十四
皇宮の中庭にあるガゼボ。前にリエーフ、アミラ夫妻と対峙したところとは違う場所で、ヴィルへルミネはレオーネを待っていた。
咲き誇る百合と睡蓮で彩られた庭を眺めていたヴィルへルミネは、侍女からレオーネの来訪を聞き、顔を上げる。ほどなくして、ひとりの従者を伴ったレオーネが現れた。
レオーネはリエーフ達同様、マルダス様式の服を着ている。
だが派手な刺繍や柄が特徴的な服を着ていた彼らと違い、レオーネは上質だが落ち着いた色合いの無地の服を着ていた。装飾品も最低限で、金の腕環と髪留めぐらいしか付けていない。
それでも存在感があるのは、本人の印象が華やかであるためであろうか。容姿もそうだが、まっすぐ伸びた背筋や不思議な色合いの瞳は、自然と人目を惹いた。
「ヴィルへルミネ殿下にご挨拶申し上げます」
レオーネはどこかぎこちない所作でお辞儀をしてみせた。
「顔をお上げくださいませ。どうぞ、おかけになって」
「ありがとうございます」
レオーネは向かいの椅子に座った。その前に、シュネーがティーカップを置き、紅茶を注ぐ。
「マルダスではコーヒーなる飲み物がよく飲まれるとか。あいにく皇宮では馴染みの無いもので、ご用意はできませんでした」
「いえ、紅茶も飲みますので、お気遣い無く」
「よかった。甘いものはお好きかしら? ローディウムの伝統のお菓子を作らせたのだけれど⋯⋯食べられないものがあったりしませんか?」
「大丈夫です」
レオーネは言葉少なに答え、首を振る。その様子を、ヴィルへルミネはじっと見つめた。
──視線が、合わない。
一昨日はあれほど熱心にこちらを見つめていたのに、今は全くこちらを見ない。顔をこちらに向けてはいるものの、視線が微妙にずれている。
唇にのぼっている笑みも硬い。いかにも作っているという感じがありありと解った。
無理を言って呼び寄せたのはこちらであるが、あまりにも一昨日と違う様子に、ヴィルへルミネは内心むっとした。さすがに表に出さなかったが。
それでも、ちくりと嫌味。
「マルダスでは相手の目を見ないことが礼儀なのでしょうか? ローディウムとは随分違うのね」
「あ、いや⋯⋯!」
レオーネはばっと顔を上げ、次いでしまった、という表情をした。視線が、ようやくヴィルへルミネに向いた。
ヴィルへルミネは微笑む。
「やっとこちらを見てくださいましたね」
「⋯⋯申しわけありません」
レオーネはしおしおと肩を落とした。獣耳もぺたんと折れている。可愛い。
「貴女を不躾に見つめてしまったから、同じ愚を犯さぬようにとしていたのですが⋯⋯」
「確かにあの眼差しには驚きましたが、不快ではありませんでした。お気になさらず」
「なら、よいのですが⋯⋯」
レオーネの疑い深い視線に、ヴィルへルミネはふふ、と笑った。
「レオーネ殿下。色々お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「私にお答えできることなら」
「ありがとうございます」
頷くレオーネにお礼を言うと、ヴィルへルミネはさっそく質問を投げかけた。
「図書館通いは殿下から願い出たこととうかがっております。なぜそれを途中で切り上げたのですか? 貴方にとって必要なことだったのでは」
「それは⋯⋯私の運命の番が貴女だと解ったからです」
レオーネはうつむいた。
「すでにご存知かと思いますが、獣人にとって運命の番とは本能に根差したもの。その本能に振り回されて不幸を振り撒くことも多い。我が兄がいい例だ」
「確かに、王太子とは思えない振る舞いでしたわね」
「私も、抑制薬を飲んでいたので非常識な行動こそ起こしませんでしたが、貴女をさらっていきたい衝動があります。そんなことをすれば、国際問題にしかなりませんが」
「龍帝国の二の舞になりますわね」
「皇女殿下もご存知でしたか」
「婚約の話が出た後に、わたくしなりに運命の番について調べましたの」
「なるほど」
レオーネは頷き、ため息をついた。
「すでに運命の番関連で不利益を被っている皇女殿下に、これ以上の負担を強いたくなかったのです。もしあのまま図書館通いを続けていれば、殿下とまた顔を合わせることになるかもしれない。何度も顔を合わせて、貴女が望まない対応を取ってしまうことを危惧しました」
