五十六
その言葉は、リエーフにとって痛烈な皮肉だった。
運命の番は、唯一にして絶対。
それはかつて、リエーフがヴィルへルミネに対して言った言葉だった。
「あ⋯⋯」
リエーフの表情が、さあっと青ざめた。反して頬は羞恥で赤くなり、色黒ながらあべこべな顔色をさらすことになる。
今更、彼は気付いたのだ。自分が身勝手かつ矛盾したことを行っていることに。
運命の番を重要視しながら──他者の番を取り上げようとしている事実に。
「ねえ、王太子殿下」
ヴィルへルミネは小首を傾げ、冷たく微笑む。とても十二歳──あと数日で十三歳になる少女とは思えない、大人びた微笑だった。
「お答えくださる? どうしたら、マルダス王陛下が婚約を認めてくださるのかしら。もう婚約式も目前に迫っているのですけれど」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「まあ最悪、お披露目だけすればよろしいでしょうけど⋯⋯でもわたくしの──ローディウムの皇女の誕生日と婚約に、けちを付けた責任はきちんと取ってくださるんでしょうね」
「っ⋯⋯!」
もはや言葉も出ない。今やリエーフは、そこにいるだけの置物と化していた。
だがそんな彼を気遣うつもりは、ヴィルへルミネにもレオーネにも無い。
「兄上。俺もヴィルへルミネ様も、お互い以外に結婚するつもりはありません」
ふたりの間には、まだ恋も愛も生じていない。今後は解らないが、少なくとも今はその段階にはない。
だが、これぐらいのはったりはこの場に必要だ。それに、まんざら嘘というわけでもない。
「だから、どんな困難でも試練でもこなして見せますよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「功績が必要だと言うなら、その用意もありますしね」
レオーネの言葉に、リエーフは答えない。答えられるだけの精神的余裕が無いのだ。
代わりに対応したのは、マルダス大使だった。
「しかし⋯⋯急に功績と言っても、そんなすぐに立てられ付ものではないでしょう。一体何をするつもりなのですか?」
それは、レオーネの発言に疑いを向ける言葉だった。その反応は大使として当然だったし、その疑問も予想できていた。
「運命の番に関する研究と、その成果──まあまだ途上だが、それなりに目処は立っている」
「抑制⋯⋯研究ですか?」
「ああ。と言っても、それまでの抑え込む方向じゃなくて、制御する方向だが。何しろ運命の番から長期離れられないというのは、俺達の立場では悩ましい問題だからな」
わざとらしく肩をすくめ、リエーフを見る。戸惑いの表情からは、レオーネの真意を測りかねているのが見て取れた。
───解りやすく言ったつもりなんだがな。
──やっぱりちょっと、鈍いよな。
その鈍感さは、王太子として致命的なのでは──と思いながらも、レオーネは続けた。
「それと、手っ取り早く魔物討伐かな」
「い、いくら魔法が使えるからって、そんな危険なことをしなくても」
「あら、王太子殿下も討伐経験がおありでしょう? 同じことがレオーネ様にできないと、どうして仰られるの?」
ヴィルへルミネはリエーフに一瞥を向けた後、レオーネに柔らかい微笑を見せた。
「それに、レオーネ様はすでにローディウムで魔物討伐の経験がありですわ」
「えっ」
「わたくしに、魔晶石の贈り物もしてくださいましたの。それで造った首飾りは、わたくしの宝物ですわ」
ヴィルへルミネがレオーネの贈り物を受け取ったという事実に、リエーフは衝撃を受けた顔をする。
正式に結ばれていないとはいえ、ふたりは婚約者なのだ。装飾品を贈り合ったりするのは当然なのだが、なぜそんな顔をするのだろうか。
とはいえ、手を緩めるつもりは毛頭無いので、更に言葉を重ねようとした時だった。
「ご歓談中に失礼いたします!」
突如、温室はひとりの男が侍従に連れられて入ってきた。三角の獣耳をした男──おそらくはマルダスの外交官だろうその男は、入口近くでひざまずいた。
