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A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第2章『叛罪教戒(ヌリファイ・シンズ)』
23/25

12:零度の炎

「よーちゃん、最大の一撃、作れる?」

「作る。合図をくれ」

「三拍子で行く。私が"切っ掛け"、リーナが"抜け道"を作る。あなたは全部を"まとめる"」

「了解」


 フロストが構えを変えた。雪華の瞳を中央に集め、胸腔の渦を縦に裂いて一本の"槍"を作る。破壊光線の最短射。――狙いは当然、やたのかがみだ。盾を破れなくても、受けるたびに"面"は疲労する。フロストはそのことわりを理解しつつある。


「数えます――いち」


 翼の声と同時、フロストが撃つ。白い槍。

 太陽は真正面で受けた。やたのかがみの面が深く鳴り、吸われた熱が刃の中に"芯"として蓄積される。手の内のくさなぎが、震えではなく呼吸を始めた。


「に」


 カタリーナが氷壁を蹴って高い弧を描き、フロストの左肩――雪華の"縫い目"に踵を打ち込む。乾いた音。結晶の編み目が一瞬"逆目"になる。彼女は反動で回転し、空中で一拍の"隙"を作る。フロストの視線がそこへ流れ、胸腔の渦に微細な乱れ。


「さん」


 翼の指が走る。やたのかがみの周縁に余剰熱の"縁取り"が施され、刃の背を伝って太陽の"炉"へ最後の一息が送り込まれる。


「今!」


 太陽は前へ踏み、やたのかがみを半身で"畳む"。鏡の面が刃の裏に沿って滑り、溜めこんだ熱が一条に集約される。

 くさなぎが"燃えた"。

 燃え上がらない炎、零度の明滅。刃にまとわりつくのは灼熱ではなく、秩序だ。

 分子の乱れを奪い、結晶の無表情に"ひびの方程式"を書き込む冷たい火。


「――"零度の炎"」


 声は誰のものでもあり、三人のものでもあった。

 太陽は一歩で間合いを詰め、刃を"置く"。振るうのではない。置く。

 置いた瞬間に、刃の周囲で理が反転する。フロストの胸腔――命令列と人の声の泥が渦巻く"核"に、冷たい火が浸透していく。雪華の瞳が一斉に見開かれ、内側から白が剥がれる。


「はぁああああああああああッ!!」


 太陽が吠える。

 抵抗。フロストは咆哮しない。

 ただ、床が千の声で悲鳴を上げる。閃光。結晶の蔓が刃に絡みつき、零度の炎を"凍らせ"ようとする。だが、凍る前に"奪われる"。やたのかがみで受け、くさなぎで返す循環が、ヴォイドという巨大な腹の中に一個の"心臓"を作った。


「押し切る!」


 カタリーナが肩の痛みを無視して背から支えに入る。翼は端末でフロストの自己修復アルゴリズムに偽の"収束点"を示し、修復の糸を刃の"先"に集めさせる。集まった糸は"燃える"。零度の炎は、縫い合わせようとする意志そのものを糸口にして、結晶の秩序を奪っていく。

