六
ローディウム帝国にマルダス王国からふたつ書簡が届いた。ひとつはマルダス王から皇帝ユリウス宛に。もうひとつはリエーフ王太子から第三皇女ヴィルへルミネ宛である。
リエーフからの手紙はヴィルへルミネの承諾の元、ユリウスが読んだが、その結果ユリウスはヴィルへルミネに読まなくていいと苦々しい表情で言った。ヴィルへルミネも読みたいとは思えなかったので、そのまま焼却処分された。
マルダス王からの書簡は、謝罪と、謝罪の意を示すために使者として第二王子を詫びの品と共に送り出すとの旨が書かれていたらしい。
「第二王子⋯⋯確か側妃の息子で、名前はレオーネ・フェリドゥでしたね」
ヴィルへルミネの兄である第二皇子ダリウス・カルンシュタインが言った。
ダリウスは白銀の髪を短く刈った、精悍な顔立ちの少年である。銀の髪は父方の祖母、サファイアのように輝く蒼い瞳は父譲りで、ユリウスの面影を残しつつ、印象は他国の王配になった叔父に似ているともっぱらの評判だった。
ダリウスの言葉に、ユリウスは頷いた。
「マルダスでは珍しい魔術師らしい。獣人は魔力が少ない傾向にあるが、彼は例外的に相当な魔力量を持つと噂されている」
「ローディウム周辺国でも獣人の魔術師は少ないですし、貴重な人材でしょう。そんな方が謝罪に来るということは、それだけマルダス側も今回の件を重く見ているということでしょうか」
ダリウスの言葉に、ユリウスは首を振った。
「逆だろうな。マルダス側にとって、レオーネ王子はそこまで重要人物ではない」
「それは⋯⋯側妃の子供だからでしょうか」
妻を複数持つという慣習が無いローディウムだが、正妻と側妻どちらが優先されるかの想像はできる。ましてや正妃との間にすでに王太子がいるなら、そこまで重んじられないのだろう。
「それもあるが、あの国は身体強化以外の魔法を軽んじる傾向がある。魔法の脅威こそ知ってはいるが、自分達がほとんど使えないからなのか、それに関する知識を蓄えようとはしないようだ」
「⋯⋯生活魔法は使わないんですか?」
生活魔法とは文字通り、日常生活において便利な魔法の総称だ。料理のために火を熾す、食器や洗濯物を洗浄する、身体の汚れを落とすなど、屋内外で活躍する魔法は、術式さえ覚えれば大した魔力を消費せず使えるので、ローディウムでは平民にも浸透した魔法である。
もし魔法が不得意でも代替品の魔道具が低価格で売られているので、使えなくとも問題無いと言われればそれまでだが、獣人は魔力が少ないだけで魔法が不得意というわけではない。
なので身体強化以上に広まっていてもおかしくないはずなのだが。
「生活魔法を使える者もいるようだが、大抵は王宮や貴族の使用人だな。王侯貴族は勿論、平民も生活魔法を使う者はほとんどいない」
「普及していない⋯⋯ということでしょうか」
「そうだな。代替品の魔道具も輸入品だからその分関税で高くなっているし、そもそもほとんど流通していないようだ」
頷くユリウスに、ダリウスは渋い顔をした。
これが文化や宗教的な理由なら無理強いはできないが、そうでないならただの偏見になる。強化魔法の扱いや第二王子が魔術師であることを公に知られているなら、魔法そのものがタブー視されているわけではないだろう。
そもそも信仰されている太陽神の神官達は、神から力を借りる神聖魔法を使えるはずである。系統が異なるとはいえ魔法が忌避されてるとは考えにくい。
「獣人は強化以外の魔法が使えないという考えが昔あったのは確かだけれど、それの名残りかしら」
ミカエルシュナはため息と共に首を傾げた。
ミカエルシュナの言う昔は千年単位なので、はるか昔の話なのだろう。もはや御伽噺か神話の時代である。
「断ることもできる。どうする、ヴィルへルミネ」
「え?」
両親と兄の会話を黙って聞いていたヴィルへルミネは、顔を上げた。
「わたくしが決めてもよろしいのですか?」
「当然だ。謝罪を受けるべきはおまえだし、それを受け入れるかどうか決めるのもおまえだ。先に言っておくが、マルダスとの通商条約の件は考えなくていい。今のままでも問題無いし、むしろあちらに圧力をかけられるから受けなくてもいいぐらいだ」
自身とミカエルシュナの存在がすでに圧力になっていることは伏せて、ユリウスは気安く言った。