「そうでしたか」
紅茶を一口飲むレオーネを見つめ、ヴィルへルミネは首を傾げた。
──どうして兄弟でこうも違うのかしら。
リエーフは自分の主張や要求が当然のように通ると思い、運命の番を絶対のものだとしていた。
対してレオーネは、ヴィルへルミネのことを慮り、運命の番による弊害も考慮している。
この差は一体何だろうと思いながら、クッキーを一口食べた。口の中でほろりとほどける甘味は、ヴィルへルミネの気持ちを落ち着かせる。
「レオーネ殿下は、わたくしとどうなりたいのですか?」
「どう、とは」
「わたくしは貴方の運命の番ですけれど⋯⋯夫婦になりたいと思いますか?」
「⋯⋯恐れ多いことです」
レオーネはうつむいた。
「関係こそ対等ですが、ローディウムとマルダスの国力差は歴然です。たとえ運命の番であろうと、側妃腹の私が皇女殿下を娶るなど、周囲の反発は免れないでしょう」
「勉強不足で申しわけないのですが、側妃の子供というのはそれほど弱い立場なのですか」
「正妃の子供に比べれば、そうですね。生まれ順は先でも、継承権は後ろになりますし、私の母は後ろ盾の弱い下位貴族出身ですから。それに母は暇乞いをしましたので、近々離縁の予定なんです」
「え⋯⋯それ、言ってもいいものなんですの?」
「はい。私が旅立ったのと同じくして下がったので、すでにマルダス国内では知れているでしょうから」
あっけらかんとした口調に、ヴィルへルミネは目を丸くした。同時に、レオーネが図書館通いをしていた理由のひとつに思い至る。
彼はおそらく、時間稼ぎをしているのだ。
マルダスでの離縁に間する法律は知らないが、おそらく側妃はただ下がっただけではなく、姿をくらましたのだらう。その行方をレオーネは知っている。当然マルダス王もそれに気付いているはずだ。
だからレオーネはすぐに帰国することなく、母の逃走のためにローディウムに留まっている。図書館の書籍の閲覧をしたかったのは嘘ではないだろうが、その数の膨大さは事前に解っていたはずである。それを理由に、帰国を遅らせたのだ。
「⋯⋯親子共々、苦労なさったのですね」
「恐縮です」
そこまでに至る親子の苦境を思い、ヴィルへルミネは思わずそう言った。レオーネも素直に頭を下げる。
「それなら、今すぐ帰国というわけにはいきませんね」
「はい。ですが、皇宮から離れるだけでも殿下に不敬を働く可能性は無くなります。なので市井図書館の方に通おうかと」
確かに市井図書館も相当な蔵書量を誇る。レオーネが望む知識も得られることだろう。だが、さすがに皇宮図書館とは比ぶべくもない。
「⋯⋯レオーネ殿下は周囲の反発を恐れておいでですけど、それが無ければわたくしと婚約したいですか?」
「え?」
問われたレオーネは、きょとんとした後、視線をさまよわせた。
「⋯⋯解りません」
ややあって口をついたそれは、力無いものだった。
「私は、運命の番というものが必ずしも獣人にとって幸福なものだとは思いません。それに貴女に強く惹かれはするけれど、理性の部分で貴女を好きになるかどうかは別の話です。このやり取りで、貴女が幼いながら聡明な方だと理解しています。個人としては好ましいと感じてもいます。ですが異性として好きになれるかと言われると⋯⋯」
「まあ、年齢差もありますし、自分で言うのもなんですが、まだまだ子供ですからね」
レオーネは確か、十八歳だと聞いている。ヴィルへルミネとは六歳差だ。それぐらいならさほど大きい差ではないが、現在十二歳のヴィルへルミネをそういう目で見ろという方が無理な話である。
ヴィルへルミネは少し考え、レオーネにある提案をした。
「お父様──皇帝陛下の許可を得てからになりますけれど」
「はい?」
「レオーネ殿下、わたくしと婚約を結びませんこと?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯はい?」
静寂が辺りを支配する。レオーネも、彼の従者ラルクも、シュネーを含めた侍女達も、護衛であるヴォルフも、皆が言葉を失い、ヴィルへルミネを凝視する。
その中で、ヴィルへルミネだけが美しく微笑んでいた。




