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A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第2章『叛罪教戒(ヌリファイ・シンズ)』
22/25

11:やたのかがみ

 音のない極低温破壊光線。空間が薄く歪み、結晶の軌跡が直線に生える。

 太陽は左足のうずめを強踏みして熱路を逆相にし、肩から肘へ"冷え"を走らせて斜め前へ滑り込む。くさなぎの無刃の冷光が光線の余波を"食い"、生まれた霧が一瞬で凍り、粉になって散った。

 上段、カタリーナが飛ぶ。

 アシェンプテルのスラスターはこの空気の薄さに不機嫌だが、それでも彼女の体幹は揺れない。ヒールの爪先が氷の柱を掴み、反転、落下の勢いを乗せてフロストの肩関節に"踵"を入れる。

 鈍い音。結晶の蔓が縮んでバネのように反発し、フロストはわずかに体勢を崩す。


「トリィ! 視界、取れるか!」

「右三十度、弱点"模様"の乱れ――そこ!」


 太陽は指示へ身を投げ、くさなぎを水平に払う。フロストの胸の雪華紋様が一瞬"逆目"になって光り、そこへ冷刃が触れる。

 凍る。結晶は低温でこそ硬いが、均一性を奪われると脆い。ひびが走る。

 だが、走ったひびの奥から新しい雪が生え、無表情に"修復"が始まる。


「しぶとい……!」

「しぶといのは、私たちも」


 カタリーナが笑わずに言い、側頭部を掠める冷線を首の角度一つで躱す。反撃のダス・シルバー二連射。白線は結晶の縫い目を狙って潜り、内側のTeCの残骸に音のない火花を散らす。

 フロストは無反応。次の瞬間、足元のプラットフォームが"鳴った"。フロストの"息"が床を這い、古い鋼板の分子振動を奪っていく。


「床、持たない――!」


 翼の警告とほぼ同時、フロストが両腕を交差させて叩き落とす。白い衝撃。

 太陽の視界が一瞬白飛びし、次に戻った時には、左腕の外骨格に細かいひびが入っていた。うずめの循環計がカチリと色を変え、警告を赤で点滅させる。


「よーちゃん! 限界域! 深部温度、下げが止まらない! もう逃がせる熱がない!」

「大丈夫……まだいける」


 言葉は強がりではない。太陽は前に出る。出ながら己の動きが"軽すぎる"ことに気付く。軽いのは良い兆候ではない。体温を支える重さが抜けている。視界の縁が細る。

 そこへ、フロストが"学習"した照準で破壊光線を再出力した。一本が太陽、一本が上段のカタリーナ、残る散弾が翼の端末を狙う三点同時。最短で潰す手筋だ。


「させない」


 カタリーナが体を入れた。アシェンプテルの翼を盾にして太陽の前へ落ち、躊躇なく自身の装甲と肩を光線の前に差し出す。

 白い閃光。金属の焼ける匂い。アシェンプテルの装甲が悲鳴を上げ、カタリーナの肩口から鮮やかな赤が滲む。


「リーナ!」

「行って!」


 短い。切断のように短い声。彼女は太陽の胸を掌で押した。押し出す。逃がすためではない。前へ。

 翼はその一瞬に賭けていた。端末が太陽の胸当てに再び打ち当てられる。


「よーちゃん、"これ"を渡す。ひるめの完全体――『おおひるめ』の試作、"零"。設計は間に合わない。だけど"核"は同じ。あなたのうずめと"噛む"」


 視界に、複雑な幾何学が流れ込む。設計ではない。呼吸だ。熱の吸い方、返し方、貯め方――人が見てきた炎と氷のあいだの"段取り"。それが図形と言語で太陽の身体に差し込まれる。


