七十七
ミカエルシュナと話すことで落ち着いたヴィルヘルミネは、自分ができることを考え始めた。
ローディウムで自分ができることは無い。だが外に目を向ければ、何かあるのではないか、と考え始めたのだ。
魔狼の一件はあらかた片付いており、あとのことはヴィルヘルミネの手を離れている。皇宮でヴィルヘルミネのすることといえば勉強ぐらいで、それも現在必要な分はほとんど履修済みだ。
だからローディウムにいる理由は無いのである。
「とはいえ、急に国を出るわけにもいかないし⋯⋯そもそもローディウムを出てどうしようかなんて、まだ決まってないわ」
ミカエルシュナの執務室の帰り道で、ヴィルヘルミネは呟いた。同行していたヴォルフが不思議そうな顔をするが、それを気にする余裕も無い。
とぼとぼと歩いていたヴィルヘルミネは、中庭に差しかかったところで、ギルエルフィネとペレアスを見かけた。
既視感を覚えながら足を止めると、ペレアスがひざまずく。
おや? と思う間も無く、ペレアスがギルエルフィネの手を取ってその指先に口付けをした。
「⋯⋯⁉」
思わずヴォルフと顔を見合わせ、叫ばないように口を塞いだ。
ペレアスはすぐに唇を離し、足早に去っていった。視力の優れたヴィルヘルミネの目には、ペレアスの耳が赤くなっているのを確認する。
一方のギルエルフィネは、珍しくぼんやりしていた。ペレアスが消えた方向を見つめ、黙っている。
だが、さすがギルエルフィネと言うべきか。
「ヴィルヘルミネ、こっちに来い」
ぴゃっ、と飛び上がったヴィルヘルミネは、ヴォルフと共に恐る恐るギルエルフィネの背中に声をかけた。
「お姉様⋯⋯あの、今のは」
「あー、うん」
ギルエルフィネは振り返り、困った顔をした。
「多分すでに察していると思うが──私は、ペレアス卿に好意を向けられている」
「やっぱり⋯⋯」
「でも、告白されたのは子供の頃だし、今も想われているなんて思わなかったんだ。幼い初恋だって、思い込みたかったってのもあるけど」
「思い込みたかった?」
「私も、ペレアス卿のことを憎からず想っているってことさ」
苦笑するギルエルフィネを見上げ、ヴィルヘルミネは呆然とした。
「え、じゃあ⋯⋯!」
「まあ待て。だからといって、すぐ恋仲になれるなんて、私もペレアス卿も思っていないよ」
ギルエルフィネは肩をすくめた。
「私は皇太子だからな──その伴侶となると、求められるものが多い。残念ながら、ペレアス卿は全てを満たしているわけじゃない。条件達成まで待つわけにもいかないしな」
「お姉様⋯⋯」
「だから、期限を設けたんだ」
ギルエルフィネは片目をつむり、悪戯っぽく笑った。
「二年以内に皇太子麾下の鋼狼騎士団の副団長に登り詰めたら、父上に私達のことを報告するってな」
「二年⋯⋯短くないですか?」
「そうか? むしろ長くし過ぎたと思っているんだが」
さすがに二十歳過ぎても婚約者がいないのはな、とギルエルフィネは言った。なるほどその通りで、ヴィルへルミネは黙り込むしかない。
「それまで死に物狂いで頑張って、それで駄目なら諦めがつくし、途中で投げ出すならそれだけの気持ちだったということだ。勿論、私だって座して待つつもりじゃない。根回しは私の役目だ」
「⋯⋯そんなことをしなくても、お父様は認めてくださると思いますけど」
「この場合、問題なのは父上じゃなくて周囲の方だからな。議会が納得しなくちゃ意味無いし、皇配になりたいヤツは、ごまんといる」
ようは建前と、付け入る隙を無くすための準備期間なのだという。ヴィルへルミネにも身に覚えがあるため、それには納得できた。
「私のことはこれぐらいで──おまえだ、ヴィルへルミネ」
「え?」
「何があった? 顔色、悪いぞ」
問われ、ヴィルへルミネは思わず顔に触れた。
「そんなに⋯⋯悪いですか?」
