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A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第2章『叛罪教戒(ヌリファイ・シンズ)』
24/25

13:医療棟にて

 後日。セルシウスガーデンの医療棟はいつも以上に白かった。

 消毒薬の匂いは薄く、代わりに温かいスープの香りが漂っている。チームSOLの面々が集まる一角は、ちょっとした食堂のようだ。


「英雄のお帰りだ!」


 ルカが真っ先に手を振った。肩にはまだ固定具が残っているが、笑いの大きさは普段通りだ。

 丈は照れ隠しのように咳払いをし、バルトは短く頷き、サヤは眼帯の下からにやりと笑って「派手に落ちたわね」と言った。レオンはベッドから上体を起こし、細い親指を立てた。


「……みんな、死にかけたけど、死ななかった」


 太陽は頭をかき、持ってきた"土産"をテーブルに置く。ヴォイドから拾ってきた、フロストの"欠片"――粉にならず残った雪華結晶の小片。翼が安全処理を施し、いまはただの美しいガラスのかけらになっている。


「綺麗」


 サヤが目を凝らし、レナがすぐにスキャンした。


「データにします。これ、"噂"を止める証拠にもなる」

「そうね」


 別の声がした。カタリーナが、隣のベッドから身を起こす。肩の包帯は真新しく、痛み止めのせいか頬に少し赤みが出ている。彼女は太陽をまっすぐ見て、わずかに微笑んだ。


「ありがとう。改めて。――私を信じて、助けて、勝った」

「皆で、な」


 太陽が答えると、彼女はゆっくり首を振った。


「あなたが"最初に"信じた。そこから始まった。……それは、忘れない」


 翼が横から咳払いをし、「はいそこ、感謝のフルコースは後で個別に」と邪魔を入れた。レナが吹き出し、ルカが「三角関係は高カロリーだね」とからかい、丈が「騒ぐな」と言いながら口元を緩め、バルトは珍しく肩をすくめた。

 医療棟の天井は少し低く見えるのに、空気は広く、柔らかい。


「それで――」


 レオンが身を乗り出した。


「ディートハルトは?」

「拘束した。今は学園の保安部が尋問中」


 翼が淡々と答える。


叛罪教戒ヌリファイ・シンズの内通者として、うずめシステムの不正流出、学内での傷害事件への関与、そしてTeCによる攻撃――すべて自白した」

「噂は?」

「消えた。正式に学園から『カタリーナ・メンデルスゾーンに嫌疑なし』の通達が出た。むしろ、彼女は内通者を暴くために協力した、という形になってる」

「……まあ、間違ってはいないわね」


 カタリーナが肩をすくめる。


「でも、私の"派閥"はもう半分に減った。噂が消えても、距離を置かれるのは変わらない」

「そういうもんだ。人の記憶は、都合よく書き換わる」


 バルトが短く言った。彼の声には、経験から来る重みがあった。


「だが、お前は正しかった。それだけは残る」


 カタリーナは何も返さず、ただ視線を窓の外へ向けた。薄い極光が、いつも通り空を流れている。


「ヌリファイ・シンズ……」


 レオンが呟く。


「まさか、本当に学内にいたとは」

「彼らは、どこにでもいる」


 翼が端末を操作し、画面に資料を映す。


「叛罪教戒は単なるテロ組織じゃない。思想集団。AZ技術を"悪魔の遺物"として拒絶し、人類の技術だけで世界を回すべきだと信じている。――だから、AZ技術を使う施設、研究者、学生、すべてが標的になる」

