切望
※性的虐待表現がありますのでご注意ください。
権力が欲しい――。
昭光は切に願っていた。無論、そんな様子はおくびにも出さない。しかし、嫋やかな笑みの裏側には普段以上の焦燥を隠していた。
嬌麗と栄節に差をつけられている――劉司徒が態々口に出したその指摘は、昭光自身が嫌という程によくよく理解していたことだ。
嬌麗との差はまだ想定の範囲内であった。彼女は春雷が皇子の頃から仕えていたのだから、昭光よりも遥かに春雷と親密な仲であっても可笑しくはない。実はとうに懐妊していたというのも、衝撃ではあったがすんなりと腑に落ちる話ではあった。
劉司徒や治泰に対する牽制の意図を差し引いても、春雷が妃嬪の後宮入りにあたって事細かに口を出し、嬌麗が不利にならぬよう格別の配慮をしていたことは記憶に新しい。幾ら糟糠の妻とはいえ、もし愛情がなかったならそこまではしないだろう。
そういうわけで、目下、昭光は嬌麗を最大の脅威と見做していた。劉司徒も同様の認識であったために、嬌麗が専ら嫌がらせの標的となったわけである。
完全に想定外だったのは、栄節の懐妊であった。
慣習に従って通って来た期間を終えると、春雷の訪れは絶えた。昭光は自分に魅力がないせいかと焦ったが、炎益に確認すると嬌麗や栄節に対してもそうだというから、どうも春雷は妃嬪への関心が薄いらしいと知る。安心したような、そうでもないような、複雑な心境に陥ったものだ。
霞琳の進言があったとかで、春雷はまた妃嬪のもとへ足を運ぶようにはなったが、一向に触れては来ない。他愛ない会話をしたり、茶や食事を共にしたりするだけである。まるで、義務でなければ女性を抱くつもりなどないというかのように。
これまた焦った昭光が炎益を問い質したが、流石に春雷が他の妃嬪と閨事に及んでいるかどうかまでは把握していないという。ただ、劉司徒も治泰も春雷にとっては政敵であるから昭光と栄節に子を産ませたくはないはずで、そうであれば栄節にも触れていないのではないか、という尤もな憶測が添えられていた。
それを聞いて僅かなりとも安堵していたところに、青天の霹靂の如く栄節が身籠ったという報せが舞い込んだのだ。昭光は目の前が真っ暗になった。炎益を責め詰りたくなったが、栄節が妊娠したのは例のしきたりの期間だというので、こればっかりはどうしようもない。条件は同じであったのに子を宿せなかったのは紛れもなく昭光自身だ。
嬌麗と栄節が立て続けに子を成したことで、昭光はとてつもなく惨めな気持ちで日々を過ごしている。二人が羨ましくて堪らず、妬ましい感情ばかりに苛まれる。
しかし、それを顔に出すことはしない。こういう時だからこそ、堂々と、穏やかに微笑んで遣り過ごさなくてはならない。悲しみも苦しみも全て心のうちに押し隠すことは容易ではないが、昭光は見事にやってのけている。そしてそれは、後宮の人々からの評価が上がるという効果を齎した。
元々昭光は宮女からの支持が高い。目下の者にも優しく接し、何かにつけて菓子などの心づけを与えることを忘れない。嬌麗は我儘で横暴な性格のため宮女たちを理不尽に虐げることも日常的であるし、栄節は宮女に対してもぼうっとしたまま何もしないので、後宮内での人気という点においては、昭光が圧倒的な優位にある。故に、昭光にだけ懐妊の兆しがないことも宮女の間では寧ろ同情的な雰囲気が醸成されており、それでも品位ある振る舞いを崩さない姿は称賛を集めた。
皇后に相応しいのはやはり昭光だ――そんな声が、劉司徒の工作の甲斐もあって日に日に高まっている。
そして昭光自身もまた、皇后位を欲するようになっていった。
このまま後宮で肩身の狭い思いをしながら老いていきたくはない。春雷の寵を得られずに女の悦びを味わうこともできず、子を成せず母になる幸を感じることもできないのなら、せめて皇帝と並び立つ存在としてこの国の頂点に君臨してやりたい。そして権勢を恣にし、劉司徒でさえも己の前に跪かせてやるのだ。
――そう、昭光は劉司徒を激しく憎悪していた。
物心ついた頃から、昭光は母親と、数人の使用人と共に暮らしていた。母娘は決して外に出ることは許されず、日がな一日家の中で過ごす。母親は「私は貴族の娘なのよ」と誇らしげに口にするのが常で、昭光にも貴族の令嬢として恥じない教育を徹底した。
