五十八
話し合いの翌日、ヴィルへルミネはレオーネを温室に誘っていた。昨日話していた、薬草の温室を見るためだ。
「こんなに早く許可が出るとは思いませんでした」
レオーネは青々と生える薬草を眺めながら、そう言った。
「レオーネ様は今月には帰国されますから、それまでにとお願いしましたの。そしたら、担当者が即日対応してくださって」
「⋯⋯ありがたい話ですね」
笑うレオーネは、嬉しそうにも、寂しそうにも見えた。
──レオーネ様も、別れを惜しんでくださってるのかしら。
ヴィルへルミネはしばらく、無言でレオーネと共に温室を歩いていた。だがようやく決心がついて、顔を上げる。
「「レオーネ様/ヴィルへルミネ様」」
声が重なってしまった。見合わせる形になった顔は、両者共にぽかんとしている。
ややあって、口を開いた。
「「そちらから⋯⋯」」
またも被ってしまった。しばし互いを見つめていたヴィルへルミネとレオーネだが、徐々におかしくなってきて、つい吹き出してしまった。
「ふ、ふふ⋯⋯すみません」
「いえ⋯⋯はは、こちらこそ遮ってしまって」
ひとしきり笑った後、ヴィルへルミネはレオーネの手をぎゅっと握った。
「寂しいです」
「はい」
「できることなら、ずっとローディウムにいてほしいです」
「⋯⋯はい」
「我儘なことだと解っているのです。貴方のためだと⋯⋯でも、それでも」
「⋯⋯はい。俺も、貴女と共にいたいです」
レオーネは膝を着き、ヴィルへルミネと目線を合わせた。
「ですが俺は、貴女の隣に立てる男になりたいのです」
「はい」
「貴女の婚約者としてふさわしいのか、不安は未だにぬぐえません。今だって、本当はこのまま白紙にした方がいいんじゃないかという思いが、ないでもないんです」
「そんな⋯⋯」
「勿論、貴女の婚約者という立場を譲るつもりはありません」
レオーネはきっぱり言って、ヴィルへルミネの手を握り返した。
「こればかりは、俺自身の問題です。貴女にふさわしい男になれたと思うまで、ついて回ることになると思います。その不安を払拭するために、俺は帰国するんです」
「ええ⋯⋯ええ、そうですわね。そう、でしたわね」
ヴィルへルミネは儚げに微笑んだ。
「真面目な人。でも、そんなところが、わたくしは好ましく思えますわ」
「あ、ありがとうございます」
レオーネは照れて挙動不審になりながら、立ち上がった。
「⋯⋯手紙、書きます」
「ええ、わたくしも」
「頑張って、ローディウム語で書きます。もしかしたらおかしな手紙になるかもしれませんが⋯⋯」
「わたくしも、マルダス語で書きますわ。文法などは、お目こぼしいただきたいですけど」
「それと⋯⋯来年の誕生日には、必ずローディウムに戻ります。貴女の誕生日をお祝いしたいので」
「ええ、お待ちしておりますわ」
「あと⋯⋯あの」
「はい?」
「⋯⋯呼び捨てで呼んでも、いいですか?」
それは、関係性を一歩進める提案だった。
一歩一歩、ふたりは信頼を積み重ねてきた。
そしてそこから、更にもう一歩踏み出そうとしている。
「ええ──お好きに呼んでくださいまし、レオーネ」
「⋯⋯! ありがとうございます、ヴィルへルミネ」
レオーネはぱっと笑った。ヴィルへルミネも、愛らしく微笑む。
「ふふ⋯⋯まずはお披露目会を終わらせねばなりませんね」
「ええ。まだ懸念事項はありますが⋯⋯まずは目の前のことですね」
ふたりは微笑み合った。
不安は多い。すでに順風満帆とはいっていないのだ、今後もどうなるか解らない。
だが自分達はできることをやってきたし、これからもやっていくしかないのだと、自信を持って言うことができる気がした。
───
