九十五
シャオシンは周囲を睥睨する。その眼差しは氷のようで、謁見の間を凍り付かせるには充分だった。
「……少し、多いな」
そう呟いたシャオシンは、短剣でレーヴではなく自分の腕を傷付けた。
虚を突かれた一同の前で、シャオシンは呪文を紡ぐ。
「”我が血を代償に、捕らえよ”」
呪文と共に血が床に落ちたとたん、周囲から影の触手が伸びてきた。幾多ものそれは、ヴィルヘルミネとレオーネ、レーヴ、そしてシャオシン本人を除いてその場にいた人々を絡め取り、動きを封じる。
「うわあ⁉」
「な、何だこれはぁ!」
悲鳴を上げる人々を無感動に眺め、シャオシンは改めてマルダス王を見た。
マルダス王もまた触手に巻き付かれ、玉座に縛り付けられていた。
「はっ⋯⋯貴様に似合いの姿だな」
「きさっ……貴様! 一体何をするつもりだっ」
「貴様自身には何もしないさ。今はな」
シャオシンは見せつけるようにレーヴを引き寄せた。そして、マルダス王の耳元に囁きかける。
「だが、貴様の息子達は別だ、第一王子はもういいだろう。あとは第二、第三王子だ」
「な、何……?」
「まずは、貴様に子孫を残させない。それが第一の復讐だ」
シャオシンはそう言って、ヴィルヘルミネとレオーネ──特にレオーネに強い眼差しを向けた。
「おふたりは、こちらに。逆らえば……解っているな?」
「っ……!」
レオーネはぎり、と奥歯を嚙み締めた。そんな彼の手をヴィルヘルミネがそっと握る。
「すみません、レオーネ。わたくしが第三王子殿下にもっと気を配っていれば……」
「もしかして、さっきまで一緒にいたんですか?」
「ええ」
「……ヴィルヘルミネのせいではありません。悪いのはあの商人でしょう」
レオーネは首を振り、シャオシンに向き直った。
「解った、そちらに行く。俺とヴィルヘルミネだけでいいんだな?」
「そうだ」
「っ殿下がた……ぐっ⁉」
ほかの者と同様触手によって拘束されていたヴォルフは、何とかもがいて止めようとした。だがそうするとますます触手は絡み付き、ついには喉を締め上げる。
それに気付いたヴィルヘルミネが、シャオシンを睨み付けた。
「貴方!」
「暴れるからだ。動かなければ、拘束以上のことはしない」
「……ヴォルフ」
「殿下!」
「じっとしていなさい、命令よ」
「っ……!」
ヴォルフは何かを言いかけて、悔しそうにうつむいた。それを見て、ヴィルヘルミネは困ったように微笑む。
「行きましょう」
「はい」
慎重な足取りでシャオシンに歩み寄った。
「止まれ」
レオーネの斧槍が届くか届かないかのところで、制止の声が上がった。先ほどヴィルヘルミネにやられたこともあって、警戒しているのかもしれない。事実、顔の半分には痛々しい殴打の跡が残っている。
「ここから地下に降りる。何も言わず、私に付いてこい」
そう言ってシャオシンは先ほどヴィルヘルミネとレーヴが出てきた穴を慎重に降りていった。レオーネはその穴を見て目を見開く。その反応に、ヴィルヘルミネはレオーネが地下迷宮のことを知らなかったことを悟った。
──正妃と側妃の子の差かしら。
前々から感じていたが、レオーネは王族として必要なことをとことん教えられなかったようだ。彼を軽んじるマルダス王の意図が透けて見えるようで、面白くない。
だが、そんなマルダス王に並々ならぬ憎悪を向けているらしいシャオシンに同調する気は、全く無かった。
「ねえ、ちょっと!」
そんな思考遮るように、アミラが悲鳴のような声を上げた。
「助けてよ! 何であたしまでこうなっているの? ちょっと、答えてよ、商人っ。聞こえていないの⁉」
アミラはようやくシャオシンが自身の知る商人だと気付いたのか、ぎゃいぎゃいと喚き立てる。それに目を丸くするヴィルヘルミネの視界の隅で、シャオシンが眉をひそめたのが見えた。
「うるさい」
