表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A.Z.〈アブソリュート・ゼロ〉  作者: 軟膏
第1章『セルシウスフェス』
10/25

08:くさなぎ

 開始から九分経過。

 ひるめの装甲は、二枚、三枚と剥がれ続けた。

 バシュッ――また一枚、装甲が落ちた。


『二枚目――パージ!』


 紅白は、白の面積を減らし、紅のラインがより鋭く見える。軽い。確かに軽い。距離、二メートル。

 ――だが、寒い。


「よーちゃん、あと一枚までは耐えられる。そこから先は――」

「分かってる。……まだ、剥がさない」


 太陽の声は掠れている。だが、折れていない。

 観客は、静かに、熱く。ざわめきが波になり、誰かの声が飛ぶ。


「ソルー!」


 アシェンプテルのコアが揺れる。リーナの頬は白く、瞳は燃える。


《警告:PILOT BODY TEMP ↓ 4.4℃》

(五分――か)


 彼女は内心で、小さく笑った。五分に持ち込むための準備を、この子たちは"やってきた"。ならばこちらも、五分を超えてみせる。


「――来なさい、草薙 太陽!」

『行くぞぉッ!』


 白煙が、最後の二つに減った。デコイも、もう数えるほど。前装甲のパージラインは、薄く、細く、赤く光る。

 太陽は深く息を吸い、吐く。胸の"熱"を探す。


(まだある。まだ、ある!)


 耐久を繰り返す。前進を繰り返す。ただひたすら、愚直に繰り返す。そのたびに、機体が悲鳴を上げる。

 ――そして。

 バシュッ――三枚目の装甲が、空へ弾けた。


『三枚目、パージ! "ひるめ"、さらに身軽に!』


 紅が、白を追い越す。シルエットが細くなる。踊るように、曲がり、敵の攻撃への対処は防御から回避へと遷移する。距離、一メートル。

 ――だが、UZUMEのバーは『99%』を打ち、震える。


「……トリィ」

「分かってる。――限界が、来る」


 レオンが唇を噛み、レナが首を振る。サヤの目に涙が溜まり、ジョウが拳を握る。バルトは目を閉じ、ひとつ息を吐いた。


『アシェンプテル、なおも攻勢!』


 白金の光。青金の軌跡。紅白の影。チキンレースは、最終盤へ。活動限界は、両者の胸に――冷たい手で触れていた。

 開始から十一分経過。

 紅白の影は、もうほとんど"白"を失っていた。

 "ひるめ"の外装は三度、四度と剥がれ、メインのパネルは裂け目を抱え、前腕の耐熱コートは焦げ、肩のパージレールは歪んでいる。右手の"サウザンスター"はとうに砕け、三六式投射砲の残弾も尽きた。手持ちの武器は、何もない。

 片や、青金の"アシェンプテル"。コアはなおも唸り、出力は過剰に近い。機体は美しいままだが、冷却効率は落ち、姿勢制御はわずかに荒い。なにより、コックピットの少女の体温表示は、赤の閾値を越えてなお、じわじわと下がり続けていた。


《警告:PILOT BODY TEMP ↓ 5.0℃》


 観客席は、静かだった。叫び疲れたのではない。息を止めて、見ているのだ。最後の一手を。


『――双方、限界域!』


 実況の声が上擦る。

 距離、五十センチ。両機は、ほぼ抱き合うような距離で対峙している。


「よーちゃん」


 翼の声が、静かに届く。


「最後の一枚。――"殻"を、使って」

『……了解……!』


 太陽の返答は短い。息は荒いが、折れていない。胸の中の熱は、まだ"ある"。それがあれば戦える。武器はないが、いざとなれば拳を叩きこむだけだ。

 アシェンプテルが、腰を落とす。白銀の銃身が無音の起点でチャージに入る。背の"ゴルト"はもう使い切り、腰の"ハーゼル"も熱暴走に近い。残るは――白い針の、最後の一射。


(終わらせる)


 リーナの瞳は氷のように澄み、同時に燃えていた。美しく、無慈悲に。ショーとしても、勝負としても、完璧な終幕を。

 ――音はない。だが、空気が鳴る。観客の耳鳴りのように、静かな圧が満ちる。

 太陽は、前装甲を立てた――最後の一枚。白い"殻"。


「よーちゃん、聞いて。受ける。角度は、三度。姿勢は――ここ」


 翼の声は震えていない。指先だけが汗ばむ。


『了解、任せろ!』


 白と金が、正面で交差した。距離、ゼロ。


『"シルバー"――ラストショット!』


 ――ズドン!

 白い針が、紅白の胸板に突き立つ。

 ――ドクン。

 "うずめ"が、最後の峰を丸めにいく。だが、負荷バーは『100%』を突き破って、赤の警告を鳴らした。


《CRITICAL:UZUME OVERLOAD》


 変換材が悲鳴を上げ、循環路が飽和しかける。ソーラースーツの熱回路はまだ生きている。だが、相手のダメージを受けられる余裕は、もうない。


『……っ!』


 太陽の視界が白く閃いた。痛みではない。冷たさでもない。――"軽さ"。

 バシュッ。

 最後の装甲が、弾け飛ぶ。白い"殻"は空へ散り、紅のラインだけが、機体の輪郭を残した。


『"ひるめ"、フルパージ!』


 実況の叫びに重なるように、翼の声が短く跳ねた。


「――いま!」


 太陽は、踏み込んだ。

 受けない。避けない。前へ。

 グンと重心が落ち、背のスラスターが一瞬だけ"吠える"。重いはずの躯体が、羽根を得たように前へ滑る。

 白い針は、装甲を消し飛ばしただけで、心臓までは至らなかった。角度。三度。――それだけの差が、命を分けた。

 距離、ゼロ。正面で、機体同士が視界いっぱいに膨らむ。


(――終わり)


