六十九
「えぇ⁉ 遠征って⋯⋯兄様は研究者になったばかりなのに?」
離宮に遊びに来たレーヴは──彼は時折こうして離宮を訪れては、レオーネの学んだことを聞きに来ることがあった──愕然とした声を上げた。
レオーネが王宮研究室に就職が決まったことを聞きつけ、ささやかなお祝いをしようとしてくれたようだが、そんな空気が霧散してしまったことを申しわけなく思う。
「北西部で走竜が群れを成しているらしい。その数が異常ってことで、今回の遠征が組まれたみたいだ」
「竜⋯⋯」
レーヴの顔色が青ざめた。
竜は魔物の中でも最上位の存在である。種類は空を飛ぶものから地を走るものまで様々だが、総じて固い鱗と鋭い爪牙を持ち、並の戦士では相手にならない。最下級の走竜でさえ、一体倒すのに獣人の戦士五人は必要とされている。
「走竜っていうのは、実際に見たことはないが⋯⋯どんなものなんだろうな」
顔色の悪いレーヴに対し、レオーネは平素と変わらない様子でてきぱきと準備を進めていた。
「⋯⋯え、兄様。何でそんな」
「余裕そうなのかって?」
こくん、と頷くレーヴに、レオーネは後ろ頭をかいた。
「まあ竜と戦ったことは無いが⋯⋯討伐に参加するのは初めてじゃないし、走竜もそんなに強い部類じゃないし」
「確かに竜種の中ではそうかもしれませんが⋯⋯」
「別になめてるわけでも油断してるわけでもないぞ。ただ、ローディウムでさんざん学んだんだ」
必要なものをリストアップし終えたレオーネは、斧槍の手入れに取りかかった。
「対峙するまでに慌てても、何にもならないってな。なら事前準備を完璧にしておいた方が建設的だろ」
「そうかもしれませんが⋯⋯」
「あと、ヴィルへルミネ──ローディウムの皇女を迎えるなら、走竜程度は倒せなければならないだろうしな」
「⋯⋯それは、ローディウム側にそう言われたんですか?」
「いや? 俺がそう思っているだけだよ」
それと、とレオーネはレーヴを振り返った。
「チャンスだと思ってな」
「チャンス?」
「一応は竜である走竜の群れを討伐したとなれば、かなり大きな功績となる。その功績を持って、改めてヴィルへルミネとの正式な婚約を願い出ようかと思う」
「リエーフ兄様のせいで、レオーネ兄様の婚約は仮のままですからね⋯⋯」
レーヴは納得したものの、それでも不安げにレオーネを見つめる。そんな弟の様子に、レオーネは苦笑した。
「何でおまえが死にそうな顔をしてるんだよ」
「だって⋯⋯」
「大丈夫──って断言できるわけじゃないが、これは乗り越えなきゃいけない試練だと思ってる。そもそもそう簡単にことが進まないのは承知の上だったんだ。慌てるほどのことじゃないさ」
レオーネの言うように、レーヴはまだ顔色がすぐれなかった。レオーネもこれ以上重ねる言葉が思いつかず、無言で斧槍の手入れを続ける。しばらく沈黙が支配していた空間に入り込んできたのは、ラルクだった。
「レオーネ殿下、お客様がお目見えです」
「客?」
「はい。何でも第一王子の紹介だとか」
ラルクは怪訝な表情を隠しもせずに言う。レオーネもまた、眉をひそめた。
「兄上の? ⋯⋯応接間に案内してくれ。すぐ行く」
「はい」
出ていくラルクを見送ったレーヴは、レオーネに頭を下げた。
「⋯⋯これ以上は、邪魔になりそうです。僕はこれで失礼します」
「ああ。悪いな、大したもてなしもできなくて」
「いえ! 急に来た僕が悪いので。⋯⋯では、ご武運を」
「ああ」
名残惜しげに部屋を後にするレーヴを見届けレオーネは斧槍を置いた。
「⋯⋯兄上の紹介ねぇ?」
レオーネは首を傾げた。
リエーフが自分に悪意を持って接する想像は、未だにできない。だがそれは今までのリエーフがそうだったというだけで、現在、そしてこれからのリエーフがそうだとは限らないのだ。そうでなくとも、リエーフとはヴィルへルミネのことで対立している。
