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A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第2章『叛罪教戒(ヌリファイ・シンズ)』
20/25

09:サブリメイト

 最初は小さな振動だった。

 床の金属プレートが、微かに震える。次いで、壁の配管が軋む音。


「……何?」


 翼が端末を見る。画面に、地下区画の構造図が展開され――赤いアラートが複数箇所で点滅し始めた。


『警告:サブリメイト係数、レベルEに遷移』

「待って、"歪み"が増幅してる……!」


 翼の声が上擦る。


「熱の収支が合わない。回収したはずの"過剰熱"が、どこにも戻ってない」

「うずめが取りこぼしたってことか?」

「違う。クオリティが変わってる」


 翼は短く息を吸い、言葉を切り替える。


「――サブリメイト現象。A.Z.以降の環境では、強い温度勾配と圧力偏差、それに"意図の連続"が重なると、熱そのものが相を跨いで擬似的に"凝縮"することがあるの。普通は散って終わるけど、ここは地下、閉鎖系、しかも戦闘で発生した大量の熱と"恐れ""憎しみ"が層になってた。閾値を超えると――」

「"何か"になる」


 カタリーナが静かに継いだ。反射した声が、室内の空気を重くする。


「そう。"ショーカ"。サブリメイト現象を核に、熱と圧の歪みが擬似物質として顕現する『具現体』」


 壁面のパネルが一斉に霜を吹いた。薄い白が走り、ただの霜ではない"模様"に変わる。雪華に似て、しかし刺々しく、そしてどこか記号的な結晶。

 天井のダクトから冷風が逆流し、金属音が遠雷みたいに続いた。


「最初からそれを狙ってやがったのか…?!」


 太陽のうなじが総毛立つ。くさなぎの冷光がかすかに明滅し、うずめの熱路が"空虚"を掴むように鳴った。

 ディートハルトは、静かに笑った。


「私が今から行う事――それは、"証明"だよ」


 黒い床の中央、TeCの残骸が勝手に軋み始める。潰れた四脚、割れた発振器、冷えたプラズマセル。そこへ、白い"霧"が糸を引いて吸い込まれる。

 霧は温度を持っていない。触れた金属だけが悲鳴を上げる。

 やがて、金属の山は自重を忘れて立ち上がり、鋼と氷の混血みたいな輪郭が生まれた。

 首――と呼ぶには平たい"面"。眼――の代わりに、雪の花弁がぎっしりと敷き詰められ、内側から薄青い光が揺らぐ。肩は砕けたローダーのアーム。胸腔には、TeCのコアと研究棟の制御モジュール群が渦を巻き、そこに霜の紋が鎖のように絡みついている。


「ショーカ『フロスト』……!」


 翼が名を与えた瞬間、空気がさらに重く沈んだ。名前は輪郭を鋭くする。

 フロストは感情のない動作で首を傾げ、白い息を吐いた。息が壁を撫で、コンクリートが鳴る。表面に薄氷が貼られ、すぐに割れず、伸びる。


「見たまえ!」


 ディートハルトが高笑いした。警報の赤に照らされ、歪みは悪魔の仮面に変わる。


「私には勝てても、人類が背負う大罪に勝つことは出来まい! 技術への慢心、所有への渇望、支配への甘美! 君たちが燃やし、冷やし、奪い合った熱が、形になった!」


 ショーカは呼び声に振り向きもしない。代わりに、胸腔の渦がディートハルトを"捉えた"。彼の足元の霜が瞬時に伸び、踝を、膝を、腰を絡め取る。

 翼が反応して拘束磁場を上げるが、フロストの冷えは磁場ごと"鈍らせる"。

 太陽が踏み込んだ。


「離れろ、ディートハルト!」


 くさなぎが白を裂いた。しかし切断面は"再結"する。斬るそばから、雪華の紋が元通りに咲く。

 ディートハルトは笑いながら、胸の渦へ沈んでいく。


「ぬるい正義では、世界は温まらんよ!!」


 最後の言葉が泡みたいに弾け、彼の身体はTeCの残骸と制御モジュールとともに、渦の中心――"行動核"へ吸い込まれた。

 ショーカの内部で、赤と青のランプが点滅し、いくつもの命令列が歪んだ言語に翻訳されて走る。

 フロストが"目的"を得た。


「まずい、命令系が繋がった。――破壊工作、優先!」


 翼の顔から血の気が引く。壁の配電盤がひとつ、弾けた。天井の補機が千切れ、吹き出した冷媒が雪のように渦へ吸われる。

 フロストは静かな足取りで床を踏み、踏んだ先から"音"を奪う。金属が声を失い、環境音のない世界が広がる。


「止める!」


 太陽は迷わず飛び込む。

 次の戦いが、始まろうとしていた。

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