十二
その日、ヴィルへルミネは中庭を歩いていた。図書館に向かう道に通じるそこは、ヴィルへルミネの普段の散歩コースである。
一昨日図書館に行ってから、ヴィルへルミネの行動範囲は広がっていた。
シュネーが差す日傘の陰に身を置きながら、ヴィルへルミネは雲ひとつ無い空を見上げる。
「いいお天気ね」
「そうですねえ。殿下、暑くありませんか?」
「少しね。でも、これぐらいなら魔法で⋯⋯」
ヴィルへルミネは水と風の妖精を呼び出すと、冷風を周囲に漂わせた。
「わ、涼しい!」
「お母様だったら、中庭一帯を涼しくできるんだろうけど、わたくしじゃ自分の周りが限界ね」
「それでも充分凄いですよ」
シュネーも魔法が使えるが、身体強化と生活魔法だけでそれ以外は不得手だ。生活魔法を応用して火の粉を飛ばすぐらいはできるが、牽制程度にしかならない。
ただ本人の身体能力が高いため、魔法が使えずとも戦える。もっとも、目立たず付き従うヴォルフがいるため、彼女が戦う必要は無い。
ヴィルへルミネは無邪気に褒め称えるシュネーに照れ笑いを向けながら、考える。
──レオーネ殿下も魔術師だけど、魔法系統はどれになるのかしら。
一口に魔術師と言っても、得意とする魔法の系統は各人で違う。
例えばヴィルへルミネは妖精魔法、神聖魔法、宝石魔法、強化魔法が使える。
母ミカエルシュナはそれに加えて、妖精の上位存在である精霊の力を借りる精霊魔法、無機物を操る支配魔法も使える。
魔術師と名乗る者は大抵ふたつか三つの魔法系統が使える。ちなみに魔術師にとって生活魔法は基礎中の基礎なので、わざわざ数えないのが常である。
そんなことを考えているとふと、強い視線を感じた。
敵意や殺意は無い。ただ焦がれるような熱を感じる。
ヴィルへルミネは驚いて周囲を見回した。そして皇宮図書館に続く道に、複数人の人影がいることに気付く。
その先頭にいる青年が、ヴィルへルミネを見ていた。
丸い茶色の獣耳に、焦げ茶色の髪を無造作に伸ばした、端正な顔立ちの青年だった。褐色の肌と高い背丈のため精悍さが目立つが、面差しそのものは繊細な造りで、中性的というわけではないが気品のある容貌である。
特に目を惹くのは瞳の色で、光加減によって翠色にも黄金にも見える不思議な色合いをしていた。
自身も含めた美形を見慣れているヴィルへルミネをして、なお感心する美青年がマルダスの第二王子であることはすぐに気が付いた。
他種族国家のローディウムにおいても獅子の獣人は非常に珍しい。ましてや皇宮に出入りしている年若い獅子獣人となると、現状ひとりしかいない。
──本当に、似てないのね。
まず出てきた感想がそれだった。
ヴィルへルミネは続いて、第二王子レオーネの視線がなぜ自分に向けられているのか疑問に思う。
不思議と怖いとは思わなかった。あれほど不安に思っていた初対面だが、自分でも驚くほど落ち着いていた。
ただ、なぜ熱を帯びた眼差しを向けられているのかと首を傾げる。
呆けたように見られることは多々あった。自分の顔が人並外れた美貌だと自覚もしている。見惚れられるのに拒否感を覚えたことも無い。
だが、こんな熱心に見つめられたことはなかった。ただただ焦げ付くような熱さを感じさせるそれは、畏怖とも欲望とも違った。もっとも、それを認識するにはヴィルへルミネはまだ幼かったのだけれど。
レオーネの視線に、次第にヴィルへルミネ以外の人間も気が付き始めた。
シュネーとヴォルフは訝しげな顔をしつつ、レオーネの視線からヴィルへルミネを守り、レオーネの従者らしき人間が主の肩を強めに揺さぶる。そうしてようやく、レオーネの視線がヴィルへルミネから外れた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「あ⋯⋯ああ。悪い」
レオーネは従者の声に、軽く頭を振った。そしてシュネーとヴォルフに申しわけなさそうな顔を向ける。
「失礼した。そちらにいらっしゃるのは、第三皇女殿下だろうか」
「⋯⋯ええ、そうです」
シュネーが低い声で答えた。隣のヴォルフは剣に手はかかっていないが、身体に力が入っているのが解る。
レオーネは少し気落ちした顔で頭を下げた。
「皇女殿下、ご挨拶申し上げます。このたびは我が国の王太子が無礼を働き、まことに申しわけありません」
「⋯⋯いいえ。貴方自身が悪いわけではありませんので」
そう、レオーネは何も悪くないのだ。彼はただ、兄の尻ぬぐいをしているだけ。むしろ彼の方こそ迷惑を被っているだろうに。
「殿下のお言葉、感謝いたします。不躾に見つめてしまい、重ねて申しわけありません。私はこれで失礼いたします」
「ええ。勉強、頑張ってくださいませ」
「⋯⋯はい」
レオーネは淡い笑みを浮かべ、足早にその場を去っていった。それを見送ったヴィルへルミネは、自然強張っていた肩から力を抜く。
あれほど避けていたレオーネとの接触は、謎の緊張を帯びていたものの平和的に終了した。彼がすぐに目の前から辞したのもよかったのだろう。
ヴィルへルミネがぼんやりしている間に、シュネーとヴォルフは彼女を自室へと連れ帰った。
菓子と紅茶を用意するシュネーを眺めながら、ヴィルへルミネは考える。
──どうしてレオーネ殿下は、あんな目を向けてきたのだろう。
意識の外からでも解るほど、強い眼差し。不快ではないが、不可解な熱さ。
菓子に舌鼓を打ちながら出た答えは。
「本人に、聞いてみましょう」
主の呟きに、シュネーとヴォルフが顔を見合わせたのは言うまでもない。
───
「あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
宿に帰ってくるなりベッドに潜り込んだレオーネは、王子にあるまじき声を上げた。
主の奇行にドン引きしつつ、ラルクが恐る恐る声をかける。
「あの、どうされたんです⋯⋯?」
「⋯⋯皇女殿下だった」
「え?」
「俺の、運命の番。皇女殿下だったんだよ⋯⋯っ」
ベッドの中で頭を抱えるレオーネに、ラルクは戸惑った。
「え⋯⋯えっ。あ、じゃあ謁見の際に運命の番を感じ取ったのって」
「陛下がたが番の両親だったからだろうな。あー⋯⋯運命の番見付けただけでも最悪なのに、それが馬鹿兄が傷付けた本人とか」
どうしよう、と呻くレオーネの脳内には、ヴィルへルミネの姿が焼き付いていた。
獣人は運命の番を見付けると、その相手を求めずにはいられない。程度の差はあるが、引き離されるのを極端に恐れ、時には暴れる者もいるという。
レオーネは抑制薬を飲んでいるために衝動は少ないが、それでも今すぐ皇宮に取って返したいという欲求に駆られている。
「⋯⋯じゃあ、もう皇宮には」
「行かない方がいいだろうな。理由は適当に⋯⋯いや、きちんと伝えた方がいいか。下手な言い訳を使うと、変な疑念を与えかねない」
せっかく謝罪を受け入れてもらったのに、それをおじゃんにするわけにはいかないと、レオーネは頭を悩ませる。
どちらにせよ、もうヴィルへルミネと顔を合わせるわけにはいかない。自分が何をしでかすか解らないからだ。
レオーネはのろのろとベッドから降りて、書き物机に向かった。




