五十七
後半妊婦にとって残酷な描写があります。苦手な方はブラウザバックしてください。
結局話し合いは、決着を迎えないまま終わってしまった。さすがにアミラが倒れたとあっては引き止めることはできず、リエーフ達を見送ることにしたのだ。
「結局、婚約はどうなるのかしら」
自室に戻ったヴィルへルミネは、ため息まじりに呟いた。
「正式に婚約するには、両者の見届人と署名が必要です。レオーネ殿下側の見届人がいないと、正式婚約はできませんよね」
シュネーの言葉に、そうね、と頷くヴィルへルミネ。
本来なら、両国の国主が見届人となるはずだった。だがマルダス王は病に伏し、代わりに来たリエーフは婚約に反対している。加えてアミラの体調が戻らないようなら、婚約式は流れてしまうことになるだろう。
「お披露目会は問題無くできるとしても、正式な婚約は先延ばしかしらね」
「それもこれも、あの王太子のせいですよ!」
シュネーは憤慨した。怒りのあまり敬称さえ忘れる始末だ。あるいは、わざとかもしれない。
「それにしても、仕事の引き継ぎはちゃんとできているんでしょうか」
シュネーをたしなめながら、ヴォルフは眉をひそめた。
「ローディウムが身辺調査をしたことや、マルダス王陛下がそれを黙認したこと──訊かなくても教えられそうなものですが。いえ、引き継がなくとも言われてそうです」
「事前に聞かされてなかったところに、急に国王陛下が倒れられたから、教えられなかったのかもしれないわ」
ヴィルへルミネはそう答えながら、別の可能性も考えていた。
マルダス王の病は毒によるものという疑惑がある。それゆえ引き継ぎがなされなかったという可能性だ。
──さすがに命に関わるような毒は盛られていないでしょうけど。
──こうなってくると、体調以外も気になってくるところね。
未だ会ったことの無いマルダス王の状況は、ようとして知れない。こういう時、遠く離れた距離というのはどこまでも仇となってくる。
「そういえば、レオーネ殿下は結局帰国されるんですか?」
ようやく落ち着いたシュネーが、そう尋ねてきた。
「功績を挙げるための帰国でしたし、正式婚約が成されないなら、ローディウムに留まっている方がいいのでしょうか」
「いいえ、むしろ帰国する意味が高まったぐらいよ」
ヴィルへルミネは首を振った。
「勘違いだったという話に持ち込みはしたけど、マルダス側がわたくし達の婚約を反対したのは事実。なら反対できないほどにレオーネ様の価値を上げねばならない。そのためには功績が必要不可欠だわ」
「でも⋯⋯この状況での帰国は、危険なんじゃ」
反対する者がリエーフ一派だけとは限らない。
「そんなことはもとより解っていたことよ。だからこそ、レオーネ様は魔法と武術を頑張ってらしたのだもの」
それらはすでに想定済みのものだ。むしろそれぐらいは自力で何とかしてもらないと困る。
「幸い、武器も完成したしね」
ヴィルへルミネが思い出すのは、先週のことだ。
つい先週、レオーネの斧槍が完成した。更にいい武器に仕上げる、というエクトルの言葉通り、素人目から見ても素晴らしい武器となっていた。
渡すのは婚約式の際になるはずだったが、残念ながら式を経ずに渡すことになりそうだった。
「じゃあレオーネ殿下が客室に下がっているのって、旅支度を早めているせいですか?」
「そうね。まだどうなるかは解らないけど⋯⋯こうなっては王太子殿下達と帰国することになりそうだから」
慌ただしいことこの上ないが、こればかりはしかたがないことだった。まだリエーフ側には帰国の意思は伝えていないが、近日中に知らせることになるだろう。
「じゃあ、しばらくお別れですね⋯⋯」
「ええ、寂しくなるわ」
「寂しい──だけですか?」
「え?」
問われた意味が解らず、ヴィルへルミネはシュネーを見上げた。
「だけって?」
「殿下がレオーネ殿下を恋愛的な意味で好きになったわけじゃないのは承知しております。でも、結婚したいと思うほどには好意を持っているんでしょう? そんな殿方と、しばらく──下手をすれば年単位で会えなくなるんです。寂しいだけで済ませてはいけない気がします」
シュネーの言葉に、ヴィルへルミネは言葉を失った。
