09:チームSOL
決闘が終わったドックは、祭りのあととは思えない熱気だった。
天井高二十メートルのハンガー。冷却配管がしゅうう、と白い霧を吐くたび、それに混じって歓声が揺れる。中央の運搬台には、紅だけを残した"ひるめ"が載せられている。保守用のアームがきぃ、と鳴きながら機体を支える。
その周囲を、百人を超える人々が取り囲んでいた。
「ソル! やったな!」
「見たぞ、あの踏み込み! 鳥肌立ったって!」
「マジでやり切るとはね!」
生徒たちが一斉に押し寄せ、太陽の肩や背中をばんばん叩く。機体から降りたばかりの太陽は、まだソーラースーツを着たまま、上着だけを羽織った状態だ。頬は紅潮し、息もまだ荒い。
翼は苦笑しつつ、その前に立って防波堤のように両手を広げた。
「はいはい、よーちゃんは体温管理中。勝利者インタビューは後で」
「だって、触りたいんだって!」
「触るなら看護ユニット通して!」
教師たちが慌ててロープを張り、ピッピッと誘導灯を振って群衆を押し戻す。だが押しても押しても湧いてくる。
中には学生ではない来訪者の姿も混じっていた。企業ロゴの入ったタグを胸につけたスーツ姿、軍部の識別章を付けた将校、白衣の研究員――皆、一様に、ひるめの胸郭の"奥"を見たがっている。
「解析班、入らせてください」
「ログの提供は?」
「外装の構造を――」
「順序! ガーデンの規則が先!」
担当教官が額の汗を拭い、声を張る。
「学生機の解析は申請書類が通ってから! 触るな、見るな、まず並べ!」
押し問答の渦。ざわめきは収まる気配がない。
そのとき――ひときわ落ち着いた声が、すっと空気を切った。
「――ソル。いや、草薙太陽くん」
ざわめきが波のように引いて、誰かが「あ」と呟く。
群衆の後方、ロープの向こうから、杖を携えた紳士が一歩、二歩と進み出る。銀の髪、薄い微笑、抑制の効いた所作。
胸元には、青い紋章――シェーンベルク財団のエンブレム。
人々が自然に道を開ける。
「君の勇気には、感心したよ」
シェーンベルク財団・技術顧問、ディートハルト・バックハウス。ガーデンに出向していると噂の人物だ。彼が名乗る前に、周囲はもう理解していた。途端に、喧噪がしんと沈む。
太陽は姿勢を正し、頭を下げた。翼も隣で小さく会釈する。
ディートハルトは柔らかく微笑みながら、ゆっくりとひるめへ視線を移した。
「君たちのARK……"ヒルメ"、だったかな」
「"ひるめ"です」
翼が控えめに訂正する。ディートハルトは柔らかく目を細めた。
「なるほど。名も良い。――それに関しては、多くは聞くまい」
言葉とは裏腹に、彼の視線は鋭い。紅の装甲ライン、パージレール、胸郭のスリット――隠されていた"くさなぎ"の収納部。見るべきところだけを、正確に撫でていく。
まるで設計図を透視するように。
「だが、君たちは私たちの"顔"に、一撃を入れてくれた。それだけは、覚えておこう」
場の温度が、ほんの少しだけ下がった気がした。誰もが息を飲む。"私たちの顔"――つまり、リーナとアシェンプテルを指している。シェーンベルク財団がスポンサーだ。
翼はほんのわずかに、太陽の肘を摘まんだ。
「……ありがとうございます」
太陽は、それでも正面から答えた。声は震えていない。
ディートハルトは満足そうでも、不満そうでもない顔で、ただ静かに頷いた。そして杖の先で床をコッと鳴らし、踵を返す。
「では、仕事に戻るとしよう。――良い夜を」
紳士はそれだけ言い残し、ゆっくりと群衆の間を抜けた。彼が通ると、人の波が素直に割れる。やがて、背中が白い霧に紛れて見えなくなる。
「なんなんだ、今の?」
