九十七
アラクネは蜘蛛の前脚を振り下ろす。レオーネはそれを斧槍で受け止め、弾いた。間髪入れず、人型の部分に炎を飛ばす。
だが、炎はその人型に防がれた。人型の手から赤黒い液体が飛び出し、炎を包み込んだのだ。
「何だ、今の⋯⋯⁉」
呆然としながらも、レオーネは距離を取った。空いた空間に、ヴィルヘルミネが氷のつぶてを飛ばす。先の鋭いつぶては、アラクネの蜘蛛部分に突き刺さった。だがそれで止まることはなく、アラクネはレオーネに向かって糸を吐き出す。
レオーネはそれを回避しつつ、炎をまとわせた斧槍で引き裂いた。そうしてレオーネに意識を向けているアラクネに向けて、ヴィルヘルミネが無数の水球による連打を浴びせかける。
「あぎゃあァ⁉」
特に人型にぶつかった時に、大きな悲鳴が上がった。それを見たヴィルヘルミネは声を張り上げる。
「レオーネ、人型を狙いましょう! おそらくそこが弱点ですっ」
「了解!」
レオーネは地面に蹴り、アラクネに迫った。
アラクネは八つの目をぎょろりと動かし、レオーネを捉える。狙いを定めるかのようなその目に向けて、再び炎を打ち出した。
炎はまたも謎の液体によって打ち消された。だがそれを盾にする形で距離を詰めた斧槍が、片腕を斬り飛ばす。
悲鳴を上げながらも、アラクネは蜘蛛の前脚でレオーネを貫こうとした。だがヴィルヘルミネの放った水球をぶつけられ、狙いを外してしまう。
「レオーネは攻撃に集中してくださいまし! 防御は引き受けましてよっ」
「お願いします!」
レオーネは頷きながら魔力を練り上げた。
獣人としては驚異的なほど魔力があるレオーネだが、それでも連戦によって大半の魔力を失っている。身体強化と斧槍にまとった炎によって今なお魔力を消費し続けている今、長期戦は難しかった。
やるなら短期決戦。だが大技は使うわけにはいかない。そんな有様で、未知の魔物相手にどれだけできるかは解らなかった。
──でも、ヴィルヘルミネがいる。
レオーネは自然と、唇に笑みを浮かべていた。
運命の番によって狂わされたシャオシン。レオーネは彼と、自分の兄、そして自分自身のことを考えた。そして、運命の番という運命についても。
結局、運命は必ずしも結ばれる必要は無いし、結ばれても幸せになれるとは限らないのだ。
事実、兄リエーフとアミラは結ばれても実質的に破綻した。もはやここから修復することは不可能なのではと思われる。
それに、母ルゥリから運命の番に出会ったことすら聞いたことが無かったのは、彼女の中でそれほど重要視されなかった証左だ。一方のシャオシンは狂うほどにルゥリを求めているが、気持ちにこれほど差があるなら、例え結ばれてもうまくいかなかったのではないか。
そして、レオーネとヴィルヘルミネ。ふたりはうまくいっている運命の番と言えるだろう。だがそれは、互いの気持ちを思いやり、少しずつ距離を詰めてきたからだ。運命などを置いておいて、互いを見つめ、努力してきた結果だ。もしレオーネが本能を押し付けていれば、ヴィルヘルミネから好意を寄せられることもなかったに違いない。
運命などと言うが、結局きっかけにしかならないのだ。そこから結ばれるか、幸福になれるか、それは当人次第である。互いを好きになる努力、好きになってもらう努力を怠れば、どれだけ運命を叫んだところでうまくいくはずがない。
レオーネは考える。突き、斬り、回避しながら、考え続ける。
シャオシンは母に再会してどうするつもりなのだろうか。愛を請うつもりなのだろうか。
──あの姿で?
