百十三
その日の夜、マルダスの王宮ではヴィルへルミネを歓迎する宴が催された。王族だけでなく、高位貴族なども参加した、盛大な宴である。
マルダスにおける宴は、基本的に参加者は男性で、女性は給仕などの下働きばかりだ。参加する女性は王族などの最高位の者であり、例によってその宴も、女性の参加者はヴィルへルミネと正妃だけだった。
「お久しぶりです、正妃殿下」
「ええ、お久しぶりですね、皇女殿下」
宴が始まる直前、ヴィルへルミネと正妃はそう挨拶を交わした。
ヴィルへルミネはレオーネから贈られた、マルダス風の黄緑色のドレスを着ていた。裾と胸元に金糸で薔薇の刺繍を施した、華やかな装いである。形はローディウムでのマタニティドレスに似ており、胸元の下からスカートが広がっている。袖もゆったりとしたものになっており、締め付ける形のローディウムドレスとはかなり印象が違う。
更に頭から白いレースベールを被り、金とエメラルドの装飾品で飾り立てられた姿は、異国情緒も相まって目もくらむような美しさだ。事実、宴の場にいた男達の目は、ヴィルへルミネに釘付けだった。
その隣に立つレオーネも、見劣りはしない。
ヴィルへルミネと同様黄緑色の礼服をまとったレオーネは、同じく金とエメラルドの装飾品でその身を飾っていた。服の上からでも解るがっしりとした体躯を包む礼服はきらびやかな刺繍で彩られ、一目でヴィルへルミネと対になっていることが見て取れる。
ベールこそ被っていないものの、あまりに似通った様子に、一部の獣人はレオーネの独占欲を感じ取って若干青くなった。そして、そんなふたりと普通に会話できる正妃に尊敬の眼差しを送ったという。
一方、激しい動揺を見せたのはマルダス王である。
彼はヴィルへルミネの美貌に目を奪われ、しかしレオーネに鋭く睨まれたことで、すくみ上がった。未だに玉座に座っているマルダス王だが、その権威はすっかり落ち込み、完全にレオーネに逆らえなくなっていた。
そんな彼がマルダスから離れるということで多少気分が上向いていたが、ヴィルへルミネの美しさについ惹かれ、結果睨まれたことで縮こまることしかできなくなる。
その次に動揺したのは、レーヴだ。十五歳になった彼は、すっかり成長して立派な王太子になっていた。それでもまだ若い彼は、ヴィルへルミネのあまりの美しさにすっかり上がりきっていた。父王と違ってレオーネに睨まれなかったのは、その視線に欲が無かったからだろう。
「お久しぶりです、皇女殿下。その⋯⋯本当にお綺麗になられて⋯⋯」
「ありがとうございます、王太子殿下。殿下も、すっかり貫禄が付きましたわね」
「あ、ありがとうございます」
すっかりのぼせ上がったレーヴは、頬を冷ますように手であおいだ。そして、ちらりと兄を見る。
「兄様、本当にマルダスを出るんですね⋯⋯寂しいです」
「そう言うな。もうおまえは、俺なんかの補助が無くても立派に務めを果たせるさ」
「兄様みたいに格好いい男に言われても、実感が湧きませんよ⋯⋯」
レーヴは苦笑した。
やがて全ての者が席に着き──とはいえ、ローディウムと違い、椅子ではなく絨毯を敷いた床に座る形だ──それを確認したレオーネが、声を張り上げた。
「今宵は宴に参加してもらい、感謝する。皆ももう知っての通り、俺はここにいるローディウム帝国の第三皇女ヴィルへルミネ・カルンシュタインと結婚し、マルダスを出る」
レオーネはヴィルへルミネの手を取り、微笑んだ。ヴィルへルミネも甘やかな微笑を浮かべ、その場にいる者達の視線をかっさらう。
「この婚姻が、マルダスとローディウムの末永い国交の礎になるよう、努力しよう。では──乾杯!」
「「「「「乾杯‼」」」」」
レオーネの音頭で、皆が杯の酒を飲み干した。マルダスで作られた、最高級の麦酒である。
そうして始まった宴だが、ヴィルへルミネとレオーネはゆっくり食事を楽しむことはできなかった。
