九十四
ヴィルへルミネとレーヴが謁見の間に出てきた時、ちょうど黒煙がマンティコアの形を成したところだった。
あまりの光景に固まるしかないレーヴに対し、ヴィルへルミネの判断は早かった。
火の妖精を呼び出した彼女は、マンティコアの顔に狙いを定めて火の玉を飛ばす。見事、火の玉はマンティコアの片目を潰すことに成功した。
「隠れていてくださいまし」
躊躇無く火の玉を飛ばしたことに絶句するレーヴを置き去りに、ヴィルへルミネは前に出る。レーヴが止める間も無かった。
だが、レーヴの心配は杞憂であるとすぐ知らされる。
「ヴィルへルミネ⋯⋯?」
「はい。貴方のヴィルへルミネですわ、レオーネ」
そんなやり取りをした両者は、すぐに共通の態勢を取った。それは驚くほどスムーズに、それがいつものことなのだと思わせるほどに。
──強いんだなあ。皇女殿下もレオーネ兄様も。
「凄いなあ」
もはや嫉妬の念すら湧かなくなり、レーヴはふは、と笑った。
ヴィルへルミネによって右目を潰されたマンティコアは、しかし戦意を全く失っていなかった。
こちらに向かって駆けてくるレオーネに、爪を振り上げる。それをかいくぐり、蝙蝠の翼に斧槍を振るった。
だが、斧槍は翼の皮膜を破るだけに留まる。マンティコアが飛び上がったからだ。
だが皮膜が破れたせいでうまく飛ぶことができず、空中でバランスを崩すことになる。
そのタイミングで、ヴィルへルミネが無数の水球を生み出し、それを叩き付けた。強化された水球は、マンティコアの全身を打ち据え、更にその身体を揺らめかせる。
だが墜落させるには至らず、マンティコアはレオーネからヴィルへルミネに狙いを変え、針の尾を彼女に向けた。
「殿下!」
だがその針を、ヴォルフが横合いから弾いた。硬い外骨格は断ち切られることはなく、そのままマンティコアの元に跳ね返る。
それを追いかけたレオーネは、炎をまとった斧槍で尾の先を捉えた。外骨格ほどの硬さはなかったらしく、針はぽっきりと折れてしまう。返す手で、マンティコアの前脚を狙った。
こちらはマンティコアの爪によって弾かれた。だがその代わり、爪を砕くことに成功する。マンティコアは胸の悪くなるような悲鳴を上げて更に飛び上がった。
「逃がしませんわ」
ヴィルへルミネは数多の蔓草を呼び出し、マンティコアの四肢に巻き付かせた。そのままぐいっと引っ張る。そこにレオーネとヴォルフは突貫した。
まずヴォルフが無事な前脚を斬り裂いた。その後レオーネに場所を譲るように地面を蹴る。レオーネは密着するように懐に入り込んた。
完全に体勢を崩したマンティコアだったが、必要以上に近付いたレオーネに、自由になる牙で噛み付く。細く鋭い牙が肩に食い込むが、肩を破壊される前に、レオーネはマンティコアの喉を斧槍で貫いた。
ぎょくんっ、と身体を震わせ、マンティコアは息絶える。だが最後の力を振り絞って、レオーネの肩を喰い破った。
「ぐっ⋯⋯!」
レオーネは激痛に耐えながら、斧槍を引き抜いた。そのまま何とかマンティコアを引き剥がし、振り返る。血塗れのレオーネに、ヴィルへルミネは眉をひそめた。
「全くもう、無茶をして! マンティコアには毒があるのですよ」
「え、そうなんですか」
「そうです! まあ、尾の針以外は微毒ですけど⋯⋯治療と同時に解毒もしますね」
ととと、と駆け寄ったヴィルへルミネは、レオーネの肩へ治療魔法を施した。痛みが引いていくのを感じながら、レオーネは周囲を見回す。
