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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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岐路

 張家は、大青華帝国初代皇帝が群雄の一人に過ぎなかった頃から付き従っていた重臣で、建国にあたり多大な武勲を打ち立てた家柄だった。その褒賞として征西将軍に任じられ、以来長きにわたり辺境の防備を固めるにとどまらず、西の国境をどんどんと押し上げて領土拡張に功績を上げてきた。国境線がある程度落ち着いてからは隣接するジュゲツナルム王国との折衝を担い、状況に応じて融和と強硬の匙加減を巧みに調節しながら王家との友好的な関係を築き上げ、近年ではとうとう柵封体制に組み入れることに成功。他の追随を許さぬ国内屈指の家門であることは誰の目にも明らかだった。

 しかし優秀な人材とは、乱世には英雄視されたとしても、治世には奸雄視されかねないという不安定な存在となる。大青華帝国の建国期には重宝されたその才覚も、国内外の情勢が安定してくると、余りにも群を抜き過ぎている張家の存在が危険視されることもあった。しかし強大な軍権を保持しているうえ、過失が見当たらない張家に対し、歴代皇帝たちは手を出せずにいた。その代わり征西将軍以上の官位や権勢を与えることもなく、当たり障りなく遇してきたようだ。


 それを変えようとしたのが今の皇帝――春雷の父であるという。霞琳が目にした皇帝にその片鱗は微塵も感じられなかったが、若い頃は英明な賢君として人々から仰がれていた彼が帝位に就いて真っ先に取り組んだのは、貴族社会の再構成であった。張家には劣るとはいえ、建国の功臣の子孫は他にもたくさんいた。それら一族の者たちは、自らの功績はないも同然でありながら、先祖の栄誉のお陰で高位高官を代々独占し私利私欲を貪るという、政治の腐敗や混乱を招く者の典型的な道を辿っていたのである。

 皇帝はその主導的地位にあった司徒――即ち行政部門の最高位に就いていた王氏の娘を皇后に迎え、表向きは彼らの傀儡に甘んじているように振る舞いながら、その裏では信の置ける者と共に司徒やその一派の不正の証左を収集していた。暫くの間は司徒たちを泳がせ、敢えて重罪を犯すのを誘発し見過ごした後、言い逃れのできない十分な内容と量との証拠を突きつけて悪質な官僚を一網打尽にして数多の家門を取り潰したのである。


 しかし、皇帝が唯一弾劾できなかったのが張家だった。

 名声も軍事力も皇帝を凌ぎかねないほど有力な張家には、罪だと指摘できる行いがどうしても見当たらなかったのだという。罪を捏造することも不可能ではなかったろうが、そこまでしなかったのは若き日の皇帝がそれを良しとはせぬ正義感を持つ清廉な人物であり、また張家を建国の英雄と称える世論に配慮してのことだったに違いない。兎も角も建国以来権勢を誇った者たちが瞬時にして滅亡したなか、張家だけはこうして力を削がれることなく命脈を保ってきたのである。これは皇帝に絶対の忠義を尽くすという家訓を律儀に守り抜くと共に、代々優秀な当主を輩出してきた張家なりの処世術と運あっての物種といえよう。

 とはいえ、皇帝にとって張家は反旗を翻されたらまず勝利は望めない相手。それでも忠臣として遇し御さねばならない脅威の存在は、皇帝の心にずっと棲み続けていたのだろう。やがて英邁さを失い歪んでしまった皇帝の思考のなかで、冤罪をでっち上げてでも取り潰す機会を欲するようになっていたようだ。


「そんなところに、そなたが転がり込んできた。陛下はそなたに月貴妃暗殺の罪を着せ、張家を取り潰す絶好の機会だとお考えになったに違いない。直接取り調べをなさろうとしたのは、罪の捏造を他の者に知られまいとするため、そして積年の鬱屈をそなたにぶつけるためだったのだろうが、……そなたが男だと気付いてからは、冤罪ではなく本物の罪の証左を掌中に収めたと、さぞかしお喜びになっただろうな。」


