三十七
昼餐会を終えたユリウスとミカエルシュナは、そろって自室に戻ろうとしていた。だがそれを遮るように、トゥファ侯爵が近付いてくる。
さっと視線だけ合わせたふたりは、示し合わせて足を止めた。するとトゥファ侯爵が表情を緩めて歩み寄る。
「何用か、トゥファ侯爵」
「昨夜の無作法を改めて謝罪したく⋯⋯」
トゥファ侯爵は殊勝な顔で頭を下げた。ユリウスはそれを見て、内心苦々しく思う。
「トゥファ侯爵の言う無作法とは、一体どれのことだろうか?」
暗にひとつふたつじゃないぞ、という意味で言ったのだが、トゥファ侯爵には伝わっていないようだった。
「娘が、断られているにもかかわらずレオーネ殿下にダンスのお誘いをしたことです。ヴィルへルミネ殿下の婚約者に対して、あまりにも失礼な態度でした」
「⋯⋯そうか」
ユリウスはトゥファ侯爵を冷たく見下ろした。
──本当に無作法はそれだけだと思っているのか、この男。
横からも、ミカエルシュナの呆れたようなため息が聞こえてきた。
前トゥファ侯爵は凡庸な男だった。だが礼儀をわきまえ、凡庸なりに侯爵としての役目をまっとうしようとする立派な人物でもあった。早くに亡くなってしまったのが惜しいと思えるほどで、周囲にも慕われていたのである。
だが息子である現トゥファ侯爵は、自分と家族に甘いだけの人間だった。
特別贅沢好きというわけでも、傲慢というわけでもないが、物事を深く考えず、楽な方に流れる性質である。領地の仕事も代官に任せっきりで、ほとんど帰ったことがないとのことだ。
皇宮での役職が無いのは前侯爵と同じだが、自分の能力では領主との兼任は難しいという理由であえて持たなかった彼とは違う。前侯爵は社交シーズンや年末年始以外は領地でずっと仕事をしていた。
一方目の前の男は、シーズン中ではなくとも皇都のタウンハウスにいるくせに、皇宮にも皇都にも仕事を持たない。シーズン外でも皇都にいる貴族は皇都内で仕事を持つ者か、家の管理をする者かのどちらかなのだが、この男はどちらでもないのである。
トゥファ領は確かに皇都から離れているが、侯爵領だけあってそれなりに栄えている。田舎だと揶揄する者もいるが、この国でも有数の穀倉地帯を保有しているため、ローディウムの食料事情を支える領地を表立って馬鹿にはできない。
これは、先代を始めとした歴代侯爵達の努力の成果だ。
──だからこそ、厄介なんだがな。
──ただ受け継いだだけのくせに、軽んじることができないというのだから。
トゥファ侯爵を罰するのは簡単だ。だがそれで流通に難が発生すれば、真っ先に打撃を受けるのは民である。何より、トゥファ侯爵は何か罪を犯したわけではないのだ。
彼はただ、怠惰で無能なだけなのだから。
「そう思うのなら、娘の教育をしっかりするのだな。彼女は将来、侯爵位を継ぐのだろう?」
「ええ。必ずや、陛下のお役に立ってみせましょう」
どこからその自信が来るのだろう、と胡乱な眼差しを送るが、トゥファ侯爵は気付かず、挨拶をしてそのまま去ってしまった。
「⋯⋯適性調査を急がせねばだな」
「ええ。あのまま継がせるには、あまりにも危険です」
ユリウスの呟きに、ミカエルシュナは頷いた。
トゥファ侯爵本人も問題だが、もっと問題なのは娘のミミネアだ。
所作そのものは、高位貴族の令嬢らしい洗練されたものだった。見た目だけなら、彼女が高位貴族であることは疑いようもない。
だがその言動は、後継ぎどころか令嬢としても不適格だった。額面通り受け取るわけにはいかないが、もし印象そのままの性格なら、父親以上に領地や領主の仕事に興味が無いかもしれない。
そんな人間が跡を継いで、領地を切り盛りしていくことができるだろうか。
「レオーネ殿のこともあるしな⋯⋯」
ユリウスはレオーネを見つめるミミネアの姿を思い出し、顔をしかめた。
かつて同じ表情をした女を、ユリウスは知っている。
