迷子案内 四
通りを繋ぐ小道にも無数の店に人の群れがあった。
迷子は陶壺から漏れ出す燻炙酒の甘苦い香りに顔を顰め、かと思えば穴蔵人が石畳に並べた蛍石の欠片に目を輝かせる。
手のひらは汗ばんで、でもしっかりとこちらの指を掴んで離さない。繋いだ手は、母親がいない不安を少しは和らげているようだった。
大きな通りが交わる四辻に出ると、炎色の肩布をかけた火司が炎壇の傍に立ち、澄んだ声で祈句を唱えながら、人々に星火の分け火を授けていた。大火院の聖堂最奥で、最初の火の時代から燃え続ける星火、その分け火を家々に配り、竈や灯りに宿らせる。
炎壇の周りには、蝋燭入りの角灯を手にした家族連れに恋人たちが輪を作っている。蜜蝋と精油、人の息がまじりあった匂い。
火司の隣では火守女たちが分け火で焼いた竈餅を配っていた。小太刀で薄く切り分け火で軽く炙り、たっぷりの蜂蜜と少しの香紛をかけて。遠い故郷でも同じ味が振る舞われていたことを思い出す──うーんでもあれあんまり美味しくないんだよな。
「おかあさんもいつもあの火をもらうんだよ」
迷子の言葉に頷き、炎壇に探し人の姿を求めて歩み寄る。炎壇の火が風に揺れ、影が群衆の顔を流れていった。ここにも火色の髪紐は無慈悲に多い。
そのとき、分け火を求めるざわめきの影にみすぼらしい格好をした年端もいかぬ少年の姿が目に入った。骨ばった指、擦り切れた袖口、埃まみれの顔。その手が若い女の腰鞄に伸びたのを、反射的に掴んだ。
おどろくほど細くて軽い手首。指の下で脈が跳ねた。喧騒と炎の揺らめきが一瞬遠のき、景色が色褪せていく。
少年の怯えた目。今自分はどんな顔をしているだろう。
彼が盗みを働いた理由は明白だった。空腹。貧困は王都の決して癒えることのない病だった。
衛兵に引き渡すか。見逃すか。選択肢はそのふたつしかないように思えた。そしてどちらを選んでも彼を救うことはできはしない。
唇を結び押し黙って動けずにいると、いつの間にか傍にいた火守女のひとりが、ひと際厚く切った竈餅を少年に差し出してこちらを見た。
「どうぞこの子はわたくしたちにお任せください」
安堵の息が喉から出かかりかろうじて飲み込む。小さく頷いてから少年の手を離して視線を落とした。情けなさと救われた気持ちとが、同時に頬を熱くする。
「ご、ごめんなさい。ボクは」
何に対してか自分でも分からない謝罪を口にすると、火守女は静かな瞳でこちらの胸中を見抜いたように微笑んで、手を包むように取り、囁くように言った。
「貴女の迷いは優しい。火は貴方の迷いを照らし、報いるでしょう。貴方にも、彼にも──全ての人に、炎の惠みがありますように」
火守女の指先から、蜂蜜と煙の匂いがした。囁きは炎のはぜる音に紛れて、けれど胸の奥にはっきり届いた。
胸に手を当て冒険者の答礼をし、声には出さずに心の中で記憶の棚から祈りの言葉を引く──家々の竈がみな温かくありますように。
少年は火守女に導かれて人混みの向こうへ消えていった。
結局炎壇に母親の姿は見当たらず、迷子の手を握り直して、噴水広場に向けてまた歩き出す。
盗みを未然に防いだ手腕をつたない言葉で讃えたあとで迷子が尋ねた。
「あの子は悪い子だったの?」
通りに下げられた火燈が、迷子の瞳でゆらゆらと揺れた。少し考えてから答えた。
「……ボクらはひもじさに負けてしまうことがあるんだよ」
首を傾げる迷子の頭を一度だけ撫でた。
人の声も音楽も、吸い寄せられるように噴水広場に向かっている。迷子の小さな手は自分の手をしっかり握っている。膝を抱えて泣いていたときの震えはもうない。
やがて、通りの先に広場が見えてきた。
中央の大噴水は祭りの飾りで覆われていて、角灯を手にした人々のざわめきが波のように押し寄せる。夜の闇が迫りつつある中で人々が手にした角灯が星々のように煌めいて、噴水の水面に映り込む。
迷子が目を輝かせてわあ、と声をあげた。その声に少し救われる。自分もつられて笑いかける。
けれど胸の奥では、まだあの少年の怯えた瞳が焼き付いて離れなかった
彼のために自分ができることは何もなかった。きっと、そのはずだった。誰かを容易く救えるだなんて思い上がってはいない。なのになぜこれほど心が重いのだろう。
王都の道にはもう慣れた。石畳の継ぎ目も、通りの名も、もう身体に馴染んでいる。そのはずだった。
なのに自分は、今日という祭りの日に、灯りの川に照らされながら、暗がりでまだ一人迷い続けている。