「……ならば、殿下は何故私をお助けくださったのですか?」


「私は張家を滅亡させるのを良しとしない。確かに張家の権勢は皇帝にとって危険分子という見方もできようが、国境防備といい民の崇敬といい張家の存在が我が国の安定に寄与する部分も大きい。強引な方法で唐突に張家という屋台骨を排除すれば、国が立ち行かなくなろう。……それ故にそなたが冤罪に問われる前に救わねばと向かったが、男だと判って肝が冷えたぞ。これでは私も助けようがないと思った。」


「それは……申し訳のうございます。」


「いや、いい。もう過ぎた話だ。――後宮に潜伏した素性の知れぬ男として、そなただけ処断して済ませる方法もあった。だがもしそなたが誠に張家の縁者であったなら、それも悪手だ。兎も角も出自が判明するまでは生かしておこうと考えたのだが、それで正解だったな。」


 ふふ、と笑いを零す春雷とは対照的に、今度は霞琳の肝が冷える。と同時に、本能的に死を恐れ生に取り縋る己の無意識を自覚して、自己嫌悪に陥った。


(姫様を喪って、もう生きていたくないなんて言ったくせに。)


 死にたいと言いながら、その覚悟もない。これが猛将張正蓋の息子だなどと名乗れようか。父が愛想を尽かしても当然だ。

 自嘲する霞琳の心中を知ってか知らずか、春雷は淡々と続ける。


「確かにそなたは過ちを犯したが、私は張家を罪に問う気はない。そなたが先程申したように、もしそれをすれば、張家の令息を後宮に伴ってきた月貴妃、そして月貴妃の侍女の選定に携わった戎月国王にも必然的に類が及ぶ。それらすべてを考慮した上で、そなたの罪と張家の存続を天秤にかければ、後者に傾くのは当然だ。そして重罪を犯したそなたを生かしておくことで、言い方は悪いが、張家に恩を売ることもできる。これが最善の道だと、私は思う。」


 鬱々とした霞琳の顔の前に、春雷はぴしっと人差し指を突き出す。


「――ただし。」


 さも重要な言を発すのだとばかり、春雷は勿体ぶって一拍置き、


「今この時を以て、“張慶琳”は死んだと思え。そなたは“張霞琳”として、後宮の女官として、残りの人生を歩むのだ。」


「はあ!?」


 完全に思考の斜め上から飛んできた発言に、霞琳は目の前にいるのが皇子だという事実も忘れて素っ頓狂な声を上げる。生きたいだの死にたいだのとうじうじぐるぐる巡り巡っていた考えは、一瞬にして吹き飛んだ。


「張家を罪に問わぬためには、そなたが“張霞琳”その人だという体を取らねばならない。当然であろう?」


「そ、それはそうですが……!」


「世の中に余計な混乱を招かぬためにも、月貴妃の死の真相は公にはせず、病没されたことにする。故に真実を知る者――即ちそなたや月貴妃付きの侍女たちを後宮から出すこともできぬ。全員女官として召し抱えることにした。」


「そんな、勝手な……!」


「何と言われようと、私は最善を選び採る。……そなたとて、その体で張家に帰ったらどうなると思う?」


「それは……。」


 張家で元々役立たずの己だが、男性機能まで失っては目も当てられない。政略結婚すらできない次男坊――否、かつては次男坊()()()、今や性別を失った人間など、お荷物でしかないだろう。

 或いは、父や兄、妹はこのような体になったことを憐れんでくれるかもしれない。だがそれはそれで、自分を傷つけた皇帝に対し不信感や反感を持つ可能性がないともいえない。それは春雷が最も避けたい展開である筈だ。

 霞琳は黙り込んだ。その態度を見て、春雷は霞琳が自分の言わんとするところを理解したと解釈したようだ。


「正蓋殿は聡明な方。そなたが女官として召し抱えられたと知ればすべてを察し、対外的にはそなたを“張霞琳”として扱うようになるだろう。必然的に“張慶琳”は何らかの理由をつけて、表舞台から消えることになる。」


