八十九
正妃宮の執務室に移動した一行は、正妃からレオーネ不在の王宮で何があったのかを教えられた。
リエーフの廃嫡は予想していたことのひとつだし、ルゥリの離縁は望んでいたものだ。それほど驚くことではなかったが、マルダス王とアミラの一件の結果、正妃までもが離縁を視野に入れたことに皆驚きを隠せなかった。
「潮時だったのです」
だが正妃本人はあっけらかんとしたものだった。
「もともと政略による婚姻だったのですが、陛下の女好きにはほとほと呆れておりましたので。何しろ側妃の半分が、前の婚約を解消しての召し上げでしたのよ?」
「俺の母と──実家に下がったというもうひとりの側妃ですか?」
「そうです。まだあちらとは穏便な解消でしたが⋯⋯ルゥリ妃に関しては、相手側とかなりもめたと聞いています。わたくしは当時国外にいたので、詳細は知らないのですが」
外交のための遊学中だったのだという。仕事に出ている間に夫が無理矢理召し上げたと聞いた正妃の気持ちは、想像以上の苦痛だっただろう。
そんな過去を押し流すように、正妃はため息をついた。
「ともあれ、離縁したところでレーヴの後ろ盾にはなれます。あの子が成人するまではと思っていましたが、ほとほと愛想が尽きましたわ」
「ところで、アミラ妃は自分が正妃になるなどとおっしゃってましたが、本当でしょうか?」
ヴィルヘルミネが尋ねると、正妃は首を振った。
「いいえ。我が家門はアミラ妃との養子縁組を解消する予定です。平民は正妃になれないので、ほかに受け入れてくれる家門を見付けない限り正妃にはなれませんわ」
「では、彼女の妄言ですわね。この状況で名乗りを上げる貴族はいませんし、いたとしても大した後ろ盾にはなれませんもの」
「その通り。そもそも上の世代ほど運命の番を絶対視する者が多い。そうでなくとも倫理的に受け入れがたい者が大多数です。誰もアミラ妃を正妃だと認めないでしょう」
リエーフがまだ王太子だった頃、アミラが正妃であれたのは、彼女がリエーフの運命の番、かつ正妃の家門の養子になっていたからだ。そのどちらでもない、どころか明らかな不貞の末の婚姻で、正妃になれるはずがない。側妃ですら、ぎりぎりのラインである。
「しかし⋯⋯問題はリエーフですね。廃嫡はもはや覆せないことですが、その上運命の番が父親に奪われるだなんて⋯⋯何と説明すればよいのやら。そもそもまともに聞き入れてくれるかどうか」
「離縁ですら全力で拒絶するでしょうね。今頃、番と離れたことによる不安に苛まれているでしょうから」
正妃とレオーネは渋い顔になった。
獣人であるふたりは、運命の番から離れることによる不安定さを知っているし、レオーネは実感もしている。彼がこのことを知ればどんな行動に出るか、予測がつかなかった。
「リエーフは抑制薬を飲んでいないのかしら」
「処方はされているようですが、飲んではいないようです。どうも薬全般に忌避感を抱いているようで」
リエーフには毒矢だけでなく、マルダス王に対しても薬を仕込んだ疑いがある。内に残った罪悪感が薬に対する恐れへと変貌しているのだとしたら、自業自得以外に何も言えなかった。
同じことを考えているのかは解らないが、正妃はため息をついた。
「あの子のことは一旦置いておきましょう。差し当たっては、国王陛下のことです」
「⋯⋯陛下は、本気でアミラ妃を迎えるつもりなんですか?」
「そのようです。冷静になってみると、あそこまで道理の解らない方ではなかったはずなのですが⋯⋯」
それはレオーネ達も考えていたことだった。
息子の妃を娶る国王など、明らかに国を乱す存在だ。後世に愚王の誹りを受けても文句を言えない。
そんな愚行を、対面や利益を重視するマルダス王が行うだろうか。
「⋯⋯あの」
ヴィルへルミネはそろりと手を上げた。
「例の商人は、アミラ妃と第一王子を引き合わせた可能性があるのですよね?」
「⋯⋯? それが、どうかしました?」
「つまり、商人と繋がりがあるのですよね? 行方をくらませたという商人から何かしらの魔道具や魔法薬を受け取って、それで思考能力を下げられている可能性はないでしょうか」
はっと全員が顔を見合わせた。
商人の行方はようとして知れない。その行方の知れない商人をアミラがかくまっていて、彼から協力を得ているのだとしたら──
「⋯⋯でも、それなら商人の目的は何なんだ?」
レオーネは眉をひそめた。
毒矢の件といい、やっていることはもはや商人の領分を超えている。何かしらの目的があるのだと考えなければ説明がつかないほどだ。だがその目的が見えてこない。
全員が不気味さを感じていると、ばたばたと慌てたような足音が聞こえてきた。
「正妃殿下!」
入ってきたのは、正妃付きの近衛戦士だった。青ざめたその顔に、正妃が立ち上がる。
「どうしたのです⁉」
「お、王宮に⋯⋯王宮の主宮内に魔物が現れました!」
「なん、ですって⋯⋯⁉」
正妃の頬から血の気が引いた。そのまま倒れそうになった彼女を、レオーネが支える。
「なぜ魔物が現れたんだ?」
言葉を発せない正妃に代わり、レオーネが尋ねると、近衛戦士は首を振った。
「解りません。ただ、確認されただけでも十体以上は存在し、その強さに戦士達は苦戦しているようで⋯⋯」
「⋯⋯レオーネ」
ヴィルへルミネは鉄扇を手に、レオーネを見上げた。レオーネも頷き、ラルクに預けていた斧槍を受け取る。
「討伐に向かう! 案内してくれ」
「え⋯⋯あ、はい!」
一瞬呆けた近衛戦士は、弾かれたように踵を返した。
正妃を椅子に座らせたレオーネとヴィルへルミネは、ヴォルフを伴ってそれを追いかける。執務室に残ったのは、未だ顔色の悪い正妃と、ラルクとシュネーだった。
「正妃殿下、大丈夫ですか?」
ラルクが気遣わしげに声をかけると、正妃はこくりと頷いた。
「ええ。貴方達も、気にせずレオーネ王子達を追いかけてもいいのですよ」
「いや、哀しいことに、我々では魔物相手では足手まといになるだけなのです」
「正妃殿下、許可をいただけるならお茶をお淹れしましょうか」
シュネーも心配を覗かせてそう言う。正妃は弱々しく微笑むと、首を振った。
「ありがとう。でも、それよりレーヴを見に行かないと。あの子は正妃宮にいるから大丈夫でしょうけど、心配ですから」
「お供します」
「お願い」
ラルクとシュネーを従えて、正妃も執務室を後にした。
誰もいなくなった執務室。そこで響き渡る声があった。
「うまく誘い出せたな。あとは──」
その声を聞く者は、誰もいなかった。




