九十三
レーヴは暗闇でも問題無く道案内ができた。
「獅子の獣人は夜目が利くんです。皇女殿下こそ、よくこの中で見えますね」
「わたくしは訓練をいたしましたので」
「訓練⋯⋯?」
首を傾げながらも、レーヴはさくさく歩いていく。
「主宮では、今魔物が出てるんですよね?」
「ええ。様子が気になりますし、できれば主宮の近くに出たいです。レオーネと護衛に心配をかけているでしょうし⋯⋯」
「目の前で消えたんですもんね⋯⋯僕も母様に心配されているだろうなあ」
レーヴはため息をついた。
「とりあえず謁見の間に出るルートを進んでますけど⋯⋯本当にあの男は、どうやってここを知ったんでしょう。そもそもどうやってここに僕達を連れてきたんでしょうか」
「魔法によるものだと思われますが、わたくしも見たことがないものでしたわ。もしかしたら、黒魔法かも」
「黒魔法?」
「ええ」
ヴィルへルミネはレーヴに黒魔法の説明をした。
表情を曇らせたレーヴは、再びため息を漏らす。
「とんでもない人を引き込みましたね、リエーフ兄様⋯⋯」
「ええ。第一王子殿下にはきっちり落とし前を付けなければ」
ぼそっと呟かれた一言にレーヴが戦慄したのには気付かず、ヴィルへルミネは思考を巡らせた。
──商人の潜伏場所は解ったけれど、謎は残ったままね。
なぜここを知っていたのかもそうだが、ルゥリの居所を知りたい理由もまだ解らない。訊いても答えなかったが、駄目元で何度か尋ねればよかったのかもしれない。
ただ、解ったこともある。それは商人が竜人だと確定したことだ。
シャフナの予想通り、どうやら角は折れていたらしい。おそらくローブの下の翼も、無惨なことになっているのだろう。
多種族国家のローディウムには、竜人も少なからずいる。彼ら彼女らは皆、立派な角と翼を持ち、それを誇りとしていた。祖先が高位竜種とされている竜人にとって、それらは自己の証明なのだ。
それが半ばから折れているだなんて、一体どんな人生を送ればそうなるのだろうか。
こんな目に遭わされたのだから同情心など湧かないが、その部分には思うところがないでもなかった。
「急ぎましょうか」
「は、はい」
ヴィルへルミネに急かされ、レーヴは足を速めるのだった。
───
どさり。
謁見の間にて、魔物が横倒しになって絶命した。それを成したレオーネは、斧槍をぶん、と振って血糊を払う。
その姿に、マルダス王は凍り付いた。
魔物が主宮に現れた時、マルダス王は謁見の間にいた。アミラを妃に迎えることに反対する重臣達と面談しており、その場にはアミラ本人もいたのである。
謁見の間は扉が頑丈に造られており、主がいる時は近衛戦士が常駐している。そのため安全だと思っていたのだが、突如として魔物が湧き出たため、蜂の巣を突いたような混乱が引き起こされた。
まず手近にいた臣下と、それを守ろうとした近衛戦士が犠牲になった。次に魔物は炎を操り、謁見の間を炎上させようとした。その時、レオーネが乱入したのである。
魔物とレオーネの戦いは一進一退だったが、彼には皇女の護衛が味方に付いていたため、間も無く決着した。
その姿はマルダス王の恐怖心を煽るのに充分なもので、かつて戦った魔術師を思い起こさせる。
ルゥリのかつての婚約者だった商人も、腕の立つ魔術師だった。戦いが本職ではなかったこと、マルダス王のほか何人もの戦士を相手取った多勢に無勢だったために勝つことができたものの、それでもこちらの戦士に大きな被害をもたらした。殺害できたのは、運がよかったのかもしれない。
マルダス王の中で、レオーネと、その商人との姿が被った。否、もしかしたら商人よりよほど恐ろしく映る。
そんな彼に、駆け寄る者がいた。アミラである。
「レオーネ! 怖かったぁ」
媚びる色を含んだ声に、レオーネ以外の全員が唖然とした。
アミラはマルダス王の妃となろうとしているし、それ以前に立場はまだリエーフの側妃である。そんな彼女が、夫の息子/弟にしなだれかかるように近寄るのは、明らかにおかしかった。
