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ある冒険者の話  作者: 整腸剤神
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港湾荷役 二

 港は嵐の予感に満ちていた。

 潮を吸い込んだ杭が低く唸り声をあげ、船から伸びた鎖がきしむような音を立てる。雷鳴は遠いのに、胸の奥まで重く響き、黒雲の縁を一瞬だけ白く照らした。波が船体を叩いて上下に弄ぶ度に、船員の怒鳴り声が上がり、荷役人の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。

 事前説明のとおり、嵐だというのに、波止場には山積みの荷物が野晒しになっている。木箱、樽、麻袋。濡れた麻縄だけが、それらを頼りなく繋ぎ止めていた。


「感じる……≪嵐の狂王≫の気配を……」


 大仰に呟いた声は、荒れ狂う風にすぐさま掻き消された。潮を含んだ風が牙を忍ばせて頬をかすめ、舌先にはしょっぱい味が広がる。怒鳴り声、指笛、樽を転がす音、全部が嵐の前触れに煽られて騒がしい。

 今日の緊急依頼──本当に、胸の高鳴る響きだ。響きだけは──も、荷役の雑用と言ってしまえばそれまでだった。本日も相変わらず、誇り高く胸躍る冒険はただ心の内に。

 今でも時々思うのだが、ギルドは冒険者と日雇い労働者の違いについてどう考えているのだろう。

 

「風雨の中でこそ、≪炎の娘≫はその輝きを増す!」


 荒れ狂う風の中で雨除けの外套がばたばたと音を立ててはためく。そのかっこよさについ口に出すと、すぐ横を通った水夫が何だって!?と怒鳴り返してきた。いえなんでもないです……とつぶやきながら視線を逸らす。

 辺りを見回す。何をどうすればいいのかわからなかった。とにかく現場の指示に従えというのは、いくらなんでも大雑把すぎる。

 波止場は怒号と指示と足音で満ち、樽が転がるたびに鈍い音が響く。潮に濡れた石畳は既にぬめりを帯び、靴底が吸い付くたびに不吉な音を立てた。転べばそのまま波にさらわれかねない。


「嬢ちゃん、もしかして冒険者ギルドから応援か」

 

 声を張る低い呼び声に肩が跳ねる。振り返ると、逞しい体つきの荷役人がこちらを見ていた。荒れた海の風に逆らって立つその姿は、冒険者とは別の種類の力強さを帯びている。


「はい! そうです!」


 即座に背を伸ばし腹に力を入れて答える。声が嵐にさらわれそうでつい胸を張った。


「こんなときに来てもらってすまねえな。こっちだ、ついてきてくれ」


 男の腕には濃い墨が入っていて、嵐の湿気に濡れて黒光りしていた。少し怖気づきはしたものの、その背に迷わずついていく。

 促がされてたどり着いたのは、波止場に積まれた、見渡すかぎりの荷物の山だった。


「とにかくひとつでも多く船の積込口まで運んでくれ。優先順位はそこに書いてあるとおり、医薬品、燃料、食料、証文の順だ。字は読めるか」


「うん、読める。大丈夫」


 男はまず波止場に掲げられた濡れた掲示板を指差した。そこには太い大文字で4つの言葉が並んでいる。薬火書食。薬は医薬品、火は燃料、食は保存食、書は証文と公文書。嵐の中で守るべきものたち。

 男が次いで船を差す。係留された船の積込口では、波でずぶ濡れになった男たちが無言で荷を受け取り船の奥へ消えていく。船体は波に打たれて不気味に軋んでいる。


「荷物の種類は荷札を見ればわかる。とにかく時間も人も足らん。全部積み込むなんざ到底無理だ。どれから運ぶかは……」


 男の話を聞きながら裾をまくり腕に薬火食書の順番にその頭文字を書く。嵐の中で自分の頭は当てにならない。誇り高き初心者冒険者のための教訓その三、自分よりもまずは外付けを信じるべし。

 腕に黒い炭の線が心強い護符のように刻まれていく。これで間違えたりしないはずだった。


「お嬢ちゃん名前は?」


 不意に名前を尋ねられて顔を上げる。


「? えと、レイチェルです」


「よし、レイチェル」


 名前を呼ぶと男は短く頷いた。


「どれから運ぶかはお前に任せる。質問は?」


「大丈夫、任せて」


「よし。俺もこの近くで作業をしてるか何かあったら言え。いいな!」


 そう言って、ごつごつした大きな手が肩をどんと叩いた。全身が揺れる。不思議と悪い気はしなかった。入れ墨の男はすぐに持ち場へと戻り、怒鳴り声と潮風に紛れて姿を見失う。残されたのは、山のような荷物と、鳴りやまぬ波止場の喧騒。

 早速手に取りやすい位置にあった≪燃料≫の荷札のついた木箱を一つ抱え上げる。ずっしとした重さが指に食い込んだ。そのまま風の中を駆け、風に負けないように大声で燃料!と叫びながら船の運搬口近くに置く。


「ご苦労だな。あんたどこの人?」


 船への積込作業を担当していた痩せた男が、木箱に縄をかけながら尋ねてきた。


「冒険者ギルドから応援に来たんだ」


「そりゃまた。おい、聞いたか。冒険者さんだってよ」


 声をかけられた若い男がへえ、と顔を上げた。


「気をつけてくれよ。雨が降り始めたらこの辺りは今よりもっと滑る。海に落ちたら引き上げてやれるかわからないからな」


 男たちの口調は、こちらを案じているというよりも、部外者の自分に対して、面倒ごとを起こすなと言いたげだった。

 わかった、とだけ答えて少しだけ息を整え、風を背に波止場の山に走って戻る。

 山の上に置かれた赤い刺繍入りリボンで包装された箱が目にとまった。濡れた木箱やほつれた麻袋に囲まれた中で、場違いなくらい浮いて見えた。

 結ばれているのは《日用品:贈答用》の荷札。遠い誰かへの贈り物だろうか。文字は滲んで読みにくいのに、リボンの赤色だけは嵐の中で鮮明だった。

 ほんの一泊息を止めて、すぐに箱を脇へ退かす。


「ごめんね、順番なんだ」


 誰が聞いているわけでもないつぶやきは潮風にかき消された。

 下から出てきた《医薬品》の重い木箱を抱え上げる。桟橋の塩水に濡れた板にすり減った靴底が滑りかけ、重さに泣き言を言う膝に、しばらく我慢してと心の内で言い返す。

 船の運搬口まで辿り着き、積込み役に荷を渡し、呼吸を三つだけしてからまた折り返す。

 走る、持つ、置く。薬火食書。

 一向に減る気配を見せない木箱と樽と麻袋の山を、それでもひとつひとつ取り崩していく。

 周囲には多くの荷役人たち。荷を運び、置き、膝に手をついて呼吸をする度に、彼らからの異物を見るような視線を感じた。誰も言葉にこそ出さないものの、彼らと自分の間には見えない線が引かれている。唇を噛む。

 構うものか。ひとりだって荷は運べる。いつも通りに。


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