず嘔吐した。
俺は暴力沙汰に強い忌避感がある。ケンカをしようものなら、今のように吐き気に襲われるのだ。
ガキの頃の体験がそうさせているらしい。それなのに、何があったのかはまったく思い出せないのだが。
そんなことを思い返している余裕はない。俺は口の周りを手の甲で拭い、口の中の苦いものを唾と一緒に吐き出した。
倒れた男たちに近づき、短剣を取りあげる。
その短剣で、俺は男たちのシャツを引き裂いた。細長く裂いたシャツの生地を即席のロープにし、男たちを後ろ手に縛りあげる。
両足首も縛り、意識を取り戻した時のために猿ぐつわもかませておいた。
俺は縛りあげた二人を便所に押し込んで、扉を閉めた。
(ここまで徹底して店内を制圧するってことは、使用人も用心棒も全員住居棟に集められてるな)
どうしよう? 俺一人ならこのまま脱出できるだろう。だが、そうすれば捕らえられた人たちの命が危険にさらされる。
俺一人で強盗団と戦う? 人を殴るたび、吐き気に襲われるこの俺が?
行動を決めかねて立ち尽くした俺の耳に、住居棟からまた人声が聞こえてきた。
「いやぁー! ママぁーっ!」
まだ幼い子供の泣き声だった。主人夫婦には一人息子がいたはずだ。確かまだ五歳。
「くそっ!」
俺はギリっと奥歯をかみしめ、一人目の男に近づいた。気絶した男の顔の上にかがみ込め、左目に指を近づける。
人差し指と親指の先でつまんだそれを、男の瞼の隙間からすいと引き抜いた。
先ほどとっさに叩き込んだ縫い針だ。中指にはめた指ぬきで針の尻を押し込んでやった。
針はほぼすべて瞳の中に没していた。
(商売道具をこんなことに使いたくなかったが、そんな状況じゃない)
『ためらうな。手段を選ぶな。生きることだけを考えろ』
あの師匠はそう教えてくれた。
(泣く子をいじめる奴は放っておけないだろう? なあ、ツバキ)
俺は答えを聞くまでもない問いを自分に発して、強盗団とやり合う腹を決めた。