マンティコアはけっして弱い魔物ではなかったが、広範囲に広がる攻撃が無かったこと、最初の方で最大の攻撃だった尾の針を折ることができたことから、大過なく倒すことができた。だが、もしレオーネとヴォルフだけだったら、もっと苦戦していただろう。そうなれば、周囲にも被害が出ていたはずだ。
「いつもありがとうございます、ヴィルへルミネ」
「急にどうしました?」
「俺は本当に貴方に助けられてばかりですから、せめてお礼を言いたくて」
レオーネが笑うと、ヴィルへルミネはぽうっと頬を染め、微笑んだ。
「⋯⋯本当に、ご無事でよかったですわ」
ふたりが照れて笑い合いながら、何とか場を収めようと振り返った時だった。
「うわあっ」
誰かが悲鳴を上げた。
はっと声のする方へ目を向けると、レーヴが何者かに拘束され、首を絞められている。拘束しているのは、あの商人──シャオシンだった。
「はあ──はあ──はは⋯⋯まさか、マンティコアまで倒すとはな」
シャオシンは荒い息を整えると、おかしそうに笑った。
ヴィルへルミネは目を見張る。追いかけられているとは思っていたものの、こんなに早く追いつかれるとは思っていなかったのだ。
ターバンの無いシャオシンの姿に、レオーネは最初誰か解らなかったようだ。だがすぐに、正体を思い出した。
「おまえは⋯⋯兄上の御用聞き商人の⋯⋯⁉」
「ええ、そうです。お久しぶりです、第二王子殿下」
シャオシンは慇懃無礼に頭を下げた。身体が揺れて更に絞まったのか、レーヴが苦しそうに呻く。
「おまえ⋯⋯レーヴを離せ!」
「残念ながら、そういうわけにはいかないのですよ」
シャオシンはレーヴに短剣を突き付けた。踏み出しかけたヴィルヘルミネとレオーネは、それだけで足を止めざるをえなくなる。
「そうそう、じっとしていてくださいね」
シャオシンは鼻で嗤うと。くるりとマルダス王を振り返った。
「──さて。久しぶりだな、スインガ・フェリドゥ」
「な⋯⋯何?」
マルダス王は訝しげな顔をした。
「誰だ、貴様は──貴様などわしは知らんぞ⁉」
「はっ、さすがは傲慢な国王だな! かつて殺した男の顔も覚えていないとは‼」
「ころし──まさか」
マルダス王の顔から、さあっと血の気が引いた。
「き、貴様⋯⋯あの、あの商人⋯⋯⁉」
「そうだ。貴様に殺されたルゥリの運命の番だ!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
小さく声を上げたのは、レオーネだった。ヴィルヘルミネは思わず、シャオシンとレオーネを見比べる。
──どうしてルゥリ妃の行方を知りたがっていたのかと思ったけど⋯⋯
まさか彼女の運命の番だとは思わなかった。だが、それだけでなぜマルダス王がシャオシンの殺害を試みたのか解らない。
そもそも殺されたと言いながら、シャオシンは生きているのだが──
「なぜ、なぜだ⁉ 貴様はあの時、確かに死んだはずだぞっ」
「死体を確認したわけではないだろう? 角と翼を戦利品としてもぎ取って、後は水路に捨てただけだったはずだ。おかげで随分苦しい思いをさせられた」
「ぐ、それは⋯⋯」
せんりひん、と呟き、レオーネははっとした。
マルダス王の戦功の証のひとつとして、竜種の翼と角の剥製が飾られているのを見たことがあるのだ。
なぜ角と翼だけなのだろうと疑問だったし、やけに小振りだったのも気になっていたのだが、まさかあれがそうだったのだろうか。
そう考えると、背筋がぞわりと粟立った。何も知らずに眺めていた事実にも、それを戦功として飾っていた神経にも、恐怖を感じたのだ。
「こんな形で前に出るつもりはなかったのだがな──予定が変わった。ここで、まずは目的のひとつを果たさせてもらう」
シャオシンは冷たく笑った。