「俺たちも、標的ってことか」


 太陽が拳を握る。


「うずめを作ったから?」

「そう。うずめは、AZ技術の応用としては画期的だった。だからこそ、彼らにとっては"危険"だった。人々がそれに依存し、人の手で作る技術を忘れていくことを恐れた」

「……狂ってる」

「狂ってはいない。それが怖い」


 翼は目を細めた。


「ディートハルトは、本気だった。彼は、人類を"救う"ために動いていた。ただ、その方法が――私たちとは違った」


 沈黙が、病室に落ちる。

 太陽は、ディートハルトの最後の言葉を思い出していた。


『技術は、人を背く』

『君たちが燃やし、冷やし、奪い合った熱が、形になった』


 フロストは、彼らの戦いから生まれた。熱と憎しみと恐れが、ショーカという形を取った。ある意味で、ディートハルトは正しかった。

 だが――


「それでも、俺たちは進む」


 太陽が言った。


「AZ技術は、確かに危険かもしれない。でも、それで救われた命もある。温暖化も、エネルギー危機も、全部解決した。――それを忘れちゃいけない」

「そうね」


 カタリーナが頷く。


「技術は道具。使う人間が、正しく使えばいい。――私たちが、正しく使う」

「それが、私たちの"線"」


 翼が微笑む。


技術戒律テクノロジー・エディクトは、私たちが決める。叛罪教戒じゃなく、私たちが」

「……それと」


 カタリーナが、少し躊躇ってから口を開いた。


「私の両親のこと。ディートハルトが支援を止めた後、どうなるか――」

「大丈夫」


 翼が遮った。


「白瀬重工が、支援を申し出てくれた。フェスでの勝利、うずめシステムの成果――それを評価して、カタリーナへの"投資"という形で、治療費を出してくれる」

「……本当に?」

「本当。ただし、条件がある」

「条件?」

「卒業後、白瀬重工で働くこと。あなたのパイロット技能を、彼らは欲しがってる」


 カタリーナは一拍置いて、小さく笑った。


「……また、"投資"ね」

「そう。でも、今度は"正当な"投資。あなたの実力を認めた上での、対等な契約」

「……分かった。受ける」


 彼女は顎を上げ、窓の外を見た。


「私が、自分の力で両親を救う。それが、メンデルスゾーン家のやり方」


 太陽は、その横顔を見て、胸の中で何かが温まるのを感じた。


「それで――」


 レオンが再び身を乗り出した。


「ヴォイドで"零度の炎"だって? どういう理屈だ?」

「理屈は翼に頼む」

「理屈は後で資料にする。今日は"武勇伝"だけでいい」


 翼が肩をすくめる。太陽は、皆の視線にちょっと居心地悪そうに頭をかいて、それでも話し始めた。

 フロストの白、やたのかがみの鳴り、くさなぎの冷たい火。落ちる感覚、支える掌、通じ合う呼吸。

 話は何度も途切れ、笑いと溜息と労りの声で繋がれた。


「やたのかがみ、ね」


 レオンが顎に手を当てる。


「熱転換装甲の"受ける"から"返す"への進化――理論的には分かるけど、実装が難しい。よく間に合ったな」

「間に合ってない。試作段階で、ぶっつけ本番」


 翼が苦笑する。


「でも、よーちゃんの"熱"と噛み合った。それが、奇跡」

「奇跡、か」


 太陽が呟く。


「俺たちは、奇跡を使ってる。AZ技術も、うずめも、やたのかがみも――全部、氷の下から拾った"奇跡"の延長だ」

「それを忘れちゃいけない、ってことね」


 サヤが静かに言った。


「ディートハルトは、それを恐れた。奇跡に依存して、人の力を忘れることを」

「でも、俺たちは忘れない」


 太陽が拳を握る。


「奇跡を使うのは、人だ。技術を動かすのは、人だ。――俺たちが、ちゃんと使う」

「そのための勉強、ね」


 レナがため息をつく。


「フェスが終わって、事件が終わって――また、日常」

「ブエノ! 日常、最高だね!」


 ルカが笑う。


「死にかけた後の日常は、特に美味い!」


 ディートハルトのことを問う声もあった。太陽は正直に答える。


「拘束した。上に引き渡す。――終わりじゃない。始まりだ」

「始まり、か」


 レオンが天井を見上げ、サヤが「次の祭りは、フェスじゃなくて"裁き"ね」とつぶやいた。

 カタリーナはそれには何も返さず、ただ太陽の横顔を見ていた。翼は二人を見比べて、小さく息を吐き、笑った。

 危機感は消えない。けれど、それも含めて"今"だ。

 窓の外、氷の輪はいつも通り。極光は薄く、A.Z.の外郭は寡黙だ。だが、ガーデンの内側だけは少し"温かい"。

 やたのかがみの余熱がまだ見えない形で残っているみたいに、笑い声の端に火が灯っている。


「ねぇねぇ、ソル!」


 ルカがわざとらしく唐突に言った。


「"零度の炎"の名前、考えようよ! ロマンは必要だ!」

「こら、茶化すな」


 丈が即座に止め、みんなが笑い、翼が「資料名は"技術的現象ZEF"で確定」と真顔で追い打ちを掛けた。

 太陽は肩をすくめ、やっぱり笑った。

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