百四
「おい、聞いたか、例の話」
「第四側妃の話だろう。あまりにも哀れだよなあ」
「そこまでして召し上げたのに、あのように離宮に押し込められて⋯⋯そりゃあ逃げ出したくなるよ」
「陛下も、酷いことをなさる。無理矢理妃にしたあげく、その婚約者を殺そうとするなんて」
「もし王子妃殿下を召し上げたら、今度は第一王子も殺そうとするのだろうか」
「いや、いくら何でも息子まで⋯⋯」
「だが、息子の妃を召し上げるぐらいだぞ。まともな倫理観を求める方が間違ってないか?」
「まあなあ⋯⋯」
「あの王が王のままでいいんだろうか⋯⋯」
「よくはないだろうが、第三王子殿下はまだ幼いし、第二王子殿下は噂の側妃のお子だ。どちらが王太子になるにしろ、一足飛ばしで王になるにしろ、難しい問題になりそうだ」
「だな。もうしばらくかの王には、王でい続けてもらわねば困る」
「まあ、言って数年の我慢だろうさ」
気付けばそんなやり取りが、文官武官問わず交わされるようになっていた。
───
どうしてこうなったのだ、とマルダス王は自室で頭を抱えていた。
シャオシンの起こした騒動以来、彼は引きこもるようになっていた。謁見の間での出来事が、驚くべき速度で広まったからだ。
その結果、王宮はマルダス王を非難する声にあふれることになった。中には、堂々と退位を望む者まで現れる始末である。
マルダス王は、特別すぐれた国主というわけではない。だが、それでも表立って非難されるほどに酷い政策をしてきたことはなかった。せいぜい魔法嫌いを反映することに苦言を呈されるぐらいである。
それが、今や王宮から糾弾される立場となった。王という立場ゆえに面と向かって非難はされないが、そうでなければどうなるのか解らない。
更に屈辱なことは、レオーネの存在だ。
レオーネはマルダス王にとって、忌々しい存在から脅威へと変貌していた。
魔術師というマルダス王が最も嫌う人種の存在。同時に血を分けた実子だという動かせない事実を持つ男。そして、自分では勝てない相手。
そう実感できたのは、ローディウムのユリウス以来だ。かの皇帝ほど圧倒的ではないにしても、全力でやって、膝を着くのは自分だと思わされたのである。
そのレオーネが、次期王だとさえずる者達も多く出てきた。それはマルダス王が最も危惧していた状況だったのに。
「なぜだ⋯⋯どこで、そこでわしは間違えたのだ?」
問いかけに答える者はいない。だが、もしいたのなら、こう答えるだろう。
そもそも初めから間違っていたのだと──
がたんっ!
そんな大きな音と共に、部屋の扉が開いた。それはもはや破られたと形容すべき乱暴さだった。
「失礼します」
おざなりにそんなことを言って入ってきたのは、先ほどまで思考を占めていたレオーネだった。
「なっ、な⋯⋯!」
「ああ、ちゃんといましたね」
レオーネは冷めきった金緑石の瞳をマルダス王に向けた。
「きさっ、貴様! 誰の許しを得て入っておるっ」
「わたくしですわ」
そう言ってレオーネの後ろから現れたのは、正妃だった。
「わたくし達、貴方に用がありますのよ、陛下」
「は⋯⋯⁉」
「幾つか要望がありまして──まずはしっかり政務を行ってください」
レオーネはマルダス王に歩み寄った。音も無く近寄る姿に、マルダス王はすくみ上る。
「っひ」
「それと、レーヴを王太子に任命し、後見人に王弟のどなたかを指名してください。誰を指名するかは、お任せします」
「そ、そんなことをすれば」
「わたくしの家門はもとより後見として立っています。加えて、貴方の代わりの後見人を選んでくださいと言っているのですよ」
レオーネの後ろから動かない正妃を、マルダス王は睨み付けた。
「そんなことをすれば、奴らの権力が強くなるではないか!」
「そうですね。ですが、そうする必要を作ったのは貴方ですよ」
「何⋯⋯?」
「臣籍降下したとはいえ、彼らも継承権を持った者であることに変わりはありません。この状況でそんな彼らを無視して話を進めたら、継承権争いに拍車がかかるでしょうね」
「っ⋯⋯!」
正妃の言葉に言い返すことのできないマルダス王に、レオーネは更なる要求を重ねる。
「次に、俺とヴィルヘルミネの婚約を今度こそ正式に認めていただきたい。また言い訳をするようなら──実力行使をせざるをえません」
「な⋯⋯」
「同時に、レーヴの婚約者選びに口を出さないこと、それと、リー・シャオシンの調査権限をレーヴに与えること。ひとまず、これらを確約してもらいます」
「そんな⋯⋯それら全て、わしが貧乏くじばかり引いているようなものではないか! なぜわしばかりそんな目に⋯⋯」
「⋯⋯”風よ”」
レオーネが呟いたとたん、マルダス王の傍の床がえぐれた。絨毯に穴が空き、その下の大理石が砕ける様を見て、マルダス王は言葉を失う。
「我々が求めているのは、肯定のみです。それ以外は口にする価値も無い」
「な、な⋯⋯」
「ご決断を。それとも⋯⋯実力行使、受けたいですか?」
すう、と冷たく笑うレオーネ。その顔がルゥリと重なって消える。
ルゥリから笑顔を向けられたことなど、一度も無い。彼女は美しい顔にいつも冷たい無表情を被せていた。
下位貴族ながら目が覚めるほど美しい女だった。一目見て欲しいと思い、大金を支払って買い取った。邪魔だと思ったシャオシンも力づくで消した。
だが、結果手に入れたのは美しいだけの人形だ。子供を産ませはしたものの、そこから興味は失われてしまった。するとこれ幸いと離宮に閉じこもり、子供に魔法などという怪しげな秘術を教えだす始末である。
最終的に完全に逃げ出され、声も思い出せなくなったルゥリ。その息子が今、マルダス王を追い詰めている。
因果が巡ったとしか言いようのない状況だが、なおもマルダス王はなぜ自分ばかりがこんな目に、などと思っていた。
──悪いのは、わしを憎んでいるあの商人だろう!
そう声に出したいが、言えば最後、目の前のレオーネに首をはねられるだろう。それだけは避けたかった。
「⋯⋯った」
「はい?」
「解ったと言ったのだ! 貴様の言う通りにする。だからその殺気をしまえ!」
ほとんど悲鳴のような宣言に満足したのか、レオーネの空気が緩んだ。
「では、こちらに署名をお願いいたします」
すると、自分の出番とばかりに前に出た正妃が、何枚かの書類を手渡した。内容は、先ほどふたりが言っていたものを確約する誓約書である。
マルダス王は屈辱に歯ぎしりしながら、それらに署名していった。
間違いなく書かれていることを確認した正妃は、さっさと部屋を後にする。やつれ果てた夫を気遣う素振りもみせなかった。
それに続こうとしたレオーネだったが、出る直前、くるりと振り返る。自分と同じ色の瞳に睨め付けられ、マルダス王は硬直した。
「罪から逃れようとしないことです。こうなったのは全て、貴方の責任なんですから」
「そっ」
「マルダスの未来のために、せいぜい針の筵に座っていてください」
そう言って、レオーネは部屋を出ていく。
後に残されたマルダス王は、ただただ呆然とするしかなかった。




