08:くさなぎ
開始から九分経過。
ひるめの装甲は、二枚、三枚と剥がれ続けた。
バシュッ――また一枚、装甲が落ちた。
『二枚目――パージ!』
紅白は、白の面積を減らし、紅のラインがより鋭く見える。軽い。確かに軽い。距離、二メートル。
――だが、寒い。
「よーちゃん、あと一枚までは耐えられる。そこから先は――」
「分かってる。……まだ、剥がさない」
太陽の声は掠れている。だが、折れていない。
観客は、静かに、熱く。ざわめきが波になり、誰かの声が飛ぶ。
「ソルー!」
アシェンプテルのコアが揺れる。リーナの頬は白く、瞳は燃える。
《警告:PILOT BODY TEMP ↓ 4.4℃》
(五分――か)
彼女は内心で、小さく笑った。五分に持ち込むための準備を、この子たちは"やってきた"。ならばこちらも、五分を超えてみせる。
「――来なさい、草薙 太陽!」
『行くぞぉッ!』
白煙が、最後の二つに減った。デコイも、もう数えるほど。前装甲のパージラインは、薄く、細く、赤く光る。
太陽は深く息を吸い、吐く。胸の"熱"を探す。
(まだある。まだ、ある!)
耐久を繰り返す。前進を繰り返す。ただひたすら、愚直に繰り返す。そのたびに、機体が悲鳴を上げる。
――そして。
バシュッ――三枚目の装甲が、空へ弾けた。
『三枚目、パージ! "ひるめ"、さらに身軽に!』
紅が、白を追い越す。シルエットが細くなる。踊るように、曲がり、敵の攻撃への対処は防御から回避へと遷移する。距離、一メートル。
――だが、UZUMEのバーは『99%』を打ち、震える。
「……トリィ」
「分かってる。――限界が、来る」
レオンが唇を噛み、レナが首を振る。サヤの目に涙が溜まり、ジョウが拳を握る。バルトは目を閉じ、ひとつ息を吐いた。
『アシェンプテル、なおも攻勢!』
白金の光。青金の軌跡。紅白の影。チキンレースは、最終盤へ。活動限界は、両者の胸に――冷たい手で触れていた。
開始から十一分経過。
紅白の影は、もうほとんど"白"を失っていた。
"ひるめ"の外装は三度、四度と剥がれ、メインのパネルは裂け目を抱え、前腕の耐熱コートは焦げ、肩のパージレールは歪んでいる。右手の"サウザンスター"はとうに砕け、三六式投射砲の残弾も尽きた。手持ちの武器は、何もない。
片や、青金の"アシェンプテル"。コアはなおも唸り、出力は過剰に近い。機体は美しいままだが、冷却効率は落ち、姿勢制御はわずかに荒い。なにより、コックピットの少女の体温表示は、赤の閾値を越えてなお、じわじわと下がり続けていた。
《警告:PILOT BODY TEMP ↓ 5.0℃》
観客席は、静かだった。叫び疲れたのではない。息を止めて、見ているのだ。最後の一手を。
『――双方、限界域!』
実況の声が上擦る。
距離、五十センチ。両機は、ほぼ抱き合うような距離で対峙している。
「よーちゃん」
翼の声が、静かに届く。
「最後の一枚。――"殻"を、使って」
『……了解……!』
太陽の返答は短い。息は荒いが、折れていない。胸の中の熱は、まだ"ある"。それがあれば戦える。武器はないが、いざとなれば拳を叩きこむだけだ。
アシェンプテルが、腰を落とす。白銀の銃身が無音の起点でチャージに入る。背の"ゴルト"はもう使い切り、腰の"ハーゼル"も熱暴走に近い。残るは――白い針の、最後の一射。
(終わらせる)
リーナの瞳は氷のように澄み、同時に燃えていた。美しく、無慈悲に。ショーとしても、勝負としても、完璧な終幕を。
――音はない。だが、空気が鳴る。観客の耳鳴りのように、静かな圧が満ちる。
太陽は、前装甲を立てた――最後の一枚。白い"殻"。
「よーちゃん、聞いて。受ける。角度は、三度。姿勢は――ここ」
翼の声は震えていない。指先だけが汗ばむ。
『了解、任せろ!』
白と金が、正面で交差した。距離、ゼロ。
『"シルバー"――ラストショット!』
――ズドン!
