四
「え⋯⋯?」
リエーフの呆けた顔からざっと血の気が引いた。彼の異変に気が付いたのか、アミラがようやく顔を上げる。
『リエーフ、どうしたの?』
出てきたのはやはりマルダス語で、ヴィルへルミネは少し迷った後、口を開いた。
『妃殿下にも聞いていただきたいですし、マルダス語でお話しましょうか』
『え、あ⋯⋯ヴィルへルミネ殿下はマルダス語が喋れるのか』
『ええ、まあ』
ヴィルへルミネは曖昧に頷いた。
実は魔法で少し、ずるをしている。妖精に力を借りる妖精魔法の中に、風の妖精の力で相手と同じ言語を喋ったり、聞いたりできる魔法があるのだ。実際の習熟度は、まだ挨拶と簡単な日常会話しかできない。
『一応お訊きしたいのですが⋯⋯リエーフ殿下は、なぜ妃殿下をお連れしたのですか?』
『それは⋯⋯彼女が私の妻だからだ』
『ただの妻ですか』
『いや、違う! 彼女は、私の運命の番だ』
ヴィルへルミネ殿下は知らないかもしれないが、という前置きをして、リエーフは運命の番の素晴らしさを語り出した。概要はすでに聞き及んでいるものだし、大半がリエーフの個人的な感情が入り混じった、およそ王太子がするような説明ではなかったが。
──演説なら問題無かったでしょうけど。
──今、わたくしに聞かせるには下の下だわ。
『──だから、彼女は私にとって必要なんだ』
『さようですか』
頷いたヴィルへルミネを見て、リエーフは満足そうな顔をした。隣でアミラが勝ち誇った顔をしている。
そんなふたりにヴィルへルミネは笑顔で言い放った。
『ならわたくしとの婚姻は必要ありませんね』
『な、なぜそうなるんだ⁉』
『あら、だって運命の番は唯一にして絶対の存在なのでしょう。ならほかに妻は必要ないのではなくて?』
おっとりと首を傾げるヴィルへルミネに、リエーフは慌てた。
『いや、確かに彼女は運命の番としては唯一絶対だが、王太子妃としては別なんだ』
『別とは?』
『彼女は元平民で、簡単な読み書きと計算はできるが、王太子妃としての仕事をこなせるほどではないんだ。だから仕事ができる妃が必要で』
『それで、わたくしとの婚姻ですか』
『そうだ。ヴィルへルミネ殿下は幼いながら皇族として教育を受けているのだろう? なら将来的に妃の仕事ができるはずだ。勿論貴女の望むものは可能な限り叶えよう。不自由はさせない。女性としては愛せないが、それ以外なら何だって与える。だから私との婚約を考えてくれないか』
リエーフは力強い眼差しでヴィルへルミネを見つめ、その繊手を取ろうとした。だがヴィルへルミネはさっと後ろに下がり、それを避ける。
空を切った手を呆然と見つめるリエーフに、ヴィルへルミネは言葉を重ねた。
『貴方は、妃殿下の代わりにわたくしに仕事をしろ、妻としての役割は与えないと、そうおっしゃるのね。それって、面倒ごとだけわたくしに被せるってことかしら』
リエーフの目が皿のように丸くなった。幼いヴィルへルミネの口からそのような言葉が発せられたことに、驚いたのかもしれない。
──甘いわね。王太子殿下。
──わたくし、貴方の言う皇女としての教育をしっかり受けてるのよ。
『な、違っ』
『貴方の考えはどうあれ、今の言葉はそう取れるものですわ。⋯⋯ああ、もうひとつ質問を』
ヴィルへルミネは目を細め、アミラを見た。アミラは気圧されたように身を固め、しかしすぐ勝ち気に睨み返す。それに、思わず笑いが漏れた。
『貴方の中で、わたくしと妃殿下はどちらが上なのかしら』
『え?』
『妃殿下は正妃なのですよね。もしわたくしとリエーフ殿下が結婚したら、彼女は側妃になるのですか?』
『なっ⋯⋯そんなわけないでしょう! リエーフの正妃はあたしだけよっ』
アミラは立ち上がり、肩を怒らせた。リエーフはそれをなだめようと振り返るが、それに待ったをかけるようにヴィルへルミネが問いかける。
『それは、リエーフ殿下も同じ考え?』
『いや⋯⋯それは』
『ああ、もう結構。言い淀む時点で、答えたも同然ですわ』
ヴィルへルミネは笑みを深めた。だがその瞳は全く笑っていない。春の瞳が、今や氷のようだ。
『わたくしを──ひいては帝国を蔑ろにするような方との結婚を、わたくし自身は望みません』
『し、しかし国を通しての求婚だ。簡単に断れるわけが』
『ご心配無く。皇帝陛下も同意しておりますわ』
『な⋯⋯』
リエーフは言葉を失った。アミラは話についていけないのか、眉をひそめて視線をうろうろさせている。
ヴィルへルミネは綺麗なカーテシーをした。
『マルダスにお帰りくださいませ、王太子、並びに王太子妃殿下。お持ちくださったものは、そのまま持ち帰っていただいて結構です』
そんな言葉を残して、ヴィルへルミネは中庭を立ち去った。呆然とするリエーフとアミラをその場に残して。
───
翌日、リエーフ達は帰国の途に着いた。
前日から直前にかけてリエーフ本人はかなりごねていたが、マルダスの侍従や外交官達、ローディウムの騎士によって、半ば強引に帰りの馬車に乗せられた。
同じく強引に乗せられたアミラは、ローディウムでの買い物ができなかったことにさんざん文句を言い募っていたが、幸いマルダス語が解る騎士がその場にいなかったため、ローディウム側に伝わることは無かった。
夫婦が去ったことに安心したヴィルへルミネは、ぐったりと寝台で身体を休めていた。
覚悟をしていたとはいえ、ミカエルシュナの言う通り、ひたすらに不愉快な気分にさせられた。それだけでなく、ヴィルへルミネのことを軽んじられ、内心酷く傷付いた。
──政略だし、そもそも破談になったけど。
──それでも真正面から愛することはないって、言われたくなかった。
その後、心配したユリウスとミカエルシュナが、政務の合間に入れ替わりで様子を見に来たため、ふたりに存分に甘えながらリエーフに言われたことを愚痴った。
ふたりは心に荒神を宿しながら、可能な限りヴィルへルミネを慰めた。兄のダリウスも花やら菓子やらを持ってきて、ヴィルへルミネに寄り添ってくれた。
そんな家族に甘やかされて、夕方にようやく落ち着いたヴィルへルミネは、この時まだ知らなかった。
謝罪という名目でローディウム帝国を訪れた第二王子によって、運命の番というものに向き合わなければならないことに。




