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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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明滅(後編)

「正直なところ、昭光の本心が何処にあるのかは分からぬ。劉司徒と何かを企んでいても可笑しくはない。……だが私としても我が子を喪ったばかりで女性と共寝をする気にもなれぬし、昭光が身籠らぬ方が蒼風の立太子を進めやすくなろう。彼女の申出はこちらにとって利のあることだと考えている。」


 頭の切れる春雷であっても、今回の昭光の言動の意図が全く掴めないようだった。養父である劉司徒が懐妊を望んでいるにもかかわらず、敢えて夜伽を辞退するメリットは思い浮かばない。

 霞琳もその点については不思議そうに首を傾げつつも、自分たちにとっては望ましい状況であることには同意する。そしてふと、先日齎された報せを思い出した。


「私も同じ考えにございます。……そういえば、劉昭容様について気になることが。憲樹さんからの報告によると、劉司徒と何かあったようなのです。」

「何かというと?」

「詳細はわかりません。ただ、お二人が面会された後、劉司徒は御機嫌を悪くされてお帰りになり、残された劉昭容様は泣いていらっしゃったとか。」

「……そうか。」


 春雷が眉間に皺を寄せて何事か考え込む。

 憲樹の報告は極めて注視すべき内容だが、その一方で疑問が残らないでもない。最下級の宮女である憲樹は、昭光の傍近くに侍すような立場にはない。だというのに、劉司徒と昭光が微妙な雰囲気になっている状況に、果たして一体どのような経緯で居合わせることになったのだろうか。

 偶然見かけたのかもしれないし、誰かから又聞きしたのかもしれない。それならいいが、そういう状況を態と見せられた、或いは噂を態と耳にさせられたのだとしたら、情報の信憑性もいかばかりか。

 憲樹からの文ではそのあたりの詳細が省かれていたため、もどかしさが募る。問い詰めたい気持ちには駆られるが、昭光の宮に行って憲樹と接触するのを見られては不要な疑いを煽りかねない。

 そもそも憲樹は聡い女性だ。いつも必要なことだけを簡潔に伝えてくれる。その彼女がこれだけしか報告しなかったのだから、他のことは霞琳に伝えるべきでないと判ずるだけの根拠があるのだろう。


 だがそれでも霞琳が気に掛けずにいられないのは、ほんの数ヶ月前に起こった事件があるからだ。


「あの……これが一時的なものであれば宜しいのですが、いつか劉昭容様も寧江様の御母君のように――」


 霞琳の脳裏に過去の悲劇が過る。言いづらそうに、しかし言わずにはいられないといった様子で視線を伏せる。最初こそ躊躇いがちだったものの、一度声にしたら溢れて止まらなくなってしまった不安を塞ぎ止めるかのように、指先がそっと唇に添えられた。

 反射的に言葉を噤んで見上げると、優しげとも悲しげともつかぬ表情の春雷が僅かに首を左右にする。


「その想像は止めておくといい。……現状、劉司徒は昭光に懐妊の兆しがないことに不満はあれど、彼女を死なせて利になることがあるとは考えにくい。昭光も義姉上の死に思うものがあったろうから、身の危険を感じたら我々に助けを求めてくれることを願うしかない。」

「……そう、ですよね。憲樹さんにも、気付いたことがあればすぐ知らせてほしいと改めて伝えておきます。」

「ああ、そうしてほしい。そなたも憲樹も、頼りにしているからな。」

「……はい!」


 つい望ましくない方にばかり思考を巡らせてしまうのは霞琳の悪い癖だ。それをこうして止めてくれるばかりか、巧みに気持ちを奮い立たせてくれる人がいる有難さをしみじみ実感している。

 霞琳と春雷はその後も暫し語らってから、それぞれの執務に戻って行ったのだった。



**********



「――それで、どうしてこんなことをなさったんです?」

「……何のことを仰っているのかしら?」


 例の如く宮に忍んできた炎益と昭光は、人払いをした部屋で向かい合っていた。

 いつもの飄々とした雰囲気とは程遠く、炎益は珍しく眉根を寄せている。その厳しい視線を払い除けるように扇をはためかせて、昭光は飽くまで沈着な態度を貫く。


「……今回の件、貴女の独断であって、父上はご存知じゃあないですよね?父上は蒼風殿下の立太子を見送らせつつ、貴女が身籠るための時間稼ぎとして、曹昭媛の懐妊を利用していた。その曹昭媛の流産なんて、父上が仕組むはずがない。」

「…………。」

「状況からいって、単なる事故とは考えにくい。油を零した宮女とやらも、どうせ貴女の指示なんじゃあないですか?」

「……もしそうだとしたら、お義兄様はお養父様に告げ口でもなさるおつもり?根拠もなしにそんな訴えをなさったところで、お養父様は私とお義兄様のどちらを信用なさるかしら。」


