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A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第2章『叛罪教戒(ヌリファイ・シンズ)』
16/25

05:俺は、信じる

 レオンが撃たれてから四日目の朝、セルシウスガーデンの空は相変わらず薄い。透明な天井を流れる極光は、こちらの騒ぎなど知らない顔で、冷たい絹を引いていく。


「――俺は、信じる」


 訓練区画へ続く回廊――幅五メートルほどの通路で、太陽ははっきり言った。両側の壁は透明で、外の氷原が見える。隣で歩いていた翼が目を瞬く。前を行く金髪の背中は振り向かない。だが、歩幅がわずかに整い、靴音の間隔が一定になる。


「誰を」

「カタリーナを。リーナはそういうこと、しない。戦った俺がいちばん分かってる」


 言葉は軽くない。太陽の喉の熱は、空気の冷えに負けない強度で鳴っていた。


「根拠は?」

「胸の真ん中に残ってる"温度"。あの時、こいつはズルを選べるやつじゃなかった」

「ロマンチスト」


 翼は肩で笑い、そのまま真顔に戻った。


「……で、証拠は私が拾う」


 前を歩くカタリーナが、ようやく立ち止まる。振り返った瞳は氷結しているのに、底に火がある。


「いいわ。噂は姿を持っていない。でも、痕跡は残る。――『武器』から追う」


 彼女が病棟のベッドで言った言葉が思い出される。レオンの傷口の縁に残っていた焼けの模様。展示会で見飽きるほど眺めた、シェーンベルク財団の小型レーザーピストルの癖。それは"確からしさ"であり、同時にリーナへの嫌疑を深くする刃でもあった。


「学園に、シェーンベルクのサテライトノードがある。研究顧問のディートハルト・バックハウスは常時接続権限を持つ。――そこに、貸与・返却のログ、貸し出し権限のトレース、そして内部連絡のメタデータが残るはず」


 翼の声は淡々としているが、目は少しだけ乾いていた。徹夜明けだ。レオンの手を握っていた時間の分だけ、彼女は別の時間を削っている。


「"そこに入る"のに、許可は下りない」

「許可が下りないところは、入ったあとで『必要だった』と説明するもの」

「それ、つまり不正アクセス」

「"倫理的ジレンマの克服"とも言う」

「……お前さ、時々怖いよな」

「よーちゃんが"熱"担当なら、私は"冷却"担当だから」


 毒のない会話を一つ交わし、三人は目的地へ向かった。

 廊下を進みながら、太陽は昨日の授業を思い出していた。教授が語った叛罪教戒の話。TeCによるテロ、内通者の可能性――


(もし本当にヌリファイ・シンズが絡んでいるなら……)


 考えかけて、太陽は首を振った。今は目の前のことに集中しなければ。

 学園中枢棟の一角に、企業連携ラボの区画はある。

 廊下から透明な壁越しに、内部が見える。奥行き二十メートルほどの長方形の空間に、白衣の研究者たちが行き交っている。プレートの上にはいくつものスポンサーのロゴが並び、シェーンベルク財団の紋章はその中心に鎮座していた。

 透明壁の内側を行き交う白衣の影。鍵の向こう側の空気は、外より幾分"温かい"。資金と電力が、目に見えない暖かさを生む。


「入退室管理のメインチャンネルは、物理的にはこの壁の中。だけど、サブのメンテナンスバスは、上階の空調ダクトの保守端末から届く」


 翼は名札を胸ポケットにしまい、作業員ベストを羽織った。太陽はその背後で、堂々と荷物持ちの顔をする。カタリーナは何も着替えず、顎だけを上げて歩いた。彼女の歩き方は、扉を開ける。

 上階へ続く階段を登る。天井が低くなり、配管が剥き出しになった保守エリアだ。パイプの継ぎ目から微かに白い霧が漏れ、足元の金属製の床がひんやりと冷たい。

 翼は迷わず、壁に埋め込まれた端末の前で立ち止まる。

 保守端末と言っても、やることは一つ。端末の背面パネルを外し、シリアルラインに細いブリッジを噛ませる。翼の指が、ちいさな鍵盤のように踊った。赤い"対策済"のタグが一瞬、黄色に揺れ、灰色に落ちる。


「――入った」

「簡単に言うなよ……」


 短い通気路に潜る風の音の中、翼は視界に浮かべた薄青のウィンドウを次々に滑らせた。入退室ログ。貸与品リスト。ナンバーの照合。返却時に付加されるパラメータの差。光の粒が、彼女の虹彩の上を走る。


「おかしい。……回収フラグのない移動がある」

「"持ち出し"?」

「いえ。台帳上、そこに存在しないはずの個体が"移動した"形跡。番号の仕様上、手で上書きした"上"にさらに正規の処理を乗せてる。二重化ログ」

「犯人は"綺麗"に見せたい人種」


 カタリーナが短く言い捨てる。唇の端がわずかに吊り上がる。自負のある嫌悪の形。


「待って――別件。『うずめシステム』へのアクセス痕」


 翼の声の温度が変わった。太陽の背筋が伸びる。画面には、学内から出て学外へ伸びる細い線が往復し、周期の中に不規則な"跳ね"が見えた。


「暗号化の上に偽装が載ってるけど、タイムスタンプは削れない。送信元は、顧問アクセス権限の"影"――ディートハルト・バックハウス」

「ディートハルト」


 名前を繰り返したのはカタリーナだった。冷えた声に、わずかな砂が混じる。


「……あの杖の、紳士気取り」


 翼は眉間に皺を寄せ、さらに深く潜る。暗号パケットの外郭に残る"手癖"。トンネルの出口で受ける側の応答時間の揺れ。そこに、ラベルの無い"宛先"が浮かび上がる。財団ドメイン外、しかし"近い"。セルシウスガーデンの地下区画、研究棟のさらに下――いわゆる"氷床下区画"のノードだ。


「……地下に、彼の"別部屋"がある」

「行く」


 誰より早く言ったのは太陽だ。翼は端末を閉じ、ブリッジを抜き、元通りにパネルを戻す。手際は完璧。カタリーナは踵を返し、顎の角度を半度上げた。

 地下区画は、学園の"昼"から切断されている。

 エレベーターは教員の静脈認証が必要だが、翼は一台分だけメンテナンスモードに落としていた。金属箱が沈む音は雪を踏むように静かだ。

 数字が減っていく。B1、B2、B3――

 扉が開くと、違う空気が出迎える。冷たい、しかし乾いた匂い。消毒液のそれでも、オイルのそれでもない。――封じられた場所の匂い。

 廊下は狭く、無彩色。幅は二メートルほど。天井は低く、蛍光灯が等間隔で並んでいる。扉には番号ではなく、記号が打たれている。

 翼は端末で無言の合図を送り、三人は音を殺して進んだ。角を曲がるたびに、太陽は息の速度を整える。胸の内で燃えるものが、冷えを忘れないように。


(この先に……何がある?)


 足音を殺して歩きながら、太陽は拳を握った。もし本当にディートハルトが関わっているなら――そして、もし彼が叛罪教戒の一員なら――

 目的の扉の前で、翼が立ち止まった。無圧のパネルに掌を当て、ピンを拾う。扉が滑って開く。

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