考えてもみなかったのだ。年単位で離れることは最初から解っていたし、必要なことだと思っていて、それに対して深く考えたことは無かった。
だが振り返ってみれば、レオーネとは出会ってから決して浅くない付き合いを続けてきた。常というわけではないが、かなりの頻度、それこそ毎日顔を合わせ、会話してきた。
そんな彼と、会えなくなる。
「あ⋯⋯」
ヴィルへルミネの胸に、鈍痛のようなものが去来した。
それを意味するところは解らないが、このままではいけない気がしてくる。
「シュネー⋯⋯わたくし」
「出過ぎた真似をしてしまい、申しわけありません」
シュネーは戸惑うヴィルへルミネの足元に膝を着き、そっとその手を取った。
「ですが、後から気付いて後悔するよりはよいと思いました」
「俺も、シュネーと同じ意見です」
ヴォルフが前に出て軽く頭を下げた。
「殿下とレオーネ殿下は仲睦まじく過ごしてらしてました。今回の件で婚約式が流れてしまうことが残念なほどに。だからこそ、しっかり向き合って送り出すのが殿下にとって最良かと思います」
「⋯⋯そうね」
ヴィルへルミネは微笑んだ。
「離れることを軽く考えていたのね、わたくし。そうね、寂しいだけで済まないのよ、ね」
「まだ時間は残されております。お披露目会までに、レオーネ殿下とお話しましょう」
「ええ」
頷くヴィルへルミネに、シュネーとヴォルフは笑顔を見せた。
───
「は⋯⋯流れ、た?」
医者から聞かされた言葉に、リエーフは立ち尽くした。
アミラが倒れたと聞かされ、慌ててヴィルへルミネの前を辞したリエーフは、連れてこられた医者の診察が終わるのをじっと待っていた。
アミラはただ倒れただけでなく、下腹部の激痛と局部からの出血を伴っていたため、当初は彼女の命も危ぶまれたのだが、幸い別状は無かった。
代わりに、アミラの腹に宿っていた命が消えたという話を聞かされた。
「そもそも⋯⋯妊娠していたのか、我が妻は」
「そのようです。といっても、かなりの初期──月齢が三ヵ月にも満たないような時期で、悪阻も無かったようなので誰も気付かなかったのでしょう。最初期の妊娠は妊婦が無自覚で、かつ知らぬうちに流れていることも少なくないのです」
医者は淡々と説明しているが、その眼差しには痛ましいものを見るような色があった。
「ただ⋯⋯妃殿下の場合、ローディウムの腹部を締め付けるようなドレスを連日着用し、酒類もたしなまれていたようですし、それに加えて直前に興奮していたようなので、症状が強く出てしまったのでしょう」
「興奮するようなことがあったのか?」
「⋯⋯私の責任です」
ずっと陰に控えていた商人が、深々と頭を下げた。
「皇女殿下の話題を不用意に出したことで、アミラ妃殿下の感情を揺さぶってしまったのです。この咎は、いかようにも」
「いや⋯⋯いや、そなたは悪くない。妊娠に気が付かなかったアミラと俺の責任だ」
そう、妊娠の可能性を考えなかった自分達の責任である。結婚して一年以上経っているのだ、むしろ遅過ぎるぐらいである。
リエーフはアミラがいる部屋の扉を見つめた。
アミラは流産によるショックで錯乱が見られたため、鎮静薬を投与されて眠っている。起きるのは明日になるだろうとのことだ。
アミラは子供を欲しがっていた。ローディウムに入ってからはそんな素振りを見せなかったが、側妃を迎える前に子供を産みたい、とこぼしていたのを覚えている。リエーフの気持ちがほかに向くことが不安なのだと。
それが叶わなかったことは、アミラにとって辛い結果だろう。医者からも妊娠はしばらく見送った方がいいと言われているから、側妃を迎えるのが先になる。
「⋯⋯ああ、でも」
リエーフは心底安堵したように言った。
「子供が産めなくなったわけじゃないのは、幸いだったな」
その言葉に、医者は信じられないものを見る目をした。
──そんなこと、今は思っていても口に出すべきではないのに。
「王太子殿下、くれぐれも、くれぐれも! そのようなことを妃殿下に言ってはなりませんぞっ」
医者は強く言い含めた。
リエーフはわけが解らないという表情をしつつ、頷く。
そんなやり取りを、商人は冷たい眼差しで見つめていた。