レオーネはちらりとシャオシンを見た。
シャオシンは未だ立ち上がることができず、地面を這っている。何やらぶつぶつ呟きながら、赤黒いしみを広げていた。その姿は、人とは言いがたいものと化している。
ヴィルヘルミネは人間性を失うと言っていたが、なるほど確かに、と思わされた。本人に自覚があるかどうかは、傍目からは解らないが。
もし自分がヴィルヘルミネを失ったら、ああなるほど憎悪を抱けるのか、と問われれば、おそらく否だろう。
「ヴィルヘルミネに嫌われたくないからな⋯⋯」
ぽつりと呟いた言葉は、単純だがレオーネの本心だった。
もしレオーネが自分のために黒魔法に手を出したと知れば、ヴィルヘルミネは怒るし、軽蔑するだろう。彼女はその辺り、非常に潔癖だった。下手をすれば、敵対することだってありえる。
レオーネはヴィルヘルミネに嫌われたくないし、敵対したくもない。それにレオーネは、ヴィルヘルミネ以外にも大切な存在──守りたいものだってあるのだ。
それらを切り捨てて、復讐だけに生きるわけにはいかない。
「ぐっ」
アラクネの爪が、レオーネの腕をかすめた。ヴィルヘルミネによって狙いをずらされたものの、完全にそらすことができなかったのだ。
だがレオーネも、その爪の関節部分を捉え、絶ち斬る。八本脚のうちの一本を失った程度で体勢が崩れることはないが、攻撃手段は減った。
アラクネは糸を出し、レオーネを絡め取ろうとする。だがその糸は、出した傍からヴィルヘルミネによって燃やされていった。そちらに気を取られている間に、レオーネは人型のもう一本の腕を斬り落とした。
「あがあぁァ!」
両腕を無くした人型は、鼓膜を破らんとするような絶叫を上げる。それに気圧されそうになりながら、レオーネは蜘蛛を足場にして人型に迫った。
「これで──終わりだ」
レオーネの渾身の横薙ぎが、アラクネの頭を斬り飛ばした。更に返す手で蜘蛛の頭部を刺し貫く。
悲鳴は無かった。アラクネは二度に渡る頭部への攻撃に身体を硬直させ、そのまま地面に沈み込む。レオーネが斧槍を引き抜くと、ぐずぐずと溶け出した。
「っと、と」
レオーネは慌ててアラクネの身体から飛び降りた。その間にもアラクネは液状化していき、ついには床のしみと化す。そこに魔物がいた痕跡すら解らなくなり、魔法で生み出した生物なのだと改めて思い知らされた。
「レオーネ!」
やや呆然としてそのしみを眺めていたレオーネに、ヴィルヘルミネがぶつかるようにして抱き着いた。そのまま傷を癒していくヴィルヘルミネを抱き締め返し、レオーネは顔を覗き込む。
「怪我はありませんか、ヴィルヘルミネ」
「それはこちらの台詞ですわ! ⋯⋯ごめんなさい。防御は引き受けると言っておきながら、貴方に傷を負わせてしまったわ⋯⋯」
「これぐらい何ともないですよ。大きな怪我が無かったのは、ヴィルヘルミネのおかげです」
レオーネは笑いながら、ヴィルヘルミネの頭を撫でた。そんな彼に安心したのか、ヴィルヘルミネもふにゃりと笑みを返す。そして、シャオシンの方を見た。
シャオシンは自身の血溜まりの中でぴくりとも動かなくなっていた。もしや息絶えたのかと慌てて近付くと、微かな呼吸音が聞こえてくる。だが赤黒い血は今なお広がっていた。
「黒魔法によって人外化した者は失血程度では死なないそうですけど、一応止血しておきましょうか」
ヴィルヘルミネはそう言って、まず蔓草を呼び出して拘束した後、軽く治癒魔法をかけた。それでようやく流血が止まり、ほっとする。
「レーヴ、おまえも怪我しただろ。治すからこっちに来い」
腰を抜かしているレーヴにそう声をかけると、レーヴは恐る恐るといった体で這い寄ってきた。どうやら立ち上がれないらしい。しかたがないので抱き上げてやると、ヴィルヘルミネが不満そうな顔をした。
「⋯⋯え、何ですか、その顔」
「レオーネに抱き上げられるのは、わたくしの特権だと思っていたのに、簡単に抱き上げるのですね」
「いや、弟なんですけど⋯⋯」
困惑するレオーネをよそに、むっつりしたヴィルヘルミネはレーヴを癒す。レーヴとしては、生きた心地がしなかったことだろう。
「あの、自分で歩けるので、大丈夫です⋯⋯」
「そうか? じゃあ、少し休んでから地上に戻ろう」
レーヴの申し出に首を傾げながら、レオーネは上を見たのだった。