太陽が眉を寄せる。翼は横目で周囲を見回し、小声で耳打ちした。
「目をつけられた、かもしれない。気を付けよう」
「だよな……」
緊張が解けると同時に、ドックの喧噪が一気に戻ってくる。
誰かが太陽の名前を呼び、誰かが翼を抱きしめ、誰かが泣き笑いで肩を叩く。
レオンが端末を振って駆け込んできた。
「ログ、全部取れた! これ、論文レベルだぞ!」
レナが「並べ」と一喝し、サヤがタオルを差し出す。ジョウが「担ぐの手伝う!」と腕をまくり、ルカが「アンコール!」と叫んで笑いを取る。バルトは少し離れたところで腕を組み、静かに頷いた。
「お前ら、いいチームだよ!」
群衆の誰かが叫ぶ。
「チーム名はないのか?」
「チーム名?」
太陽は翼と顔を見合わせる。
「決めてないよな、そんなの」
「うん……決めてない」
答えに困っていると、どこからか声が飛んだ。
「なら、お前らは――チームSOLだ!」
一拍の静寂。次いで、わぁっと潮が満ちるように歓声が押し寄せた。
「いいじゃん、それ!」
「分かりやすい!」
「"ソル"の太陽!」
「チームSOL! チームSOL!」
合唱が起きる。誰かが手拍子を入れ、誰かが笛を吹き、誰かが勝手にロゴ案をホロに描き始める。即席で作られた"SOL"の文字が、赤と白で輝く。
太陽は頭をかき、頬を赤くし、笑った。
「安直だけど――悪くない」
翼も笑う。少しだけ肩を寄せ、囁くように。
「"SOL"。ね。――正確には、よーちゃん一人じゃないけど」
「分かってる。みんなの"熱"だ」
ひるめの胸奥が微かに鳴る。整備台の上、紅のラインは静かに光る。
教師が「はい、散った散った!」と叫ぶが、誰も素直には散らない。誰かが差し入れのホットパックを配り、誰かが勝手に記念撮影を始め、誰かが床にへたり込んで空を見上げる。
空――ハンガーの天井には、薄いオーロラのホロ。氷の外で揺れる本物の極光が、わずかに反射して混じる。
南極の夜は、長く、冷たい。それでも、ここは温かい。
「よーちゃん」
「ん?」
「帰ろう。温かいの、用意してある」
「賛成」
二人が歩き出すと、自然に道が開いた。肩を組む者、手を振る者、泣き笑いする者。道の両側で、「チームSOL!」の合唱が続いている。
背後で、ひるめのメンテ表示がひとつ、緑に切り替わった。パージした装甲は戻らない。だが、"殻"の下に残った核は、確かに強くなっている。
遠く、巨大な外郭――《AZ》の黒が、無言でそびえている。絶対零度の名を持つ遺跡。そこから拾い上げられた冷たい火は、今日、確かに人を照らした。
チームSOL。太陽のあだ名から借りた、安直な名。けれど、今夜の勝者には、それで十分だった。
――その夜。給湯室。
翼が用意したのは、祖母特製の生姜湯に、ほんの少しだけ唐辛子を効かせたものだった。太陽は一口飲んで、むせた。
「うっ……攻めてるな」
「体温、戻すには最適」
翼は笑って、自分のカップに口をつける。窓の向こうには、薄い極光。氷の大地。そして、その下に眠る黒い遺跡。
「よーちゃん」
「ん?」
「"くさなぎ"のこと、怒ってる?」
太陽は少し考えて、首を振った。
「怒ってない。……助かった」
「ごめん。でも、あれがないと勝てなかった」
「分かってる。――でも、次は教えてくれよな」
「うん。約束」
二人は静かに湯気を見つめる。熱が指先に染み、胸に広がる。冷えた体が、ゆっくりと温まっていく。
「……極光に至る道、か」
太陽が呟く。翼が小さく頷いた。
「まだ始まったばかり。でも、確かに一歩、進んだ」
「次は――」
「次は、もっと」
短い言葉が、全てを抱きしめた。
極光に至る道は、まだ始まったばかりだ。




