百十二
「楽しみですね、殿下」
同じ馬車に乗ったシュネーがそう声をかけた。
シュネーは三年経った今でも、ヴィルヘルミネの専属侍女として働いてくれている。ただ、彼女にも幾つかの変化はあった。
最たるものは、ヴォルフとの結婚だろう。シュネーは一年ほど前、片思いを成就させてほどなく夫婦になったのである。
夫になったヴォルフも相変わらずヴィルヘルミネの護衛騎士をしてくれており、本人達は将来的に子供もヴィルヘルミネに仕えさせたいと言ってくれた。
そんなシュネーの言葉に、ヴィルヘルミネは頬を染めて微笑んだ。
「ええ。レオーネ、どんな風になっているかしら⋯⋯」
ヴィルヘルミネは傍に置いた本から栞を抜き出した。黄緑色の硝子がはまった、金細工の栞だ。花びらを模したそれは、レオーネがくれた贈り物のひとつである。
実物とは比べるべくもしないが、それでもレオーネの瞳を思わせるそれは、ヴィルヘルミネのお気に入りのひとつだった。
「絵姿は取り寄せていたけど、やっぱり実物を見たいわ」
「王子殿下もそう思ってらっしゃいますよ!」
「そうかしら。⋯⋯そうだといいわね」
ヴィルヘルミネは栞を胸元に引き寄せ、目を伏せた。
───
マルダスは相変わらずローディウムよりも暑かった。例によって夏用のドレスを着ていたため問題は無かったが、そうでなければ早々にばてていただろう。
そんな暑いマルダスを横断し、王都にたどり着いたヴィルヘルミネの胸は激しく高鳴っていた。
──レオーネ、どんな風になっているかしら。わたくしは、レオーネから見てどんな風に映るかしら。
そんな思いを抱きながら、馬車を降りる。王宮からヴィルヘルミネを迎えたのは、近衛戦士団、そして。
「ヴィルヘルミネ」
三年振りに再会する、レオーネだった。
「レオーネ⋯⋯」
ヴィルヘルミネは名前を呼び、それ以上の言葉を詰まらせる。万感の思いが胸を去来して、それ以上言葉にならなかったのだ。
レオーネは、少し大きくなっているように見えた。身長こそ変わらないが、三年前より体格ががっしりしており、彼が三年の間も鍛錬を続けていたことがうかがえる。端正な顔立ちも精悍さを増して、男性美がより強調されているように見えた。
焦げ茶色の髪は長いままだが、髪飾りでまとめており、艶やかに手入れをされている。飾り気は無いが仕立てのいい服装も相まって、ますます男振りが上がっているように見えた。
一方のレオーネも、ヴィルヘルミネを見て言葉を失っていた。彼女の磨き上がった美しさに、呆然と見つめることしかできない。
ふたりは互いのことを見た目で好きになったわけではないが、それでも容姿が優れていることは理解していた。その上で、三年前より仕上がった容貌に、驚きを隠せなかったのだ。
見惚れ合うふたりを我に返らせるように、咳払いをする者がいた。
「ごほん。⋯⋯殿下がた、気持ちは解りますが、挨拶をして王宮に入られては?」
ヴォルフだった。護衛騎士の言葉に今の状況を思い出したヴィルヘルミネは、慌ててカーテシーをする。
焦ったにもかかわらず、ため息が出るほど美しい礼だった。
「ローディウム帝国第三皇女及び、スラウシャーン公爵のヴィルヘルミネ・カルンシュタインですわ。このたびは、マルダス王国第二王子であるレオーネ・フェリドゥ殿下を婿に迎えるため、参りました。どうぞ、よしなに」
「⋯⋯マルダス王国第二王子、レオーネ・フェリドゥです。ヴィルヘルミネ皇女殿下に婿入りできること、この上無い名誉。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
レオーネもまた、頭を下げた。三年前より洗練された、王族らしい礼だった。