アミラは周囲の視線などお構い無しにレオーネに触れようとする。だがその直前、ヴィルヘルミネの護衛であるヴォルフがさっと防いだ。
不満げにヴォルフを睨み付けるアミラ。だがヴォルフは厳しい表情で睨み返した。
男に厳しい態度を取られることがほとんどなかったアミラは、身体を震わせ、後ずさる。そして助けを求めるようにレオーネを見た。
「レオーネ、酷いのよこの人! 何とか言ってどかしてよっ」
「⋯⋯うるさい」
「え?」
ぽかんとしたアミラを、レオーネは冷たく見返した。
「おまえになんか用は無い。話しかけるな」
「な、な⋯⋯!」
アミラは顔を真っ赤にして憤慨した。
「なに、何⋯⋯何なのよ⁉ あたしが声をかけてやってるのに、うるさいって何⁉ 酷い酷い酷い酷い⋯⋯あんたなんか、あんたなんかあ!」
アミラは喚き散らしながら、ぶんっ、と何かを放り投げた。はっとするレオーネとヴォルフの前で、それは床に叩き付けられ、音を立てて砕け散る。黒紫色の硝子の小瓶だった。
とたん、その中からぶわり、と黒い煙が噴き出る。
身構えるレオーネとヴォルフの目に、黒煙が明確な形を作り出すのが映った。
一見それは、黒い獅子に見えた。たてがみに鋭い爪を備えた四肢は、レオーネの一要素を構成する獅子の特徴だ。
だが背中からは蝙蝠のような翼が生え、長い尾は獣のそれではなく、針と外骨格を備えたものである。
「まさか、マンティコア⋯⋯⁉」
ヴォルフが愕然とした声を上げた。レオーネも冷や汗をかきながら斧槍を構える。
一方、呼び出したはずのアミラは、現れた魔物に青ざめた顔で後ずさった。
「ひっ⋯⋯何、何⁉」
どうやら小瓶を割った結果、何が起こるか解っていなかったようだ。あるいは、聞いていなかったのか。
レオーネは舌打ちした。
──責任も取れないくせに、逆切れして余計な真似しやがった。
思わず口が悪くなるが、しかたがないと誰ともなく言い訳する。
ただでさえヴィルヘルミネの行方が解らず苛立っているのに、そこに来て更なる厄介ごとが現れたのだ。口汚い悪態もつきたくなるだろう。
「ヴォルフ、援護」
端的な指示を出した後、レオーネは斧槍に炎をまとわせた。その間に魔物──マンティコアは完全な姿を現す。
煙と同様に、胴体もたてがみも、翼や尾さえ真っ黒な姿。唯一顔だけが僅かながら薄い色をしている。だがその顔は獣ではなく、人間の男のそれだった。それが見る者の生理的嫌悪を助長させ、より醜悪さを増しているように見える。
マンティコアは醜い魔物の代表例とされているが、この姿を見るとまさにと思わされた。
マンティコアは周囲を睥睨し、ぎい、と嗤った。唇の間から見える歯は人間とも獣とも違い、一本一本が針のように細く、鋭い。それがびっしり生えそろっているものだから、口腔というより、罠のトラバサミに見える。
レオーネが覚悟を決めて、ぐっと踏み出そうとした時だった。
「ぐぎゃっ⁉」
マンティコアが悲鳴を上げて後ずさった。狂暴な顔に、火の玉がぶつかってきたからだ。
驚いたレオーネは振り返る。その先は玉座があり、そこにいるのはマルダス王である。だが彼は身体強化以外の魔法は使えないはずなのだが──
「間に合いましたかしら」
そう言って、玉座の影から現れたのは、ヴィルヘルミネだった。
少し薄汚れたドレスをはたき、優雅な足取りで前に出るその姿は、小柄だが誰よりも存在感があった。
「ヴィルヘルミネ⋯⋯?」
「はい。貴方のヴィルヘルミネですわ、レオーネ」
呆然と呟くレオーネに、ヴィルヘルミネは微笑みかける。そして正面を指した。
「ひとまず、あの魔物を何とかしませんこと?」
「⋯⋯ああ、そうですね」
レオーネはマンティコアに向き直った。その唇に、笑みを浮かべて。
背後にヴィルヘルミネがいる。それだけで身体中に力がみなぎってくる。減った魔力もあふれ出るようだ。
レオーネは不思議な心地に押されるように、地面を蹴った。