「まずは皇女殿下にお詫び申し上げます。突然の乱入、どうかお許しください」
「⋯⋯どうかなさって?」
唐突なことで驚きはしたものの、ローディウムの侍従を連れて現れたこと、その顔に焦燥が見て取れたことで、何かしらが起こったことは察した。
事実、彼が口にしたのは無視できない事態だった。
「アミラ妃殿下が倒れられました」
───
時は少しさかのぼり、リエーフとマルダス大使が皇宮に着いた頃。
ソファーに座るアミラの前には、長机を挟んで件の商人が座っていた。
「貴方もローディウムに来てたのね。久しぶりじゃない? リエーフとは顔を合わせていたみたいだけど」
アミラは首を傾げた。
アミラと商人の付き合いは、リエーフより長い。というのも、アミラを貧民街から連れ出した行商人がこの男だったのである。
「貴方は貧民に収まる器ではない。よろしければ、ふさわしい場所にお連れしましょう」
そう言った彼を信じ、アミラはその手を取った。そして、マルダスの王太子妃になったのである。
「本当ですね。ですが、近い内にローディウムも離れる予定なのです」
「そうなの?」
「ええ。龍帝国を経て、またマルダスに戻ります」
「また絹を仕入れてちょうだい。ローディウムに取られちゃったのよ」
「ええ、勿論」
和やかに話しながら、商人は茶を淹れる。濃い紫色の、不思議な茶だった。
「新しいハーブティーって、それのこと?」
「ええ。美容にいいとして、最近人気のお茶なのです」
ふたつのカップに注がれた茶を、アミラは興味津々で覗き込む。それに微笑みを向けながら、商人はまず自分の茶を一口飲み、もう片方のカップを押し出した。
「妃殿下もどうぞ」
「ええ、いただくわ」
アミラは茶を一口含んだ。レモンのようなほのかな酸味と、蜂蜜の柔らかい甘味が舌を楽しませる。鮮やかな色に反して味は薄いが、健康にいいものは得てしてそんなものだろう。
「これでますます美しくなるのね」
「ええ。妃殿下は王太子殿下の運命の番。王太子殿下のため──何より妃殿下のために、美しさは重要ですから」
せっかくだから、と商人は新たにカップを出してアミラの侍女達にも振る舞った。不思議な色合いと香りを独り占めしたかったが、感謝しながら飲む彼女達にも悪い気はしない。
しばらく和やかに話していたが、ふと商人が窓の外を見やった。
「王太子殿下は、皇女殿下と話されている頃でしょうか」
「⋯⋯そうね」
さきほどまで上機嫌だったアミラは、一転して不愉快そうに顔を歪めた。
「前回も思ったけど、とんだ我儘姫だわ。リエーフの要求を飲まないなんて、どれだけ甘やかされたのかしら」
「そうなんですか?」
「そうよ! リエーフに求婚されたのに、それを勝手に断って、レオーネを謝りに行かせたあげくに婚約しようとするんだもの。身勝手だわっ」
「なるほど⋯⋯」
「それにあたしがいるのに、ずっとローディウム語で話していたし⋯⋯マルダス語で話したと思ったら、嫌味ばっかり! ほんと、むかつく子供だったわ。顔は⋯⋯まあ綺麗だったけど。中身は最悪ね」
止まらない文句に、商人は笑顔でうんうんと頷く。だが不意に、それに待ったをかけた。
「妃殿下、そろそろ落ち着かれては⋯⋯」
「何よ、まだ言いたいことは⋯⋯っ、う」
止められたことに憤慨したアミラは、立ち上がって言葉を連ねようとした。だがその声が、不自然に途切れる。
そのまま、どさりと床に倒れた。
「妃殿下⁉」
「きゃあ! 妃殿下があっ」
「誰か、医者を呼んできてくれ!」
「は、はい!」
アミラに駆け寄った商人は、突然のことに恐慌する侍女達を一喝した。頷いた侍女のひとりがばたばたと部屋を出て、残りは水や手ぬぐいを用意に走る。
商人はアミラをそっと抱き上げ、ソファーに横たえた。
「妃殿下、大丈夫ですか?」
商人が呼びかけるも、アミラは呻き声を上げるばかりで答えない。意識はあるのだが、意味のある言葉を出せないのだ。
ただ下腹部を押さえ、身体を丸めるばかりである。
商人はアミラを心配そうに呼びかけながら、誰も見ていない瞬間、にい、と笑った。
凍えるように冷たく、狂気に満ちた笑みだった。