「展開、可能域! ただし、起動には大きい"声"が要る!」


 翼の叫びに、太陽は頷いた。声なら、持っている。燃え余り、冷え過ぎて、形だけ残った芯がまだある。


「――『おおひるめ零』、起きろぉおッ!!」


 手を前に。うずめの循環へ新しい"路"が接続され、背面のユニットが一瞬だけ無音になり――次の瞬間、鳴った。

 低く、深く、氷の底から湧くような音。

 太陽の前腕に、古い鏡のような円盤が稲妻めいて編まれ、幾層もの薄い"膜"が重なって一枚の盾になる。

 熱転換装甲盾――『やたのかがみ』。

 フロストの破壊光が、そこへ至る。普通の盾なら貫かれる。普通の冷却なら凍り付く。

 やたのかがみは違う。

 奪う。来た熱をその場で相転移の"淵"に引き込み、太陽の内側へ"栄養"として押し返す。

 衝突。視界が白で満たされる。だが、刹那の後、白は太陽の中に沈む。頬に戻る色。胸の奥がひとつ、ふたつと温まっていく。細くなっていた視界が開く。指先の感覚が戻る。冷えた筋肉へ、熱が帰る。


「……これが、"鏡"……!」


 太陽の声に驚きが混じる。やたのかがみの表層で、雪華の紋様が"逆回転"し、フロストの光線が力を失って白い霧に変わる。霧は太陽の皮膚のすぐ外で薄くなり、やがて消える。

 代わりに、彼の胸の"炉"が静かに立ち上がっていく。


「よーちゃん、体温戻ってる! 深部三四! コールドアウト、回避!」


 太陽は短く笑い、くさなぎを握り直した。カタリーナが肩で息をしながら、血に濡れた口元で強情に笑う。


「これで貸しは……チャラよ……」

「……もう一回『貸す』からな、死ぬなよ」


 目線が交わり、次の瞬間には二人とも前を向いていた。

 上方でフロストが姿勢を変える。学習が速い。やたのかがみの応答を見て、光線のスペクトルを変えるつもりだ。胸腔の渦が異なる周波で鳴り、雪華の瞳が一斉に細くなる。


「来る。今度は広域、拡散型」

「翼、やたのかがみは"面"で受けても"腹"が足りない。出力をどうにか盛れるか」

「できる。うずめの余剰熱を"鏡"の縁に循環させる。副反応で発生する低温域は、私が"食べる"。――アシェンプテル、貸して。冷却路を私の端末に繋ぐ」

「分かったわ」


 カタリーナが自分の傷口に応急のジェルを叩き込みながら答え、背のアシェンプテルの冷却系を翼のデバイスへ解放する。

 三者の"路"がつながった。熱は太陽へ、冷えは翼へ、制御はリーナへ。


「隊形、三角。よーちゃん先頭。私が右で押さえる。リーナ、左から抉る」

「了解!」


 フロストが"息"を吸う。白い世界の奥で、黒い核が微かに笑った気がした。ディートハルトの声の残滓が、氷砂のように渦に混じる。


「罪は昇華し、形を得る――」

「形があるなら、斬れる!」


 太陽が低く言い、踏み出す。やたのかがみが前面で鳴り、くさなぎがその影から覗く。

 フロストの拡散光が空間を白く満たし、鏡に吸い込まれて太陽の芯を温める。温まるたび、刃は深く、視界は静かになる。

 カタリーナの二重の影が左から差し込み、雪華の"縫い目"を鋭く裂く。翼の端末が右から冷えの歪みを誘導し、フロストの自己修復の"段取り"を崩す。

 反撃。床が再び鳴り、壁面の氷層がうねる。だがもう、太陽の身体から震えが消えている。熱は敵ではなく、糧だ。やたのかがみが呼吸し、うずめが巡り、くさなぎが歌う。

 フロストが初めて"後退"した。雪華の瞳が一つ、また一つと暗くなり、胸腔の渦が乱れる。TeCから借りた命令列が飽和し、人の声の残滓がざわめく。


「押せる!」

「押す!」

「行っけぇええええ!!」


 三人の声が重なり、ヴォイドの寒い空気に熱い"筋"が一本走った。上も下もない巨大な空洞で、若い三つの息が同期する。

 技術は刃であり、盾であり、橋である――今は、彼ら自身の"線"だ。

 ショーカの白が、わずかに退いた。大空洞の闇が、その隙間から深く覗く。

 決戦の幕は、もう上がっている。

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