そしてゆっくりと、左手を差し出す。その仕種も自然なもので、ヴィルヘルミネは嬉しくなりながらその手に自分のそれを乗せた。
「本当に⋯⋯久しぶりね、レオーネ」
「ああ⋯⋯また会えて、本当に嬉しい」
レオーネのエスコートで王宮に向かいながら、ヴィルヘルミネは自身の婚約者を見上げた。
見れば見るほど惚れ惚れするような魅力を持ったレオーネに、頬が熱くなる。彼がこれから自分の夫になるのだと思うと、胸が痛いほど波打った。
レオーネが案内したのは、豪奢な客室だった。なんと、レオーネの居室の近くだという。
「王宮に居を移したの?」
「ああ。その方が便利だったから」
レオーネはそう言って、客室の応接間にヴィルヘルミネを連れていった。気付けばふたりきりになっていることに気が付き、ヴィルヘルミネは硬直する。
「レオーネ?」
「ヴィルヘルミネ⋯⋯本当に、本当に逢いたかった⋯⋯」
戸惑うヴィルヘルミネを、レオーネは優しく抱き締めた。レオーネの体温と香りに包まれ、ヴィルヘルミネの熱が一気に上がり、喉からあえかな声が漏れる。
「あ⋯⋯」
「この三年間、どれだけ貴女に逢いたかったか⋯⋯何度ローディウムに行こうかと思ったよ。でも、耐えてよかった」
レオーネは身体を離して、懐から何かを取り出す。
それは、金製の腕輪だった。細い造りのそれは、大きな金緑石がひとつ付いている。また繊細な細工で、蔓薔薇が彫られていた。
レオーネはひざまずき、それを差し出す。
「マルダスでは、結婚の際に女性へ腕輪を贈る風習があるんだ。どうか、受け取ってほしい」
「こんな⋯⋯こんな素敵なものまで。今身に着けているものだって、貴方から贈られたものばかりなのに」
ヴィルへルミネが今着ているドレスはレオーネから贈られた絹布で仕立てたもの、髪飾りだって首飾りだって、全てレオーネからの贈り物だ。その上、結婚の証までくれるなんて、ヴィルへルミネは思わなかった。
同時に実感する。自分は、レオーネと結婚できるのだと。
「レオーネ⋯⋯」
「ああ」
「わたくし、幸せだわ。貴方と結婚できるなんて、本当に⋯⋯幸せ」
「ああ。俺もだよ」
レオーネは甘く微笑むと、ヴィルへルミネの右手を取り、腕輪をはめた。
「改めて──俺と結婚してほしい」
「ええ、勿論よ」
ヴィルへルミネはひざまずいたままのレオーネに抱き着いた。そんな彼女を抱き返し、レオーネは目を閉じる。
「俺は、貴女に見合う男になれただろうか」
「勿論だわ。貴方以上に、一緒にいたい殿方はいないもの」
「そっか⋯⋯よかった」
レオーネは安心したように息をついた。
「ヴィルへルミネ、ありがとう。迎えに来てくれて」
「わたくしこそ、待っていてくれてありがとう。愛しているわ」
「俺も、貴女のことを愛している」
囁き合ふたりは、しばらく互いの体温を感じながらじっとしていたが、やがて名残惜しげに離れた。
「お披露目には、俺が贈ったドレスを着てほしいんだが、いいか?」
「勿論よ。事前に贈ってもらったものを持ってきたから。でも、あの⋯⋯」
「?」
「少し、恥ずかしいわ。コルセットの無いドレスなんて、着たことなかったから」
「ああ⋯⋯ローディウムのドレスはコルセット必須だもんな。でもヴィルへルミネは細いから、ちゃんと着こなせるよ」
「レオーネがそう言うなら⋯⋯」
ヴィルへルミネは先ほどとは別の意味で頬を染めた。そんな彼女を愛おしそうに見つめ、レオーネは立ち上がる。
「疲れていると思うけど、夜の宴のために準備してくれ」
「ええ。マルダスの作法もしっかり学んできたわ。任せて」
「相変わらず頼もしいな」
レオーネは嬉しそうに笑った。