とたん、アミラの声が不自然に途切れた。振り返ると、触手がアミラの口を塞いでいる。
「おまえはせいぜいマルダス王のご機嫌を取っていろ。おまえの役割はもう終わったのだからな」
シャオシンは再び地下を降り始めた。
ヴィルヘルミネとレオーネはまた顔を見合わせた後、その後ろを追いかける。
一番下まで降りたところで、シャオシンは振り返った。
「皇女、灯りをつけろ」
「………………」
ヴィルヘルミネは不愉快そうに片眉を上げたが、無言で魔法の灯りを灯した。地下に光が満ちると、シャオシンはまた歩き始める。その足には、全く迷いは無かった。
「……質問してもいいか?」
沈黙に耐えられなくなったのか、レオーネが口を開いた。
「何だ?」
「ここはどこなんだ?」
「……マルダス王から何も聞いていないようだな。哀れなことだ」
シャオシンは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ここは王族が逃げるための地下通路だ。ただの通路と言うには、複雑かつ広大だがな」
「王族が……?」
「あの王はルゥリをとことん軽んじていたようだ。腹立たしい!」
シャオシンの声が通路に響き渡った。びりびりと震える音に顔をしかめながら、レオーネは気を取り直してもうひとつ質問する。
「アミラ妃が呼び出した魔物も、おまえが用意したのか」
「……そうだ」
「アミラ妃が衝動的にあれを使うようにしたのもか?」
この問いかけに、シャオシンの足が一瞬止まった。
「……なぜそう思う」
「アミラ妃は確かに感情の起伏が激しいが、瞬間的に激高するほど分別が無いわけじゃなかった。そもそも、国王陛下の妃になろうとする時点でおかしい。いくら上昇志向があるにしても、現段階でそうしようとするのは違和感がある」
レオーネはじっとシャオシンの背中を見つめた。その視線を感じ取ったのか、シャオシンの肩が微かに揺れる。
「……まあ、いい。今更隠すことでもない──そうだ。あの女には、少しばかり気付け薬を与えてやった。理性のたがが緩み、欲望に忠実になるような薬だ」
「毒を与えたということかしら?」
ヴィルヘルミネが問いかけると、シャオシンは首を振った。
「毒ではない。精神的に落ち込んだ人間が服用すれば、少々前向きになれるような薬だ。もっとも、多用すれば依存してしまうような、扱いが難しい薬だがな」
「………………」
「アミラはもともと激情家だ。加えて享楽を好み、自分のことを必要以上に価値ある人間だと思い込んでいる。おおかた、彼女を拒絶したんだろう? 薬の効果も相まって、あれにとっては罵倒以上に衝撃的な態度だったのだろうさ。何しろ、直前には国王さえ陥落せしめたんだからな」
シャオシンは低く嗤った。悪意ある響きに、ヴィルヘルミネの眉間にしわが寄る。それに気付かず、シャオシンは話し続けた。
「そもそも国王を陥落できたのは、私が渡した香水の効果もあるというのに、その辺りはすっかり忘れているようだ」
「香水?」
「そうだ。レオーネ王子、貴方には覚えがあるんじゃないか? ミミネア・トゥファにも渡したはずだからな」
「……あ」
ヴィルヘルミネとレオーネは顔を見合わせた。
脳裏にミミネアの姿と、彼女がまとっていた香りが思い起こされる。その匂いを思い出して、レオーネは身震いした。
「獅子獣人にのみ効くよう調香するのに苦労したが、覿面だったようだ。どういうわけか、レオーネ王子には効かなかったようだが」
シャオシンは首を傾げた。
効かなかったのではなく、抵抗したが正しいのだが、あえて言わない。それより重要なことがあった。
──魔道具を融通したのは、こいつか。
ヴィルヘルミネとレオーネは再び視線を合わせ、頷き合う。
可能な限り情報を引き出そう。そう、意見が一致した瞬間だった。




