第16話 手の中の燐光
「そいつはデュラハンの魔石か?」
「ああ。体の方に入ってた分だ」
魔石を拾いながら、俺はクラウドに答えた。
<デュラハン>には魔石が二つある。本体である頭に一つと、操り人形のような体部分に一つだ。
体に入っている分は、遠隔操作で動かすための燃料のようなものらしい。
『<デュラハン>は二体の<魔獣>がペアになって行動するものだなんて学説もあったんだな。魔石が二つあるからだな。でも、頭を殺せば体も死ぬが、体を殺しても頭は死なないんだな』
魔獣学ジジイのおかげで、俺はそのことを知っていた。
だから迷いなく頭を攻撃し、体と引き離して安全に狩ったってわけだ。
「あんな倒し方があるとはな」
後から会話に加わったガンダルが言った。
まあ、こいつら筋肉コンビは首なしボディーの方とまともに斬り合うんだろうな。ご苦労なことだ。
頭が本体だという事実は、この二人には余計な情報だったかもしれない。<デュラハン>との戦いを、これから楽しめなくなっちまった。
「<デュラハン>を相手にする場合は頭と体を引き離すのがミソだ。それには暗闇を作るのが手っ取り早い」
俺がやったみたいにな。
煙幕でも構わない。体を操れない状況を作りさえすれば、戦いにもならない。魚を三枚におろすように、頭を簡単に料理できる。
いや、魚をおろす方が難しいか。あれには技術が必要だからな。職人をバカにしてはいけない。
俺はクラウドと見張りを交代してルークと共に休憩させてもらった。
<デュラハン>との戦いにはほとんど体力を使っていない。疲労は感じなかったが、「休んだ」という事実が脳にとっては大切だったりする。
いざというときにミスを招くのは、体の疲れよりも脳の疲れの方だ。
通路の壁に背中を預けて座っていると、ルークが隣に腰を下ろした。
「ちょっと話していいか?」
「ああ、休憩しながらでよければつきあうぜ」
この階層に下りてから、こいつも大して動いていない。あまり休憩を必要としていないのだろう。
「俺はこれまでにいろんなパーティーにくっついて回ったことがあるがよ。その俺から見て、お前は並の冒険者よりも戦えるんじゃないかと思ってな」
ルークは俺と違って<サポーター>としての活動が多いらしい。多くの冒険者を見てきた自負があるのだろう。
「さてな。武術の手ほどきを受けて、そこそこ戦えるようになっていることは事実だ。冒険者の世界でどの程度のものかは、判断できないがな」
俺自身、冒険者の平均よりは上だろうと思う。しかし、それを自慢するつもりはない。
俺の役割は<サポーター>で十分だ。戦力として当てにされては困る。
「<ギリメカラ>のところでは魔術も使っていたよな。それも炎熱系と冷気系の二属性を」
「……」
目ざとい奴だ。決め技に使った<氷鼠>だけでなく、<熔鉄>の方も見定めていたか。
「炎熱系魔術が使えるのに<レイス>を倒さなかったのは、力量を隠すためだろう?」
「俺が倒さなくとも、ミレイで十分対応できた」
「対応できないと見たら、手を貸すのか?」
ルークが気にしているのはその点だったらしい。「いざというとき」俺の戦力を計算に入れていいのか?
「俺だって死にたくはない。危なくなれば手を貸すさ」
「そうか。それを聞いて安心したぜ。邪魔して悪かったな」
納得したのか、ルークは会話を切り上げて離れていった。
俺は呼吸を静めて、休憩の態勢に戻った。
(もやもやするぜ……)
猛獣型や霊体型なら相手にしやすい。人間とかけ離れた相手だからな。
だが、<屍鬼>や<デュラハン>のような人型になると――。
胃を内側から突き上げるような衝動を察知し、俺は腹に力を入れて呼吸を深くした。
(アレは<魔獣>だ。人じゃない)
だが、あの首は――憎しみを燃やすような燐光が俺の手の中からにらみ返して――。くっ。
(違う。人の目に燐光など灯らない!)