 口許を覆う扇を揺らめかせながら、昭光はじっと炎益を見据えて首を傾げる。普段なら優雅に感じられるその所作も、今ばかりは堂々と開き直った悪女の所業にしか見えない。

 彼女の言う通り、栄節の事故を昭光が誘発した証左などない。だが状況からいっても、昭光のこの反応からいっても、まず間違いないのだろう。更には問いに問いで返される苛立ちも加わり、炎益は不愉快そうに眼を眇める。


「これでは蒼風殿下が皇太子になって、鄧昭儀が皇后になってしまいますよ。それは父上にとっては勿論、貴女にとっても望ましくないことではないですか?」


 炎益の言葉を耳にするや否や、ほほほ、と昭光は上品な笑い声を立てた。

 何が可笑しいものかと、炎益は一層眉間の皺を深める。しかし昭光は一向に気にした風はない。


「嫌ですわ、お義兄様ったら。仰る通り、蒼風殿下の立太子はありえるでしょう。けれど、鄧昭儀(あの女)が皇后に立てられると本気でお思いですの?人徳もなく、宮女からも宦官からも不人気で、あんな悪辣な噂が流れている女性が皇后に相応しいと思う者がいるかしら?」


 悪辣な噂というのは、嬌麗が栄節の不幸を大喜びしたというあれであろう。その流言とて元を辿れば昭光に行きつくのだろうに、随分とふてぶてしいものである。


「それでも、“母は子によって尊し”っていうでしょう。皇后が空位である以上、皇太子を立てればその生母が皇后に就くのが自然です。ましてや陛下にとって、鄧昭儀が一番信頼できる妃嬪なのは間違いがない。」

「そうね、……でも同時に一番危険な妃嬪でもあるわ。彼女の奔放な振る舞いは巡り巡って陛下の首を絞めかねないもの。聡明な陛下はそれをよくよくご理解されている筈。故に鄧昭儀を皇后には立てられないでしょう。そして曹昭媛は子を成せない体になった。ならば消去法でいって、皇后に一番近いのはこの私――違うかしら?」

「…………。」


 違う、と炎益は言えなかった。昭光の話は理屈の上では尤もなのだ。

 国母として崇められる皇后の地位に、子ども染みた我儘ぶりが目立つ嬌麗は全く以て相応しくない。彼女を皇后に立てようものなら、春雷の皇帝としての求心力も低下しかねないだろう。

 そして子を産めない体となった栄節もまた、皇后に据えるには反発が大きくなるのが目に見えている。皇后が子を成さねばならないというルールはないが、結果的に出産できなかったことと、最初から出産が期待できないのでは意味が異なる。後宮の秩序からいっても、皇后が産んだ皇子が皇太子になるという流れが最も順当なのだから。

 故に、皇后に最も適した妃嬪が昭光だという主張は正しい。昭光は後宮内で人気が高く、春雷が閨を共にするなら身籠る可能性も十分にある。劉司徒が後ろ盾であることも彼女の強みだ。

 現状、昭光が皇后になれない理由はただ一つ――政敵である劉司徒の養女を皇后にしたくないという、春雷の政治的な思惑による意地のようなものだ。それさえなければ、昭光はとっくに皇后に立てられていても可笑しくはない。


 それ以上反論する言葉を待たない炎益は静かに部屋を去った。


 一人残された昭光は回想に浸る。我が身を守るため、栄節の子を犠牲にする決断をしたことを悔いてはいない。残虐な所業と罵られるかもしれないが、自分は一切手を汚していないのだからお門違いである。

 昭光がしたことといえば、楽しかった散策について栄節に聞かせたことだけだ。

 そして孔寿がやってきた時に、夕刻に栄節の宮を訪れた際に薄暗かったことを話して「照明用の油が足りていないのではないかしら、誰か届けて差し上げたら宜しいのに」「そういえばあの宮の階は誰でも一度は躓きそうになるのよね」などと適当なことを困ったように付け足しただけだ。それを聞いた孔寿が己に期待された役目を把握して、自ら宮女に変装し、栄節の宮に油を届けに行って階で転んだのである。

 昭光は何一つ指示などしていない。

 あれは栄節と孔寿が自分の意志で行動した結果、偶発的に発生した事故である。

 昭光は全く関与していない。責められる謂れもないのだ。


 昭光は窓の外に視線を向ける。雲間の月がちらりと顔を覗かせていた。

 その月に、昭光は誓う。

 必ず皇后になる。皇后になって権勢を手に入れる。そのためには如何なる犠牲をも厭わない。そうして己の人生を支配していた劉司徒を跪かせ、自分の生き方を手に入れるのだと――。


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