迷子案内 一
麻衣姿の労働者が隣の席で麦酒をあおり、革鎧を脱ぎかけた傭兵は大声で武勇を語る。奥の丸卓では商人風の男たちが腕を組み、紙の上に指を滑らせながら何かを数えている。入口近くの壁際には旅装束の巡礼者がひとり、錫杖に寄りかかりながら静かに盃を傾けていた。
あらゆる身分がひとつの空間に押し込められ、酒と匂いと笑いが渦を巻いている──それが王都の酒場だった。
笑い声と罵声が飛び交い、鼻を刺す煙草の煙に、木の卓を叩く硬貨と賽子の音が混じる。
梁から吊るされた油灯がゆらいで壁に影を踊らせるのをぼんやり見ながら、兎肉の煮込みの表面を匙ですくい、吹き冷ましてから口へ。控えめな脂の旨みが舌に広がり、思っていたより熱いそれを口内でしばらく転がしてから飲み込む。杯を呷り、つい先程まで井戸の底に沈んでいた冷水で舌を冷やした。
「来月はお祭りだってさ」
そんな喧騒をよそに、向かいの席に座る冒険者仲間の少女だけはまるで別の世界にいるみたいに静かだった。
湯気ごしに声をかけても、その髪はぴくりとも揺れない。
「ふーん」
炎色の髪の少女、サリアは興味なさげに他人事のような返事をして、手にした羽根筆を走らせ続けている。手元には開きっぱなしの魔導書と写本用の羊皮紙、瓶入りの青黒い液墨。指先が少し黒ずんでいる。
彼女は同い年の冒険者だった。火術師でもある。冒険者としては格上で、自分が地べたで小さな依頼をこなす間に、彼女は先日のクラーケン討伐にしれっと名前を連ねていた。
本人は多くを語らないままに、実績だけは積み重なる。サリアはそういう人だった。
「世界中から巡礼者が来て、いろんな珍しい食べ物が売られるんだってさ。どんなのがあるのかなぁ。あ、広場で火術を使った公開儀式もやるらしいよ。すっごく綺麗なんだって」
「へーえ」
薪の火に水をかけるような声だった。
「んもー全然興味ないじゃん!」
「だって毎年やってるし……」
サリアは果実水の入った陶器の杯に口をつけて肩をすくめた。
「今年もそんな時期かー、くらいにしか思わないわよ」
「ボクは王都の祭りって初めてなんだよぉ~」
言葉が浮ついているのが自分でもわかる。でも抑えられなかった。匙を咥えながら卓の下でぱたぱたと足を揺らしてみる。
祭りの話題を自然に出し、サリアから「じゃあ一緒に行く?」の一言を引き出す──それが思い描いていた作戦だった。
けれど作戦は失敗に終わった。敵は冷静で、防壁は分厚い。
残された手段はただひとつ。正面突破あるのみ。冒険者は、勝機が見えないからと言って、戦いを投げ出したりはしないのだ。
「そんなに行きたいならひとりで行ってきたらいいじゃない」
「そんなの寂しいだけじゃんかぁ。ねぇ~一緒に行こうよお祭りぃ~」
昨日メアリも誘ってはみたけれど、とりつく島もなかった。
彼女は鼻で笑いながら言った。「あー無理無理、祭りの間は稼ぎ時だよ。客がひっきりなしさ」
さらに追い打ちをかけるように、指を揺らしながら、「せっかくだしあんたも男と一緒に行ってきたら。いるでしょそういう男のひとりやふたりくらい」とも。
そんな相手いないって知ってるくせに……思い出したらなんか腹立ってきたな。帰ったら言い返してやろう。
「というか、レイチェルはいいの?」
とサリア。筆先がさらりと弧を描いて、自分はひとつとして読めない火文字が記される。
「え、何が」
「お祭りにうつつを抜かしてるような余裕があるのって話」
言葉が喉で止まる。頭の中に算術板が現れる。
下宿代の負担分。食費。先週、血迷って外套の裏地に入れた刺繍代のツケ。祭りの間、稼ぎがなかった場合に訪れる未来。
誇り高き初心者冒険者のための教訓その四くらい。冒険者は冒険の前にまず生活をしなければならない。
「……」
「……」
「ボクは常々思っているんだよ、サリア」
「なにを」
「労働ってとっても尊いなあってぇー……」
「それはいい心がけね」
卓にくずおれるように言うと、サリアは写し取った行を乾燥砂でぱらぱらと覆い、余分を払いながら、ついでのように言った。炎色の瞳は焚き火みたいにあたたかいのに、言葉は冷えた石板みたいだった。
「お祭りの間は警備の仕事が山ほどあるから、せいぜいたくさん稼ぎなさい。終わったら……そうね、屋台の蜜菓子くらいなら付き合ってあげる」
「ほんと!?」
椅子から腰を浮かすくらいの勢いで、ぱっと顔を上げる。
「気が向いて、時間があって、お腹も空いてたらね」
「条件が多いよぉ」
がくりと肩を落として、兎肉をひと切れ、口いっぱいに放り込む。柔らかい。おいしい。財布が軽くなければもっとおいしかったかも。
「はあー。せっかくのお祭りなのに……」
「竈番に休みなしってね」
サリアはそう言って、魔導書の余白に小さな印を結んだ。炎の印。
頬杖をついて木窓越しに通りを見る。祭りの練習だろうか、聞き慣れない角笛の音が遠くで鳴った。試し灯が一つ二つ灯されて、行き交う人々の声も普段より浮き足だっている。
王都は、夢見ていたよりずっと汗の匂いがする場所だった。
「……まあ、仕事しながらでもちょっとはお祭り見れるかな」
「そうそう。何事も前向きに考えなさい」
サリアが唇の端だけで笑った。
灯が梁の下で揺れた。もうすぐお祭。仕事は山積み。
胸のどこかで、いつか見た灯りの川が流れ始めたような気がした。