俺は両手で腹を抱えて、体を丸めた。
◆
「休憩は終わりだ。出発するぞ」
クラウドの号令で全員が立ち上がった。
幸いあれから襲ってくる<魔獣>はいなかった。「山嵐」のメンバーたちは十分とまでいかなくとも、ちゃんとした休憩ができた。
ミレイの魔力が復活したことが最も意味ある効果だった。
天秤棒を肩に載せて荷物を持ち上げる。まだまだ担げる量に余裕はあるが、ドロップ品の金塊の重みを感じた。
さて、これからこの重みがどこまで増えてくれるのか。山分けにしてもらえるわけではないが、ボーナスの額に影響してくるだろう。
そう考えれば、頼もしい重みに感じてくる。
しばらく暗い通路を進んでいくと、またも<レイス>が出現した。今度は一体だ。
「げっ! また<レイス>? 魔力の無駄なんだけどぉ」
げんなりとした顔でミレイがぼやいた。<階層主>戦の前に無駄な魔力を消耗したくない。そう考えているのだろう。
「ミレイ、俺に考えがある。任せてくれ」
そう言ったのはガンダルだった。何やら腰のベルトをがさごそやっている。
「大丈夫、ガンダル? 少しでもダメージを入れてくれると助かるけど」
「うまくいけば倒せるかもしれん。失敗したらフォローを頼む」
ガンダルならば多少<ドレイン>にさらされても、すぐに倒れることはないだろう。ハクやミレイだと危険だがな。
「ガンダル、来るよ!」
「おう!」
あと一歩に迫った<レイス>に対して、ガンダルは顔を突き出して炎を吐いた。
ボッ!
体全体を炎に包まれ、<レイス>は影のような身をよじった。じゅうじゅうと音を立て、見る間に体が小さくなる。
ボウッ!
ガンダルは右手を口に動かし、もう一度炎を吐く。通路を明るく照らし出した炎は、<レイス>の体を燃やし尽くした。
「おお! やったな、ガンダル」
「驚いた。アンタにそんな芸があったの?」
クラウドとミレイが驚いてガンダルの顔を見た。
「ははは。ツバキが火で<レイス>を追い払うのを見て、昔見た大道芸人を思い出したんだ」
ははあ。火吹きの芸か。口に油を含み、右手に種火を持って吹きかけたってわけだ。
なるほど、それなら火炎魔術に近い攻撃ができるな。火に弱い<レイス>にはよく効くぜ。
「よかったな、ミレイ。楽ができるぞ」
「こいつはいいね。これから<レイス>はガンダルに任せるわ」
明るく笑い合ってパーティーはさらに進んでいく。
「随分通路が続いているな。そろそろボス部屋があってもいいんだが」
クラウドが首を傾げたとき、前方の闇からまたも<レイス>が二体現れた。
「またか。ガンダル、頼む」
ガンダルは素早く油を口に含み、火種を用意した。
「来たぞっ!」
ボウッ! ボウッ!
ガンダルの吐いた炎が一体の<レイス>を焼き尽くした。続けてもう一体が、前衛に迫る。
「しまった! 油切れだ!」
ガンダルは手にした空瓶を投げつけたが、<レイス>の体をむなしく通り抜けるだけだった。
「二人とも避けて! <雷撃>!」
前衛の後ろに立ったミレイが迫りくる<レイス>に稲妻を飛ばした。霊体に火花が散り、体の一部が蒸発する。
「くっ。抜けるよ!」
まだ戦闘力を失っていない<レイス>が前衛をすり抜けて、俺たちの方へ飛んできた。ハクとサンドは逃げるのに必死だ。
「ちっ。うっとおしい奴だぜ」
いつの間にか両手に持った短剣に火をつけて、ルークは襲いかかろうとした<レイス>を追い払った。
俺のやり方を真似て油布に火をつけたらしい。
逃げ回る<レイス>が俺の方に飛んできた。
(ルークに見破られた以上、今更か)
俺は火魔術で天秤棒の先に炎を生み出し、飛びかかる<レイス>に突きつけた。
「何だと⁉」
<レイス>が細長く体を伸ばし、天秤棒に巻きつきながら俺の手元を襲ってきやがった。
驚きで一瞬反応が遅れ、俺の左手を黒い霊体が包み込んだ。
氷よりも冷たい感触がひじから先を襲う。一瞬で腕の感覚がなくなった。<ドレイン>で俺の生命力を吸い上げていやがる。
「くそっ!」
散り散りになりそうな思考力をかき集め、俺は右手に炎を生み出した。それを自分の左腕に押しつける。
じゅうっ!