「では妹は、本物の霞琳は……。」


「……少なくとも、“張霞琳”として世に出て来ることはないだろう。」


「……。」


 妹の人生を台無しにしてしまった、と霞琳は思った。いっそ自分が死んで、妹が後宮女官として召されればいいのではないかとも考えたが、シャムナラ姫付きの侍女たちも後宮に残されるのなら、自分と妹の入れ替わりが露見するのは確実だ。こればかりはどうにもならない。


(ごめん、霞琳。父上に見放されてもお前は私を兄と慕い続けてくれたのに、駄目な兄で本当にごめん。)


 妹には決して届かない謝罪を心の中で繰り返す。彼女が“張霞琳”として貴族社会に出ては来られずとも、せめて幸せな生活を送れるよう父や兄が手配してくれることを願うしかなかった。


 そこで霞琳は、ふと思い当たる。先程から春雷は、彼自身の意見を決定事項のように述べている。しかしすべての権限は、彼ではなく皇帝にあるのではないだろうか。皇帝が春雷の意見を是としなければ、自分も張家もこの先に待つ未来は滅亡のみであるはずだ。


「……あの、殿下がそのようにお考えだったとしても、陛下が張家を疎んじておいでならばそう丸くは収まらないのでは?」


 霞琳の問いに、春雷は一瞬だけ口を戦慄かせ、すぐに閉ざす。が、すぐに柔和に双眸を細めた。


「そういえばまだ伝えていなかったな。――陛下は先日崩御された。皇太子殿下も同日に還らぬ方となり、私がもうじき即位する。」


「――え!?」


 春雷が感情の薄い語調で説明する様子は、どこか他人事のようだった。それが霞琳に更なる衝撃を与える。

 皇帝と皇后の間には、皇太子と春雷の二人の子がいる。春雷の先の話からすると、皇后は夫である皇帝の手によって生家を失ったわけで、巷で囁かれていた夫婦の不仲の噂はさもありなんといったところである。つまり春雷は、かつては賢帝、今は愚帝と評され女色と酒色に耽る皇帝を父に持ち、その父に恨みを抱いているだろう皇后を母に持つという穏やかならざる家庭環境で育ち、更には父と兄を同時に喪い、本来自分が就くはずではなかった帝位が突然転がり込んできたということだ。

 そのような状況を予測もしていなかった貴族たちはさぞ慌てふためき、良からぬ算段を企てる者も少なくなかろう。私的な愛憎も公的な利害関係も複雑に絡み合う激動の渦中にいる春雷がこれほど落ち着き払い、対張家という課題解決の一環であるとはいえ霞琳の処遇にまで時を費やし気を回している。その胆力に、霞琳は内心で舌を巻いた。


(叔父上の講義では、第二皇子は特段可もなく不可もなく、皇太子の座を脅かすような人物でもなく、至って平凡で目立たない存在だと言っていたけれど……。)


 目の前にいる人物は、霞琳の目にはとてもそうは見えなかった。自分を取り巻く環境は容易には変えられないが、それを俯瞰的に捉えて己がどう行動するのが最善であるか、全て計算して振る舞っている。柔らかで美しい容姿に反して、心の中には決して揺るがぬ信念がある。そんな風に、霞琳には感じられた。


(……姫様。)


 思わず、心の中で呟いた。春雷の中に、愛おしい人の面影に似たものを見つけてしまった。もし春雷の目指す所が、シャムナラ姫が自らを犠牲にしてまで望んだジュゲツナルム王国の平和と安定に繋がるものであるのなら、彼に仕えることは彼女の夢を実現する手段になるのかもしれない。


(……姫様、貴女の夢を私が叶えられると思いますか?貴女を守れなかった私が生きていても良いと思いますか?)


 心の中で静かに問う。ふふ、と笑うシャムナラ姫の幻想が脳裏を過った。

 同時に、生きることを投げ出すな、と厳しい表情で告げる正蓋の記憶が蘇る。

 しかし、余りにも色々な事がありすぎて霞琳の頭と心がちぐはぐになっている。そのような状態で決意を固められることなど到底できようはずもなく、霞琳はただただ黙り込んだのだった。


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