 ぱきん――と、小さな音がした。最初の"芯"が折れた音だ。

 続いて、ばらり、と乾いた雪のように結晶片がこぼれる。フロストの胸腔に、黒い"穴"が生まれ、その向こう側に、濁った赤と冷たい青に照らされた人の輪郭が覗いた。


「そこだ――!」


 太陽は刃を押し込みすぎず、角度を切り替える。切断ではなく、"掬い上げる"。

 翼が磁場を局所的に"温め"、フロストの冷えた拘束力を一瞬弱める。カタリーナがアシェンプテルのアームを伸ばし、穴へ腕を差し入れて掴む。

 冷たい硬さ。薄い布の感触。――人の腕。


「……ぬるい正義で、世界は温まらない」


 掠れた声が、氷砂の中から漏れた。ディートハルトだ。眼は見開かれ、唇は笑おうとして凍り、頬は霜に焼かれて白い。彼の体はフロストの"蔦"にまだ絡まれている。

 太陽はくさなぎの背で蔦を順に"潰し"、翼は拘束プロトコルを上書きして電磁の"手錠"を彼の手首に掛けた。


「……出た」


 カタリーナが低く言い、力を込めてディートハルトを氷の胎から引き剥がす。

 フロストの胸腔が"空洞"になる。瞬間、ショーカは自我の芯を失い、白い息が弱まった。自己修復の糸が惰性で震え、雪華の瞳が一つ、二つと消えていく。


「まだ――」


 翼が警戒の声を上げかけたが、太陽が首を振る。


「もう、核を失ってる。落ちるだけだ」


 言葉通り、フロストの巨躯は糸が切れた人形のように膝を折り、砕けた橋のように斜めに崩れた。結晶片がヴォイドの空気に吸われ、粉雪のように漂って、やがて見えなくなる。

 残ったのは、冷たい静寂と、拘束された一人の男、そして血のにおいだけだ。


「……終わった、のね」


 カタリーナの声には安堵と疲労が半分ずつ混じっていた。彼女の肩からはまだ血が滲み、白い装甲に赤い花を咲かせている。

 太陽は近づき、応急の止血パッチを彼女の肩に貼った。体温の戻った掌が、確かな圧で出血を押さえる。


「助かった」


 短く言って、太陽は彼女の目を見る。氷のように澄んだ青。その底に、さっきまでなかった色がわずかに滲んでいる。


「あなたが、私を信じた。それを、私は返す。……ありがとう、太陽」


 言葉は飾りがなく、だから重かった。太陽は少しだけ照れたように笑って、「おう」とだけ返す。

 やたのかがみがまだ薄く鳴っていて、胸の中の"炉"の温度が、今度は静かに落ち着いていく。


「拘束、確認。生命反応、生存。――搬送経路、上方向は崩落。横に旧保守坑が伸びてる。"四十五メートル先に接続点"」


 翼が現実へ連れ戻す。端末の投影に古い坑道の図が現れ、その先に"地上"へ繋がる細い線が伸びている。

 三人はそれぞれ頷き、ディートハルトを固定した簡易担架を作った。アシェンプテルが肩で受け、太陽が前、翼が後ろを支える。


「よーちゃん」


 歩き出す前、翼が呼び止める。睫毛の上に霜が残っているのか、彼女の目元はいつもより白く見えた。


「……さっきの"貸し"、チャラは嘘。私は記帳、忘れない。――それと」

「それと?」

「リーナに、好かれた」


 言い切るのに勇気が要るとでもいうように、翼は一拍置いてから続けた。


「あなたが彼女の"無実"を、行動で証明した。命を救って、背中を預け合って、"線"を引いた。――それは、好きになる」


 太陽は返事に迷い、苦笑で誤魔化しかけてから、ちゃんと正直に言った。


「嬉しいよ。たぶん、俺も」

「知ってる」


 翼は小さく笑い、それからいつもの調子に戻す。


「だからって、調子に乗ったら"冷やす"」

「やだな、いつも冷やされてる気がする」

「気のせい。……行こう。外で"温かい"話をしよう」


 ヴォイドの縁に沿う旧坑道は狭く、暗い。三人は交代で前に立ち、足場を確かめ、凍った梯子を丁寧に上った。

 途中、薄い氷の壁の向こうに古い採掘機の影が眠っているのが見え、翼が「後で資料に起こす」とだけ言った。

 今は、上だ。

 どれだけ時間がかかったか、誰も正確には分からない。やがて、風の匂いが変わり、遠い機械音が戻ってきた。緊急封鎖が解かれ、救助のドローンの羽音が近づいてくる。

 三人は互いに肩で笑い、担架の固定をもう一度確かめた。

 地下で起きたこと、彼らが見たこと、そして"決めた線"――それらすべてが、これから語られることになる。

 だが今は、ただ前へ。光の方へ。

 極光に至る道は、まだ続いている。

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