天国からの手紙〜光の選択〜
あの事件から一年も経ってしまった。正直、辛い。昨日の事のように思い出してしまう。
大学の文芸サークルで一緒だった友達が事件に巻き込まれた。友達は小西敬哉という。見た目はオタクだったが、ファンタジー小説が大好きで、中小の出版社に入った。希望していたライトノベルの編集部に配属され、楽しそうにしてた。小西の夢は本当は作家になる事だったけれど、毎日プロの先生の作品に触れられ、仕事も一生懸命打ち込んでいた。担当していた作家の新刊が出ると私にもプレゼントしてくれた事もあった。
そんな希望に満ちた日常も、一瞬で壊された。
編集部に刃物を持った男が押し入り、小西は刺されてしまった。一命を取り留めたが、今も目覚めない。担当に主治医には希望のある話は全くしてくれなかった。小西の家族も疲弊し、日に日に弱っていく。
こんな地獄を作り出した男。犯人は単独犯で、いわゆる無敵の人だった。氷河期世代で落ちこぼれた男は一発逆転を目論み、ライトノベルを執筆。しかし一次予選にも通過できないクオリティで落選。元々男には精神疾患もあり、編集者に逆恨みした結果の犯行だった。裁判は責任能力の有無が争点となり、この事も小西の家族を疲弊させていた。
犯人は幼い頃に虐待を受けたり、いじめに遭っていたらしい。故にマスメディアやネットには同情の声もあったが、友人の人生を破壊した男には一切同情できない。
マスメディアも私のところに来た。卒業アルバムを見せて欲しいとか、無理矢理取材を申し込んできて疲れた。犯人だけでなく、マスメディアにも土足で日常を踏み荒らされた。心はどんどん暗くなっていく。
「犯人のやつ、絶対許せない……」
家で一人でいるとそんな気持ちになった。命が助かっただけ良かったのか。もう小西は目覚めない可能性も高く、その事を思うと、心が闇の中にに沈んでいくような感覚がする。
そんなある日。
仕事から帰ってくると、手紙がポストに届いている事に気づいた。淡いクリーム色の便箋に、手書きの文字。確かに自分の名前や住所が書いてあったが、消印はない。どこかの郵便局や配達業者から届いたものでもなさそう。
差し出し人も不明。差し出し人の住所も書いていない。「マリコより」とだけあった。
「マリコ?」
心当たりはない。家族、友達、同僚にも上司にもいない名前だ。手書きの文字は丁寧で、綺麗。明らかに女性の字だ。
「あ、あれ……」
ただ、一つだけ心当たりはあった。小西が書いた小説の主人公の名前だった。大学時代から数年間、WEB投稿サイトで連載していたファンタジー小説だ。もちろん、一年前に更新が止まり、未完状態になっていた。
タイトルは「エデン」。エデンという名前の天国のような美しい異世界が舞台。そこにワープした日本人女性のマリコは、天使や動物達と冒険に出るというストーリー。人気設定でも無いので、小西の小説はランキングの上位にいる事はなかったが、私も毎回更新を楽しみにしていたところだったが……。
急いで自宅に帰ると、手紙を読んでみる事にした。何が書いてあるのか、さっぱり予想がつかない。あのマリコからなのかも不明。イタズラの可能性もあるが、綺麗なクリーム色のレターセットを使っているのも不可解。何よりイタズラにしては字が丁寧過ぎる。
「は、はあ? え、どういう事?」
手紙を読んだ後、変な声が出てしまう。
手紙はあの物語世界のマリコからだった。今はエデンで楽しくやっている事やこっちの世界を物語にしてくれた感謝の言葉があった。そして、もう作者の小西には会えない可能性もあるから、私に手紙を送ってきた事が綴られていた。
「何これ、どういう事……」
おかしい。架空の物語の主人公から手紙が来るなんて。しかもマリコは、小西や私を知っているみたい?
気持ち悪い。
最初はそうとしか思えない。マスメディアかどこかのイタズラかにしか見えない。小西はまだ生きているのに。こんな手紙を送ってくるなんて。
怒りにも似た感情も覚えたが、この綺麗な便箋や文字は、どうも悪意は無さそう。それに作中ではマリコは句読点をつけずに文章を書く癖があった。この手紙もその癖通り。全く句読点がない。この文字もマリコのキャラクターとピッタリと印象が重なる。マリコは誠実で綺麗な心のキャラクターだった。
「まさか、まさか……」
目を閉じて思い出す。
小西はよく語っていた。物語は架空だけれども、神様からのインスピレーションはリアルであるんじゃないかという。この地球は神様インスピレーション、悪魔インスピレーションの両方を聞き取れるラジオみたいな場所。そこで作家達はどちらかのインスピレーションを受け取り、作品にしていると語る。
「『エデン』は、神様のインスピレーションで書いた感じがするんだ。もしかしたら、この物語世界は、天国にも実在するんじゃないかっていうかさ。もちろんマリコも。ま、空想だけど」
小西はそんな事も語っていた事を思い出し、背筋が寒くなってきた。
「神様インスピレーション、悪魔インスピレーション。どっちを選ぶかは、作家の自由だ。本人の選択だ」
当時は、そんな小西の言葉は、冗談かと笑って受け流していたが。小西だけでなく、絵や音楽のインスピレーションも「天から降ってくる」と表現するアーティストもいる事を思い出し、手紙はイタズラに見えなくなった。
今もマスメディアやネットでは、小西を襲った犯人へ同情の声がある。
でも。
これも本人の選択?
家庭環境や生い立ちが悪くて犯罪に走る者。一方、同じような境遇でも、腐らずに真面目に生きている者もいる。
そんな事を考えていると、さらに犯人に怒りを覚えるが、目の前には綺麗なマリコからの手紙。
まるで闇夜の満月みたいな色の手紙。
もう恨まない、怒らないという選択か。それともずっと犯人を恨み続ける選択か。
今はどっちでも選べる立場。
私はどっちを選ぶ?
確かに今も犯人への気持ちは暗いが、ずっと過去を見て恨みを抱えていたくもない。恨みを抱える選択をしていたら、自分もあの犯人と同じ過ちを繰り返すかもしれない。そんな闇のような未来は欲しくない。
だったら、私は光の方を選択するしかない。怒りや悔しさもあるが、犯人のような生き方は絶対に肯定してはダメだ。
勇気をもって、光の方を選択しよう。この手紙は、その選択肢がある事を教えてくれたのかもしれない。
天国からの手紙か。
真相はわからないが、勝手にそう思っても誰も傷つかないだろう。
「ありがとう、小西……。マリコ……」
心には、少しずつ光が満ち始めていた。