港湾荷役 五
「起きろ起きろ野郎ども! 今日も仕事だ! 」
朝、宿舎に響いた野太い声に背中を押されて外へ出る。
今日の荷役人たちの仕事は嵐の後始末。港内に散乱した塵を片付けろ、との由。依頼は昨日の時点で終了していたものの、片付けに参加すれば日当は出るらしい。
嵐は過ぎ去り空は水を張った碧い皿みたいに澄み切って、海鳥がその縁をなぞるように高らかに鳴いている。
嵐の名残りはひとつとして見当たらない空の下、波止場には現実が横たわっている。
泥に眠るぬいぐるみがあった。片方だけになった子ども用の小さな靴が石畳に出来た水溜まりに沈んでいる。ひしゃげた火琴の切れた弦が風に泳ぐ。紙束は水で固まり一塊の灰色になって宛先は潮で融けていた。
彼らは昨晩嵐の中に取り残された荷物たちだった。今は塵と呼ばれるものたち。一晩中潮と風雨に嵐になぶられ、木箱や袋の加護をも失ったそれらは今、雲一つない空の下で、無惨な姿を晒している。
清掃を命じられた荷役人たちが眠気と疲労の混ざった欠伸を噛み殺しながら箒で塵の山を作る。昨日酒を酌み交わした若い荷役人の男が、手把で塵をかき集めながら、こちらに手をあげておはようさん、と陽気に声をかけてきた。何も応えない。応えられない。首を傾げている男の横を何も言わずに通り過ぎる。
手把と箒掃き集める音だけが潮騒に混ざる中、あたりに点々と転がる亡骸たちを踏まないように、どこへともなく歩く。
「ああ、そうか……ボクは……」
──お前が運んだ荷は確かにある。明日になっても、俺の言葉を思い出せ。
昨晩の言葉の意味がようやく理解できた。彼はこのことを言っていたのだ。自分が運んだものは確かにあった。けれど運べなかったものもあった。そしてなにより、自ら選んで運ばなかったものが。
しゃがんでぬいぐるみを拾う。泥を指で落とし、飛び出た綿を胸に押し戻す。靴を逆さにして中の小石をこぼし、片割れを探して桟橋の影を覗く。
崩れ去った木箱を抱いて泣いている男がいた。昨日自分に荷の積込みを頼んだ男。
──娘への贈り物なんだ。結婚するんだよ。
風の中で聞いた言葉が胸に浮かぶ。声はかけない。かける資格もない。彼の荷を選ばなかったのは自分だった。許しを乞うつもりはない。正しさを誇るつもりも。
残骸たちは手でそっと触れるとまだ温い気がした。今日か明日には焼かれてしまうであろうそれらを、いまだけは形を整えて日陰へ寄せる。腕にまだかすかに炭文字が残っていたのが見えて、指で強く拭って消した。
正しく積み重ねたはずの選択の影で、嵐の中に置き去りにしたものたちをひとつひとつ拾い集める。
拾い上げる度に重さがほんの少しだけ意味を取り戻すような気がした。けれど誰のためのものだったかまでは戻らない。
遠くで鐘が一度鳴った。海は何事もなかったように穏やかで、風は潮の匂いを運び、港はまた普段の騒がしさを取り戻しつつあった。もうじき船が来るだろう。いつも通りに。
視線の先で、木箱のささくれに辛うじて繋ぎ留められていた赤い包装リボンが、一息強く吹いた海風に繋がりを奪われてふわりと宙に舞い、最期に刺繍を朝の光に翻して、どこにも届かないまま海に落ちた。
手を伸ばすにはあまりにも遠く、ただ見送る。
赤色が落ちた海には多くの物言わぬ残骸たちが浮かんでいた。布片、木片、紙片。もう名前を呼ばれることのないものたちが寄り集まって、波に揺られ、ゆっくりと水平線に運ばれていく。
誰も咎めることのない速さ。
誰も追いつけない遠さ。
やがて彼方の水底で朽ち果てていくであろう彼らを最後にひと呼吸だけ見送って、視線を海からふり解く。
拾い上げるべきものは多く、いつまでも波の行く先ばかりを見てはいられない。
足元の世界へとまた手を伸ばす。
──今日は拾う。たぶん、それでいいはずだった。




