八十八
レオーネにとっては一ヶ月以上振りの王都帰還だが、不思議と懐かしいという感覚は無かった。
レオーネが人生の大半を過ごした離宮はぎりぎり王宮の敷地内にあるというような奥まった立地で、王都で遊び歩くようなことはしなかった。出たとしても必要にかられたからで、馴染みの店や人がいるわけではない。それは、ローディウムから帰国しても変わらなかった。
「⋯⋯薄情な王子だな」
馬上で王都を眺めながら、レオーネは呟く。
走竜討伐から帰還したのはレオーネとヴィルへルミネ側のほか、自分で動けるまでに回復した戦士達だった。戦士達は皆先日まで重傷を負っており、中にはどこかしら欠損している者も多い。
マルダスは日差しの厳しい国であるため、熱を帯びやすい金属製の義肢は発達していない。戦闘に耐えうるほどの耐久力を持たない以上、戦士としての生命は終わったといえる。彼らの今後を考えると、気が重かった。
そんな彼らは、王都に家族がいる者も多い。そう思うと多少なりとも思うところは生まれるものの、やはり王都への郷愁は感じない。
むしろローディウムでの日々を懐かしく感じるぐらいだ。
レオーネの心は、着実にローディウムに傾きつつあった。
───
「よくぞ戻った」
謁見の間にて、そう言って威厳を見せるマルダス王。その隣に、正妃の姿は無い。代わりにいるのは、アミラだった。アミラは誇らしげ──というより勝ち誇った笑みで、マルダス王に寄り添っている。その姿が初めて対面した時を思い起こさせて、ヴィルへルミネは嫌な気分になった。
「ご命令通り、走竜の討伐任務を果たして参りました。幾つかのトラブルはございましたが、スルージュ領の危機は去ったと見ていいでしょう。後は、領主本人が対応するとのことです」
そう言って、レオーネは炎走竜の角と牙、魔晶石を差し出した。特に魔晶石の大きさに、マルダス王は目を剥く。
「こんな大きな魔晶石が、走竜の中にあったのか?」
「⋯⋯この魔晶石は、すでに研磨されている形跡がございます。おそらくは、何者かが走竜に改造を施し、炎を操れるようにしたのでしょう」
「魔物の改造技術は、確かにございます」
ヴィルへルミネは顔を上げた。
「かつてローディウムで反乱を企てた者が、同じような技術を用いたと聞いておりますわ。おそらく、マルダスに混乱を招こうとした者がございます」
「魔物を改造、だと?」
「はい。黒魔法という、ローディウムでは法律で使用も学ぶことも禁じられた魔法がございます」
黒魔法。別名代償魔法と呼ばれるそれは、文字通り何かを代償に強い力を行使する魔法である。生物を改造したり、死に至るほど強力な呪いをかけることも可能な、恐ろしい魔法だ。ヴィルヘルミネも名前だけは聞いたことがあったが、文字を見ただけで底知れぬ恐怖を覚えたものである。
ローディウムの皇室であるカルンシュタイン家は、昔からこの黒魔法と対立するような縁があった。
建国前には黒魔法を用いた領主の討伐、二十年前には黒魔法による事件を両親が解決している。そして今、黒魔法によって改造されたと思しき走竜をヴィルヘルミネの婚約者が屠った。
これは偶然ではないと、脳の奥が告げているようだった。
「ふむ⋯⋯まあ、それは後で考えればよかろう」
しかし、マルダス王はことの重大さが解らないようだった。
魔法に馴染みの無いマルダス王には、黒魔法の危険性が解らなかったのかもしれない。それにしたって深刻に捉えないことをいぶかしく感じ、レオーネと顔を見合わせる。それを勘違いしたのか、マルダス王は鷹揚に頷いた。
「心配せずとも、おまえ達の婚約は結ばせよう。ただ、ひとつだけ提案があってな」
「⋯⋯何でしょう」
ヴィルヘルミネとレオーネは渋々前を向いた。そんなふたりに、マルダス王は名案とばかりに明るく言う。
「ふたりは年齢が離れておるだろう? レオーネも今年で十九歳だ。若い男を待たせるのも忍びない」
「何が言いたいのでしょうか」
「そこでだ、皇女よ。確か皇女は末王子のレーヴと同い年だろう? 皇女はこちらと婚約し、レオーネは」
「却下ですわ」
言い終わる前に、ヴィルヘルミネはぶった切った。鼻白むマルダス王を、ヴィルヘルミネは冷たく見据える。
「考えるにも値しませんわ。わたくしはレオーネがいいのです。その弟では意味が無い」
「なっ⋯⋯」
マルダス王は絶句した。顔にはありありとなぜこんな奴がいいのだ、と書いている。
「皇女よ! 確かにレオーネと貴方は運命の番かもしれない。だが」
「あら、お忘れですか、陛下。獣人と竜人以外には、運命の番を感知できないのですよ」
ヴィルヘルミネはちらりとアミラを見た。
リエーフの運命の番でありながら、当然のようにマルダス王の隣に居座る人物を。
「わたくしが彼を選んだのは、運命などではなくわたくしの意思ですわ。お間違えなく」
「ぐっ⋯⋯」
「⋯⋯国王陛下、このようなくだらない提案をするぐらいながら、早く正式婚約をしてください」
レオーネが呆れたように言った。
「そもそも、なぜアミラ妃がここにいるのですか? 彼女は兄上の側妃のはずですが」
「それは」
「あたしが陛下の正妃になるからよ」
マルダス王が何か言う前に、アミラが胸をそらして答えた。その顔に、傲慢な色を乗せて。
事前にアミラがマルダス王の妃になるかもしれないと聞いていた一行だったが、正妃と聞いて唖然とした。
──え、アミラが国王の正妃?
──⋯⋯無理では?
一行にそんな空気が流れるが、アミラは気が付かない。
「ねえ、お姫様。貴女にレオーネはもったいないわ。だから、陛下に従いなさい」
「なぜわたくしがマルダス王陛下に従わなければならないのでしょうか?」
「陛下の方が偉いからよ」
「ふふ⋯⋯おかしなことをおっしゃるのね」
ヴィルへルミネは一瞬の戸惑いを押し殺し、微笑んだ。
「わたくしはローディウムの皇女。マルダス王国の臣民ではありませんわ。陛下の命に従う理由は無くてよ」
「はあ?」
アミラの片眉が跳ね上がった。
「陛下、あんなこと言わせていいんですか⁉」
「⋯⋯いや、それは」
口を開きかけたマルダス王だが、三度目も遮られることになる。
「そこまでになさいませ」
マルダス王などより威厳と重みを含んだ、柔らかい声。
声の主は、正妃だった。
「アミラ妃、正式に妃にもなっていないのに、なぜそこにいるのです」
「これからなるのよ!」
「まだ、でしょう。第一王子との離婚もしていない以上、貴女はそこにいてはいけない。戻りなさい」
冷たい眼差しに、アミラは唇を引き結ぶ。マルダス王も、気圧されたように黙り込んだ。
そんなふたりを無視し、正妃はヴィルへルミネに向き直った。
「よく無事で戻りましたね。⋯⋯レオーネ王子、貴方に話があります。よかったら、皇女殿下もご一緒に」
その言葉に、ヴィルへルミネとレオーネはまた顔を見合わせた。