ヴィルへルミネはしばし考え込んだ。
正直、マルダス関連のことはしばらく関わりたくない。
本人ではないとはいえ、その弟ならなおさら嫌だ。
かといって、生贄のように差し出される第二王子を可哀想だと思う気持ちが無いでもない。
ややあって、ヴィルへルミネは顔を上げた。
「第二王子を受け入れましょう。ただ、わたくしは直接会いたくありません」
「解った。ならそうしよう」
頷いたユリウスに優しく頭を撫でられながら、第二王子がいる間は部屋に引き篭もる決意を固めたヴィルへルミネだった。
───
マルダス王に呼び出された主が部屋に帰ってきたのを見て、侍従ラルクはすぐにカップの用意を始めた。
「コーヒー、ミルクと砂糖多めに入れますね」
「⋯⋯ああ」
主──マルダス王国第二王子レオーネ・フェリドゥは、疲れ切った声で答えた。
母親似の秀麗な顔には苦々しい表情が浮かんでいる。心なしか頭の上の獣耳もへにゃりとしている気がするし、尾は力無く垂れ下がっている。行儀悪く椅子にぐったりと座り込む姿は、全身で気怠さを表していた。
「そのご様子だと、予想通りの展開ですか」
「ああ。兄上の尻ぬぐいを命じられた」
ラルクが淹れたコーヒーに口をつけながら、レオーネは吐き捨てた。
レオーネの兄であるリエーフ王太子がローディウム帝国の皇女ヴィルへルミネに求婚を断られたという話は、離宮にいるレオーネ達のところにも届いていた。
リエーフは愚かにも皇女の前に己の運命の番を連れて行ったらしく、当然の結果だと王宮内は呆れ返っている。番のアミラはそれまでの行いもあって側妃に降格したが、それに同情する声もほとんど無かった。
後はローディウムの謝罪だが、外交官達も含めて誰もその役を買って出る者はいなかった。
当然だ、自国の王太子とその妃が大国に喧嘩を売ったようなものである。誰もその後始末をしたいとは思わないだろう。
だからマルダス王は、レオーネをわざわざ呼び出して命令したのだ。軽んじている側妃の子供、かつ魔術師のレオーネを。
レオーネの母は望んで側妃になったわけではない。もともと下級貴族の彼女は、とある豪商の妻になる予定だった。だがその美貌を見初めたマルダス王が大金を積んで側妃を買ったのである。
レオーネの母は、嫁いだ時点で将来的に飽きられることを見越していた。だから密かに知識と財を蓄えていたし、運よく子供ができ、その子供が高い魔力を持つ男児だと解ると、いつ王宮を追い出されてもいいようにとレオーネを養育した。
そして現在、ほとんど渡りの無くなった側妃はこれ幸いにとレオーネと共に離宮に引っ込み、王宮の外に出る準備を進めていたのだが──その矢先に、リエーフの一件が起こった。
「噂を聞いた時点で嫌な予感はありましたが⋯⋯まさか的中するとは」
「それもこれも、あの馬鹿兄が馬鹿なことをしたからだ」
レオーネは苛々と指で机を叩いた。
「とはいえ、王の命令を無視するわけにもいかない。ラルク、荷物をまとめろ。離宮の中も可能な限り片付ける」
「はい。同行者の選別はどうしますか?」
「護衛と謝罪の品を運ぶ者以外はいらない。おまえも、母上に付いていけ」
コーヒーを飲み干したレオーネは立ち上がった。ラルクが慌ててその進路を遮る。
「承服しかねます。せめて、身の回りを世話する者も連れていってください」
「⋯⋯それはつまり、おまえを連れていけと?」
「側妃様のお世話を任せられる者はほかにもいますでしょう」
「⋯⋯勝手にしろ」
レオーネがため息をつくと、ラルクは笑みを浮かべて準備を始めた。
そして、一ヶ月の準備の末、レオーネが旅立った後。
側妃に暇乞いの手紙を寄越されたマルダス王は、慌てて離宮を訪れた。だがそこにはレオーネはおろか、側妃や彼女に仕える使用人を含めて誰もおらず、また母子が暮らしていた痕跡さえも残っていなかった。
家財も個人所有のものは引き払われ、残っているのはもともと離宮にあった最低限の家具と、離縁に必要な書類、必要な手続きは済ませたのでサインだけ書いて出してください、と書かれた簡素な手紙だけ。調べてみると、本当に後は書類を出すだけの段階まで進んでいるではないか。
側妃の実家も何も知らず、忽然と消えた彼女を捜索するも手がかりすら無く、マルダス王は妻のひとりに逃げられたとしばし陰で笑い者にされることになった。