それもそのはずで、貴族が代わる代わる挨拶をしに来たのである。
「第二王子殿下、第三皇女殿下、このたびはおめでとうございます」
「おめでとうございます。私は──」
「このたびは誠にめでたいことで──」
「両殿下、お初にお目にかかります──」
ふたりにそう挨拶していく貴族達だが、視線の大半はヴィルへルミネに注がれていた。
彼らにとっては白い肌の絶世の美女が、一言挨拶するだけでも価値のあるものだったのだ。かといってレオーネをおざなりにするわけではなく、そこはさすがの老獪さと言えた。
ただ、彼らの会話を聞く限り、どうやら彼らの半数はヴィルへルミネの公爵位をレオーネが引き継ぐと思っているようだ。別にヴィルへルミネを軽んじているというわけではなく、マルダスでは男系継承ゆえの認識の違いだろう。
ヴィルへルミネはいちいち訂正はしなかった。国交があるとはいえ、遠い異国の違いを認識できないのはしかたがないことだし、今後彼らにとっては関わりの無い決まりだ。これから付き合いがあるかは解らないし、そんなことに時間を割く余裕も無かった。
──高位貴族なのに、解っていないということは、少し問題だけど⋯⋯
ただまあ、全ての貴族がそうではないので、まだ許容範囲だった。
後回しにされた食事だが、マルダスの伝統料理が並べられていた。手食が基本の料理なのだが、それだけに食べやすい大きさに分けられており、味付けも慣れないヴィルヘルミネのためにスパイスが少なめにしてある。
それでも馴染みない味にヴィルヘルミネは内心で目を白黒させた。勿論顔には出さないし、美味しくないわけではない。むしろローディウムでも再現して食べたいぐらいだ。
「ヴィルヘルミネ、料理はどうだ?」
レオーネが恐る恐る声をかけてきた。そんな彼に、ヴィルヘルミネは愛らしい笑みを向ける。
「美味しいわ。レシピを教えてほしいぐらい」
「よかった。作り方の本も持っていくつもりだから、ローディウムでも作ってもらおう」
「まあ、準備がいいのね」
「故郷の味が食べたくなる時があるのかもと思って⋯⋯」
照れたように顔をかくレオーネに、ヴィルヘルミネは目を細めた。
三年前、レオーネはマルダスに対して思入れは無かった。だが今は、料理を食べたくなるぐらいには故郷として認識しているらしい。
「両殿下、麦酒はいかがですかな? 今宵の酒は、我が領の名産なのです」
挨拶に来た貴族のひとりが、そう言った。黄金色の液体の入った杯を見、ヴィルヘルミネは微笑する。
「よい麦酒ですわね。特に喉越しがいい」
「ありがとうございます! 皇女殿下にそう言っていただいて、光栄の至りですっ」
貴族は真っ赤になって身を乗り出した。必要以上に近付こうとする彼に、ヴィルヘルミネは笑顔のまま鉄扇を突き付ける。
「ローディウムでは、親密ではない男女はみだりに近寄ったりしませんの。マルダスでは違うのかしら」
「い、いえ⋯⋯申しわけ、ありません⋯⋯」
夢から覚めたような顔をした貴族は、意気消沈したようにその場を後にした。
手を上げかけていたレオーネは、その光景を見て苦笑する。
「相変わらずヴィルヘルミネは、強いな。いや、もっと強くなったか?」
「当然よ。でも、同じことはレオーネにも言えるでしょう?」
「ああ。少なくとも、貴女と肩を並べて戦えるぐらいにはなったと思う」
「ふふ、それはもともとだわ」
ヴィルヘルミネはおかしそうに笑う。そんな彼女を愛おしげに見つめた後、レオーネはその手を取った。
「牽制もしたいし、これぐらいは許してくれ」
そう言って、レオーネは左手の指先に口付けた。
「⋯⋯!」
「三年前は、したくてもできなかったから」
「⋯⋯き、きざになったわね、レオーネったら」
ヴィルヘルミネは顔を林檎のように染め上げ、ぷい、とそっぽを向く。そんな彼女を、レオーネは熱い眼差しで見つめていた。