白い針が、紅白の胸板に突き立つ。
――ドクン。
"うずめ"が、最後の峰を丸めにいく。だが、負荷バーは『100%』を突き破って、赤の警告を鳴らした。
《CRITICAL:UZUME OVERLOAD》
変換材が悲鳴を上げ、循環路が飽和しかける。ソーラースーツの熱回路はまだ生きている。だが、相手のダメージを受けられる余裕は、もうない。
『……っ!』
太陽の視界が白く閃いた。痛みではない。冷たさでもない。――"軽さ"。
バシュッ。
最後の装甲が、弾け飛ぶ。白い"殻"は空へ散り、紅のラインだけが、機体の輪郭を残した。
『"ひるめ"、フルパージ!』
実況の叫びに重なるように、翼の声が短く跳ねた。
「――いま!」
太陽は、踏み込んだ。
受けない。避けない。前へ。
グンと重心が落ち、背のスラスターが一瞬だけ"吠える"。重いはずの躯体が、羽根を得たように前へ滑る。
白い針は、装甲を消し飛ばしただけで、心臓までは至らなかった。角度。三度。――それだけの差が、命を分けた。
距離、ゼロ。正面で、機体同士が視界いっぱいに膨らむ。
(――終わり)
リーナはそう思った。終幕。
その刹那。
紅の胸郭の奥で、コッ、コッと一定だった鼓動が、一段、深く鳴った。
――カシャン。
パージで露わになった胸奥の、さらに奥。そこに、細い"スリット"が開き、薄い鞘にしまわれていた一本の刃が、するり、と吐き出される。
白でも、金でもない。透明に近い、青白い光をまとった細身の長剣。
――コールドブレード"くさなぎ"。
祖父が打った実体刀を元に、コールドⅡ技術で加工されたハイブリッド型の刃。純粋なエネルギー兵器ではない。実体の刀身にコールドⅡのエネルギーを載せる構造――だからこそ、元となった刀の鍛造技術が、その切れ味を決める。
その名は太陽すら知らない。意図的に知らされなかったのだから当然だ。
だが、太陽は己の姓と名を同じくする"くさなぎ"を握った。
藁にも縋る思いがそうさせたのか、太陽に秘められた天性の戦闘センスがそうさせたのか。
ともかく――無意識の内に、太陽は祖父の打った刀を握りしめていた!
――記憶。遠い日の祖父の声。
(良いか、太陽。刀を振るう時は、無意無心、忘我の境地に至れ、そうすれば――)
まるで最初からそうするように設計されていた動きで、右手が柄を取り、左手が小さく添えた。
(そうすれば、後は体が勝手にやってくれる――)
刃が、微かに"鳴く"。空気を凍らせ、そして裂く、鈴の音のように。
「――!」
リーナの瞳孔が開く。ハーゼルの面焼きが一瞬だけ薄くなり、次の"突き"へ移ろうとする。だが、その"瞬き"ほどの隙が、全てを分けた。
太陽は、踏み込みの力をそのまま刃へ乗せた。
しゃりん――と、音は、驚くほど小さかった。
白金の胸郭に、透明の線が一本、走る。時間が一瞬だけ"遅く"なる。
アシェンプテルの外装が、意志を持つかのように僅かに抗い、そして従う。冷気が刃の先で黒く縮み、裂け目はコアへ一直線に伸びていく。
――ピキ。
高い、乾いた音。
次の瞬間、白金の心臓が、真っ二つに"割れた"。
青白く脈打っていた《コールドⅡ》のコアが、中心から"静かに"崩れる。光が消えるのではない。陽炎がしぼむように、ふっと薄くなって、消えた。
アシェンプテルの全身から、力が抜ける。姿勢制御が"遅れる"。膝関節が、ガクリと折れた。
リーナは、膝をついた。
観客席が、遅れて爆ぜる。
――うわぁぁぁぁぁ――!
実況は、言葉を失い、マイクが雑音を拾う。スポンサー席で誰かが立ち上がり、研究者たちが一斉に何かを叫ぶ。
バックヤードでは、誰かが椅子を倒し、誰かが泣き、誰かが笑った。
「……勝った」
レオンが呟き、レナが目を押さえる。サヤが泣き笑いで手を合わせ、ジョウが叫ぶ。
「やったぁぁ!」
バルトは短く息を吐き、ほんの僅かに口角を上げた。
「よーちゃん!」
翼の声が震える。震えて、笑う。
『――まだ、立ってる。俺、まだ、立ってる!』
太陽の声は、息も絶え絶えで、それでも弾んでいた。
"くさなぎ"の刃が、その手の中できらめく。機体は自動で安全姿勢に移行した。
アシェンプテルを構成する装備が、緊急救助手順で解除される。白い霧がふっと舞い、ソーラースーツだけを身にまとった冷え切った少女の顔が現れる。頬は青白いが、瞳は確かに生きていた。
太陽は、一歩、近づいた。機体の関節がギシと鳴る。右手を、そっと差し出す。
リーナの視線が、その手を見て、顔を見て、また手を見た。彼女は、一拍置いて――その手を、払った。
だが、払いのけた勢いで、前のめりに倒れそうになり、駆け付けたサポート要員に支えられる。起き上がると、ほんの少しだけ頬を赤くして、冷たい声で言った。
「……まだ、認めたわけじゃないわ」
言葉と裏腹に、その瞳は、僅かに揺れていた。ショーの終幕としても、勝負の決着としても、心のどこかが、満ちていた。
太陽は笑った。息は荒い。膝も笑っている。それでも、笑った。
『お疲れ。――また、やろう』
リーナは返事をしなかった。けれど、視線が一瞬だけ"上"を向いた。極光のホロ。その下で、彼女は踵を返し、支えられながら去っていく。
スタジアムには、まだ歓声が残っていた。太陽は、その中心に立っていた。紅のラインだけになった"ひるめ"が、静かに鼓動を打つ。
バックヤードの通路。仲間たちの足音。工具の金具の音。
扉が開き、翼が駆け寄ってきた。彼女はヘルメットのロックを外し、少年の顔に手を伸ばす。
「……帰ってきた」
『ただいま』
短い言葉が、全てを抱きしめた。
上空のホロのオーロラが、ほんの一瞬、実物の空みたいに揺れた。氷の底から引き上げられた"絶対零度"は、いま、確かに"極光"へと至ったのだ。