「少なくとも、家族にはバレるだろう。ほら、こっちにおいで。話を聞くから」
ギルエルフィネはヴィルへルミネの手を取り、中庭のベンチに誘導した。
「それで、どうしたんだ?」
優しいギルエルフィネの声に、ヴィルへルミネはぽつりぽつりと、ミカエルシュナにもした説明をした。それを最後まで聞いたギルエルフィネは、難しい顔で腕を組む。
「レオーネ殿に何かがあった、だが何があったのかは解らない──何とももどかしいな」
「はい⋯⋯」
「ただでさえ異国の地だってのに、遠く離れてるんじゃあなあ」
ギルエルフィネはしばし黙考した後、尋ねた。
「ヴィルへルミネはどうしたい?」
「どう、とは?」
「レオーネ殿のために、何ができる? あるいは──おまえ自身が、何をしたい?」
その問いは、ヴィルへルミネが先ほどから考えていたことだった。
ヴィルへルミネは一瞬言葉に詰まる。レオーネのためにできることなど、思い付いていなかったからだ。
だが、何がしたいのかは、はっきりしていた。
「⋯⋯マルダスに、行きたいです」
「行ってどうする?」
「レオーネの加護が発動したのが魔物によるものなら、婚約の許可を得るだけですわ。でも、誰かに害されたのなら──次は、わたくし自身がレオーネを守ります」
きっぱり言い切ったヴィルへルミネに、ギルエルフィネはふ、と笑った。
「それでこそだな! よし、父上のところに行こう」
「行くのはいいですけど、まず先触れを出さないと」
「そうだな。昼食にする話でもないし⋯⋯急いで出さないと」
ギルエルフィネは偶然通りかかった文官にユリウスの先触れを頼むと、ヴィルへルミネに向き直った。
「で、マルダスに行って、本当に人災だったとしてだ。どう守るつもりだ?」
「うーん⋯⋯」
ヴィルへルミネは頭を捻った。先ほどとは違い、少しずつ思考が巡り出している。ギルエルフィネと話したことで、冷静さを取り出したようだ。
「やはり、まずはとにもかくにも正式な婚約を結ばねばなりませんわ。そして、敵をはっきりとさせるのです」
「偽装とはいえ、婚約にけちをつけてきたんだ。そう簡単に行くと思うか?」
「いかないでしょうね。だから、何か武器を考えねば」
ヴィルへルミネはしばし思案し、ふと、ギルエルフィネを見上げた。
「⋯⋯お姉様。ご協力をお願いしたいのですけれど、よろしいかしら」
「いいとも。存分に利用するがいいさ」
「ありがとうございます。ところで、お姉様の進めていらっしゃる皇立魔法学園は、どれほど進んでいますの?」
「ふうん?」
にや、とギルエルフィネの口端が吊り上がった。
「なるほど、そういうことな。⋯⋯とりあえず、学園と、それを取り囲む学園都市の候補は選定済みだ」
「では、教師はどうでしょう」
「人に教えられる人材となると、やっぱり限られてくるからなあ。皇宮魔術師から数名と、フィン王国から教師を融通してもらうつもりだ」
「一名、加えていただけるかしら。レオーネ・フェリドゥと言うのですけれど」
「彼はもともと候補だったろ」
「ええ。でも、候補者ではなく、内定者として」
「いいぞ。彼なら面白いことになりそうだ」
はっきり言えば、このやり取りは茶番もいいところだった。
魔法学園の教師の候補者、内定者と話しているが、そもそも三人の中では決まっていたことである。ただ、前倒しになっているだけで。
「あとは⋯⋯多少のはったりも必要ですわ」
「それなら、こんな話が入っているぞ」
考え込むヴィルへルミネに、ギルエルフィネは世間話のようにその話を吹き込んだ。それを聞いたヴィルへルミネは、はっと顔を上げる。
「お姉様、それは」
「身内の婚約者のことを、私や父上が調べないわけがないだろう? うまく使えよ」
「ありがとうございます!」
やがて先触れを頼んだ文官が戻ってきて、ふたりは足早にユリウスの執務室に向かった。