だから、これから会う人物も警戒して会わなければならないのだが──
「だが、このタイミングで何が目的なんだ⋯⋯?」
全く想像ができないことに、レオーネは頭を抱えた。
───
「はじめまして、第二王子殿下。私は、第一王子殿下の御用聞き商人をしている者です」
応接間にて、その男──ターバンにローブ姿の商人は、頭を下げた。
マルダス人とは趣の違う顔立ちを、レオーネは意外な気持ちで見つめる。
ローディウムと違い、マルダスで外国人が商売をするのは大変だ。なのにマルダスの王宮の出入りを許され、かつ王太子だったリエーフの御用商人となっていることに、驚きを隠せなかった。
「兄上の、ね。一体どのような用件で俺のところに?」
「こたびの討伐の件、第一王子殿下も非常に気にかけておられるのです」
「⋯⋯耳が早いな」
「でなければ商売などできませんので」
商人は黒い目を細めた。
「なので、私の商品で第二王子殿下のお助けをせよと命じられました。お代の方は第一王子殿下の支払いになりますので、お気になさらず」
「ふぅん⋯⋯」
──ローディウムでの買い物といい、兄にそこまでの財産が残っているとは思えないんだが⋯⋯
ローディウム及びヴィルへルミネへの謝罪のため、財産と予算をだいぶ削ったはずだ。一体どこから捻出したのだろうか。
「私が扱うのは、主に魔道具でございます」
商人は脇に置いていた荷物から、恭しい手付きで幾つかの品を取り出した。
「基本は薬、素材ですが⋯⋯勿論、それ以外も扱います。事前に言ってくだされば、勿論魔道具以外も取り寄せさせていただきます」
商人が見せたのは、幾つかの魔法薬の瓶と、美しい装飾の施された短剣だった。
レオーネは魔法薬のひとつを手に取り、唸る。
「傷を癒やす魔法薬だな⋯⋯それもかなり品質のいい。だが、これだけの品は、相当に高いはずでは?」
「さすが魔術師であるレオーネ殿下、一目で解りますか。ええ、ですが、お値段は貴方がお気になさる必要はございません」
商人は微笑むが、レオーネはそれに、笑顔を返すことはできなかった。ますます怪しく感じ始めたからだ。
謝罪の件からすでに半年以上経過している。その間に財産を増やそうと思えば、確かにできなくはないだろう。
だが、それは値段を気にせずにいられるかどうかと別問題だ。多少の見栄は張れるだろうが、その分切り詰めねばならないだろう。
それに、この商人自身も胡散臭い。魔法薬を扱っていることといい、どうにも引っかかりを覚えるのだ。
そもそも、リエーフがレオーネのことを心配しているという部分も信じられない。
平素ならともかく、現在のリエーフは王太子解任の失意から未だ立ち直れないと聞く。そんな彼に、レオーネのことを気にする余裕があるとは思えなかった。
「⋯⋯悪いが、俺も御用聞き商人がいる。必要なものはそちらで揃えるつもりだ。兄上の気遣いはありがたいが、貴方の手をわずらわせるつもりは無い」
「ご心配なさらずとも、私は」
「全て言わねばならないほど、貴方も察しは悪くないと思っているが──それとも、明言してほしいのか?」
レオーネが拒絶するように言うと、なぜか商人の顔に失望の色が浮かんだ。それは本当に一瞬のことで、気のせいかと思うほどだ。
だがレオーネは、己の言葉を撤回する気にはなれなかった。
「⋯⋯解りました。では、第一王子殿下には、必要無いとお伝えしますが、よろしいですか?」
「ああ。一応、俺からも礼はするが、貴方からも伝えておいてくれ」
「ええ」
商人は頭を下げた。
下げる直前、異様に冷たい眼差しをしたのが、妙に印象に残った。