 リーナはそう思った。終幕。

 その刹那。

 紅の胸郭の奥で、コッ、コッと一定だった鼓動が、一段、深く鳴った。

 ――カシャン。

 パージで露わになった胸奥の、さらに奥。そこに、細い"スリット"が開き、薄い鞘にしまわれていた一本の刃が、するり、と吐き出される。

 白でも、金でもない。透明に近い、青白い光をまとった細身の長剣。

 ――コールドブレード"くさなぎ"。

 祖父が打った実体刀を元に、コールドⅡ技術で加工されたハイブリッド型の刃。純粋なエネルギー兵器ではない。実体の刀身にコールドⅡのエネルギーを載せる構造――だからこそ、元となった刀の鍛造技術が、その切れ味を決める。

 その名は太陽すら知らない。意図的に知らされなかったのだから当然だ。

 だが、太陽は己の姓と名を同じくする"くさなぎ"を握った。

 藁にも縋る思いがそうさせたのか、太陽に秘められた天性の戦闘センスがそうさせたのか。

 ともかく――無意識の内に、太陽は祖父の打った刀を握りしめていた!

 ――記憶。遠い日の祖父の声。


(良いか、太陽。刀を振るう時は、無意無心、忘我の境地に至れ、そうすれば――)


 まるで最初からそうするように設計されていた動きで、右手が柄を取り、左手が小さく添えた。


(そうすれば、後は体が勝手にやってくれる――)


 刃が、微かに"鳴く"。空気を凍らせ、そして裂く、鈴の音のように。


「――!」


 リーナの瞳孔が開く。ハーゼルの面焼きが一瞬だけ薄くなり、次の"突き"へ移ろうとする。だが、その"瞬き"ほどの隙が、全てを分けた。

 太陽は、踏み込みの力をそのまま刃へ乗せた。

 しゃりん――と、音は、驚くほど小さかった。

 白金の胸郭に、透明の線が一本、走る。時間が一瞬だけ"遅く"なる。

 アシェンプテルの外装が、意志を持つかのように僅かに抗い、そして従う。冷気が刃の先で黒く縮み、裂け目はコアへ一直線に伸びていく。


 ――ピキ。


 高い、乾いた音。

 次の瞬間、白金の心臓が、真っ二つに"割れた"。

 青白く脈打っていた《コールドⅡ》のコアが、中心から"静かに"崩れる。光が消えるのではない。陽炎がしぼむように、ふっと薄くなって、消えた。

 アシェンプテルの全身から、力が抜ける。姿勢制御が"遅れる"。膝関節が、ガクリと折れた。

 リーナは、膝をついた。

 観客席が、遅れて爆ぜる。


 ――うわぁぁぁぁぁ――!


 実況は、言葉を失い、マイクが雑音を拾う。スポンサー席で誰かが立ち上がり、研究者たちが一斉に何かを叫ぶ。

 バックヤードでは、誰かが椅子を倒し、誰かが泣き、誰かが笑った。


「……勝った」


 レオンが呟き、レナが目を押さえる。サヤが泣き笑いで手を合わせ、ジョウが叫ぶ。


「やったぁぁ!」


 バルトは短く息を吐き、ほんの僅かに口角を上げた。


「よーちゃん!」


 翼の声が震える。震えて、笑う。


『――まだ、立ってる。俺、まだ、立ってる!』


 太陽の声は、息も絶え絶えで、それでも弾んでいた。

 "くさなぎ"の刃が、その手の中できらめく。機体は自動で安全姿勢に移行した。

 アシェンプテルを構成する装備が、緊急救助手順で解除される。白い霧がふっと舞い、ソーラースーツだけを身にまとった冷え切った少女の顔が現れる。頬は青白いが、瞳は確かに生きていた。

 太陽は、一歩、近づいた。機体の関節がギシと鳴る。右手を、そっと差し出す。

 リーナの視線が、その手を見て、顔を見て、また手を見た。彼女は、一拍置いて――その手を、払った。

 だが、払いのけた勢いで、前のめりに倒れそうになり、駆け付けたサポート要員に支えられる。起き上がると、ほんの少しだけ頬を赤くして、冷たい声で言った。


「……まだ、認めたわけじゃないわ」


 言葉と裏腹に、その瞳は、僅かに揺れていた。ショーの終幕としても、勝負の決着としても、心のどこかが、満ちていた。

 太陽は笑った。息は荒い。膝も笑っている。それでも、笑った。


『お疲れ。――また、やろう』


 リーナは返事をしなかった。けれど、視線が一瞬だけ"上"を向いた。極光のホロ。その下で、彼女は踵を返し、支えられながら去っていく。

 スタジアムには、まだ歓声が残っていた。太陽は、その中心に立っていた。紅のラインだけになった"ひるめ"が、静かに鼓動を打つ。

 バックヤードの通路。仲間たちの足音。工具の金具の音。

 扉が開き、翼が駆け寄ってきた。彼女はヘルメットのロックを外し、少年の顔に手を伸ばす。


「……帰ってきた」

『ただいま』


 短い言葉が、全てを抱きしめた。

 上空のホロのオーロラが、ほんの一瞬、実物の空みたいに揺れた。氷の底から引き上げられた"絶対零度"は、いま、確かに"極光"へと至ったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