お披露目会当日。本来なら開催時間の前に婚約式があるのだが、やはりというべきか、マルダス側の都合で見送られることになった。
アミラの症状はローディウム側に知らされていないもののかなり悪いらしく、彼女のみならず夫のリエーフもお披露目会に不参加となってしまった。
これらのことを隠すことも考えたが、結局、マルダス側が婚約に反対していることを除いて参加者に伝えることにした。下手に隠して、後で足元をすくわれるような事態になることを危惧したのだ。
マルダス側の参加者は、マルダス大使と外交官三名、その妻となっている。幸か不幸か、王太子夫妻以外は全員参加することができた。
ローディウム側の参加者は、スピドルフ公爵家からスピドルフ夫人であるディアーヌ・スピドルフと娘のベロニカ、ロンブル侯爵家から当主であるネロディ・ロンブルと娘のキャロル、その他伯爵位の家からヴィルへルミネと同世代の令嬢達とその家族が参加した。
女性が大半なのは、主催がヴィルへルミネだからだ。将来ヴィルへルミネの側近となりえる者を集めた結果、女性、それもヴィルへルミネと歳の近い者が大半となったのである。
勿論男性がいないではないが、全員が保護者側の成人男性だった。
「ヴィルへルミネ殿下、婚約式のことは残念でしたわね」
そう言ったのはキャロルだった。
キャロルはヴィルへルミネの三つ歳上で、今年で十六歳になる。幼い頃は遊び相手として皇宮に上がったりもしていたため、もうひとりの姉のような存在だった。
「ええ。ドレスも用立てていましたのに⋯⋯でも、しかたがないわ。王太子妃殿下の体調を優先すべきだもの」
「王太子妃殿下は、リエーフ王太子殿下の運命の番というものなのですね。運命の番というのは、一体どういうものなのですか?」
ベロニカは首を傾げた。ヴィルへルミネと同い年のベロニカもまた、遊び相手として皇宮に上がることがあった。そのため、少なくない交流がある。
そんな彼女の言葉の後半は、レオーネに向けられたものだった。レオーネも心得て頷く。
「獣人や竜人にとって最良の相手、最も心惹かれる相手──とはいえ、必ずしも会えるわけではなく、また結ばれなくてはならないというわけでもありません」
「前半はともかく、後半はどういうことですか?」
「この運命の番というのは、当人達の感情や状況にとって、必ずしもいい影響を与えるとは限らないからです」
レオーネはヴィルへルミネを見た。
「例えば、私と殿下もまた、運命の番です。お互いよい関係を築けていると思っています。ですが、運命の番だからといって絶対相性がいいとは限りません。また、結ばれるのに障害が無いということもない」
「確かに、貴族と平民が運命の番だとして、生まれや環境のせいで価値観も何もかも違いますもの。絶対に気が合う、あるいは愛し合えるとは限りませんわ」
ベロニカは納得したように頷いた。レオーネを彼女に首肯を返し、ヴィルへルミネの手を取る。
「運命の番に出会えることは、確かに獣人竜人にとって幸運かもしれません。ですが大切なのは、当人達の心です。それを無視したら、幸福にはなれません」
「その点、わたくし達は幸福でしょうね、レオーネ」
「ええ、ヴィルへルミネ」
互いに名を呼び、微笑み合うヴィルへルミネとレオーネ。それを見た令嬢達は、黄色い声を上げて保護者達にたしなめられた。
「ご馳走様ですわ。お菓子いらずですわね」
キャロルが肩をすくめて、砂糖の入っていない紅茶を飲む。
一方ベロニカは目を輝かせて、感嘆のため息をついていた。
「素敵ですわ! 殿下、幸せになってくださいましね」
「ありがとう」
そんな彼女達をマルダス大使が複雑な眼差しで睨み付けていたが、ヴィルへルミネもレオーネもそれを黙殺した。