霊体の一部を焼かれた<レイス>は潮が引くように俺の腕から離れ、またどこかへ飛んでいった。
冷たい腕を抱えながら、俺は意識を失って膝から崩れ落ちた。
◆
燐光が並んで見える。これは<デュラハン>の首だ。
確か俺はこいつの片目に短剣を突っ込んでやったはずだった。両目が揃っているのはおかしくないか。
俺は手の中の首をもう一度見た。兜に覆われた<デュラハン>の首。
いつの間にか、首を覆う兜はなくなっていた。
やはり目は二つある。
血走って見開かれた目。白目は黄色ががかって薄汚れ、黒い瞳は光を失いかけている。
いや待て、燐光はどこへいった。目の前にあるのは――これは人の目だ。
目だけじゃない。目やにで汚れた疎らな睫毛。ぼさぼさに乱れた眉毛がその上にある。
俺はその形に見覚えがあった。
俺の嫌いな目元がそこにあった。
見たくもない。思い出したくない目元だ。
床に転がった俺のことを、犬の糞でも見かけたように冷たく見下ろした目元だ。
腹を蹴られて胃液を吐く俺の表情を、つまらなそうにのぞき込んだ目元だった。
俺の親父の目元だった。
何で俺はコイツを見下ろしているんだっけ?
ああ、そうだ。三角締めで締め落としてやったからだ。それから俺は、両手でその首を絞めているんだった。
もうすぐコイツの目から燐光が消える。そうしたら瘴気に戻って消えていくのだ。
やめてくれとコイツは言ったっけ? わからん。俺の記憶にない。
止める人間はもういない。
お袋は働き過ぎて体を壊し、飯を食えなくなって死んだ。
人間は本当に骨と皮だけになるんだな。
落ちくぼんだ眼だけがやけに大きくて、いつか見た魚のようだと思った。
俺のお袋は干からびた魚のようになって死んだ。
弟のヒイラギもいない。ヒイラギ。あいつはいつからいなくなった。
『にいちゃん!』
そうだ。コイツが連れていったんだった。泣いて嫌がるヒイラギを、無理やり担いで攫っていった。
どんなに俺が止めようとしても、コイツを止められなかった。
あの頃俺はまだ武術を知らなかったから。
今は違う。
柔術ジジイに教わったからな。人間の倒し方。マウントの取り方、返し方。
首の絞め方を。
俺は親父の首に回した両手に力を入れる。もっと。もっとだ。
これは柔術ジジイに教わった絞め方じゃない。ただ力任せに絞めているだけだ。
だが、俺の体はデカいからな。体重もそれなりにある。
倒れた親父の上にまたがって、上から体重をかけてやれば。
ほら、俺の親指がずぶずぶと喉ぼとけにめり込んでいく。
そろそろ燐光が消えそうだ。コイツの顔は紫に変色し、口から舌が突き出している。
見ろ。魚のような目玉が飛び出してきた。
ぼぐっ。
俺の手の中で、骨が折れる手ごたえがあった。
ようやく燐光が消えた二つの目を、俺は立ち上がって見下ろしていた――。
◆
十二歳のあの日、俺はこの手で親父を殺した。
死体は夜中に森まで担いでいって捨てた。墓など掘らなかった。
すぐに獣のエサになったことだろう。
親父に金を貸していた奴が騒ぎ出し、行方知れずになったと衛兵が調べに来た。
バレたらどうなったかわからないが、近所の人間が総ぐるみで衛兵をごまかしてくれた。
アイツは近所の皆に嫌われていた。
そもそも毎日飲んだくれて、家にも寄りつかない奴だった。大方野垂れ死んだのだろうと、衛兵もすぐに関心を失った。
どこかで闇の金貸しが、アイツに貸していた金を失っただけだ。
誰も悲しむ者などいなかった。
ヒイラギが帰ってくるわけでもない。弟はどこかの人買いに売り飛ばされたのだろう。
水も与えられず重労働させられたか、男娼として弄ばれたか、手足を切り落として物乞いをさせられたか。
いずれにしても、長くは生きられない。
ヒイラギをそんな目に合わせた男。アイツは死んで当然だ。そう思ったら心が軽くなるはずなのだが。
そうはならなかった。
心に淀んだヘドロのように、アイツの死に顔が目の底にへばりついていた。
光を失った魚の目――。
『ぐえ……』
思い出す度、俺は胃の中身をぶちまけ、のたうち回った。
度重なる嘔吐に胃壁がただれ、血を吐くようになった。
やがて眠りが浅くなり、昼も夜もぼうとして夢うつつをさまよった。夢にうなされて熱を出し、熱を出しては悪夢に苦しんだ。
俺は死にかけていたのだろう。
やがて、俺の脳は自分を守るために「壁」を築いた。
アイツのことを記憶から消し、ドス黒い壁の中に塗りこめた。
あの日のことは、俺の心の中でなかったことになった。
<レイス>の攻撃がその壁を壊し、俺の記憶を暗い場所から引きずり出した。
失神から目覚めた俺は、一人の「親殺し」だった。