自分の気持ちを至上とし、相手も同じ気持ちだと盲信し、邪魔する全てを無邪気に笑いながら踏み付けにした少女。
結局人の道を外れた果てに反省も後悔もしないまま朽ちた少女は、ユリウスにとって苦い思い出のひとつだ。
同じような人間が複数いるとは思いたくないが、そういった者が一定数いることもまた、事実なのだと知っている。
ミカエルシュナも同じ人物を思い出したのか、冷たく言った。
「かつてのような被害が出ないように、注視しなくては」
それに対して、ユリウスは無言で頷いた。
───
戻ってきたユリウスに話があることを伝えるよう侍女に命じたヴィルへルミネは、頭の中で伝えるべきことを反芻した。
手紙の代筆の手配、トゥファ家への抗議、魔晶石の融通などなど──
しばらくして侍女が戻ってきて、お会いになるそうです、と伝えてくれた。
さっそくユリウスの部屋に向かうと、軽装に着替えたユリウスが迎えてくれる。
「どうした? 何か伝えたいことがあるというが」
穏やかに尋ねるユリウスに、ヴィルへルミネは簡潔にレオーネと話し合ったことを伝えた。
そのほとんどは平素の顔で聞いていたユリウスだったが、トゥファ家のことを伝えると、不愉快そうに目を細めた。その冷たい眼差しに、父親ながら恐ろしく感じてヴィルへルミネは震え上がる。
全てを聞き終えたユリウスは長々と息を吐き、頭を抱えた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「お父様?」
「いや⋯⋯うん、大丈夫だ」
思わず腰を浮かしたヴィルへルミネに、ユリウスは微苦笑を向けた。
「ただ、昔を思い出しただけだ」
「昔?」
「俺のことを運命の人だと言って、しつこく迫ってきた令嬢がいたと話したことがあるだろう? その女に似てるなとは思っていたんだが⋯⋯思った以上に似ていたから、少しな」
「確か⋯⋯思い詰めるあまり、反乱の火種を作ったという」
「もともと燻っていたんだがな、それを大いに煽ったのは事実だ」
すでに無くなった家門のひとり娘。ユリウスに一方的な恋をして、周囲もはばからず迫り、はっきりと断ったにもかかわらず両想いだと思い込んだ果てに、人道さえ外れて処断された少女。
──確かに、似てるかもしれない⋯⋯
ヴィルへルミネは少しだけ青ざめた。
くだんの令嬢はユリウスを欲するあまり様々な罪を犯し、周辺国も巻き込んだ争乱を起こしたと聞く。本人が魔術師であることも悪い方向に作用し、かなりの流血があったそうだ。
ミミネアがそれほどのことを起こすとは限らないが──
「ひとりの情念がそれだけのことを引き起こす可能性もあるという話だ。ヴィルへルミネも肝に銘じておけ」
「はい。トゥファ嬢のことは、わたくしも警戒しますわ」
「それだけじゃない」
ユリウスは真剣な眼差しを娘に向けた。
「力を持つ者が感情に溺れて突き進んだ結果、大量の悲劇を生み出すことは往々にしてある。おまえは権力も、魔術師としての実力もある。そんなおまえが思うままに行動したら、どうなると思う?」
「それは⋯⋯」
「俺もおまえも、感情を持った一個人である事実は変わらない。皇族といえど、感情に振り回されることはあるだろう。だがたとえ感情に飲まれようと、人の道を外れてはいけない。あの女を反面教師にしなければならないんだ、俺達は」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ヴィルへルミネはしばし黙り込んだ後、こくんと頷いた。
善悪さえ解らなくなるような情念。時に多くの悲劇さえ生み出すそれを、ヴィルへルミネは想像することすらできない。
──それほど人を好きになるというのは、どんな気持ちなのかしら。
解りたいような、解りたくないような、複雑な気持ちをヴィルへルミネはしばらく持て余した。