その邸に不定期に姿を見せるのが劉司徒だった。使用人が彼を「旦那様」、母親を「奥様」と呼ぶので、幼い昭光は劉司徒を実父だと信じて疑っていなかった。事実、劉司徒も子どもながらに容姿端麗な昭光のことを目に入れても痛くない程に可愛がり、よく遊んでくれたものだ。
ずっとそんな睦まじい親子三人の関係が続くと思っていた昭光だったが、母親が劉司徒の子を腹に宿した頃から歪になり始めた。
昭光を愛でる劉司徒の手つきや眼つきに妙な生々しさがちらつくようになったのである。妊婦の母親が相手では発散しきれない劣情を、昭光に向けはじめたのだろう。
邸という鳥籠に囚われているせいで一般的な父娘の距離感を知らない昭光は、当初はそれが異常だとは分からなかった。しかし、衣服の乱れを直してやるだの、いずれ嫁入りする日に備えて夫の悦ばせ方を指南してやるだの、あれこれと名目を並べ立てながら息を荒げ下卑た笑みを浮かべる劉司徒に身体をまさぐられるようになると、本能的に危険を感じ取った。
こんなことを父親が娘にするのはおかしいです――そう、か細く震える声で抗議したが、「お前は私の子ではないから、手を付けたところで非難される謂われはない。そんなことも知らなかったのか?」と親子関係を否定され、更なるショックを受けることとなった。
それから怯えて声も出せずにすすり泣いて震えるばかりの昭光を救ってくれたのは、母親だった。以降、母親は昭光と劉司徒が妙な雰囲気になると必ずと言っていい程に割り込んできて、劉司徒に自らの胸を押し当てながら甘えた声を出し、女の武器を存分に使用して彼の肉欲を自身に引き付け、昭光から引き離していってくれたのである。そんなふうに自分を守ってくれる母親のことを、昭光は心から慕っていた。
月日が経ち弟が生まれたが、劉司徒はその子をどこぞへ連れて行ってしまった。恐らくは劉家の邸宅で劉司徒の実子として養育されているのだろう。姉弟だというのに、名も知らぬ弟とはそれきり一度も会ったことはない。
産後の肥立ちも良く、やがて母親が劉司徒の情動を全て受け止められる体に戻ると、劉司徒の昭光への関心は薄れたかに見えた。が、それもほんの一時に過ぎず、昭光から幼さが抜け成長するにつれ、再び魔の手に晒されるようになったのである。それも、戯れのようだった以前とは比較にならない、ねっとりとした厭らしさが増した手付きで。
ある日もまた、劉司徒は昭光の体を貪ろうとしていた。
母親の制止のお蔭で毎度途中までで難を逃れているとはいえ、幾度となく無体を繰り返される生活を送っていたせいだろうか、劉司徒の手の動きに対し体が反応を見せはじめたのだ。嫌悪しているのに悦びを露わにする体は、確かに自分のものであるはずなのに全く言うことを聞いてくれない。
その状況に動揺した昭光の泣き喚く声を聞いて、遅ればせながら母親が助けにやって来た。そして母親はいつものように劉司徒を自室に招くことに成功するも、自分は立ち去らずに敵意を剥き出しにした瞳で昭光を見据え、少女から女性に変容しつつある白くつるりとした肢体を忌々しげに睨み付けるや「淫売」「死んでしまえ」などと口汚く罵ったのである。
どうやら母親は、母として娘を思うが故に昭光を劉司徒の欲望から庇ってくれていたわけではなく、女として劉司徒の欲求を向けられる女を憎むが故に二人の情交を妨害していただけであると知り、昭光は大きな絶望に襲われた。
呆然自失となった昭光には、その後の母親の話など碌に耳に入ってこなかったが、「劉司徒の寵を失ったら生きていけない」「お前は母親をそんな目に追い込む気か」などと捲し立てていたような気がする。母親もまた劉司徒を愛してなどいなかったのだろうが、彼に養われて事実上生殺与奪の権を握られてしまっている立場上、その関心を繋ぎとめるために必死だったのかもしれない。
だがそんなことなどまだ理解できなかった昭光は、誰も信用ならない邸の中で、最も安全な場所である自室に引きこもる生活を始めた。それは母親にとっても都合が良かったようだ。劉司徒が昭光の部屋に向かおうとすれば、すぐに気付いて止めることができる。
お蔭で昭光は劉司徒と顔を合わせることがなくなった。だが、仮初の平穏のなかでも虚しさと不安は常に胸に巣食う。
母親からの淑女教育は一応継続しており、昭光は早くこの邸を出たい一心で勉学に励んだ。何処に出しても恥ずかしくない令嬢になれば、嫁に出されることだろう。そうすれば劉司徒に怯えることも、母親に邪険にされることもなくなる。
昭光は窓の外を鳥や虫が舞い踊る姿を羨望の眼差しで追ってばかりの日々を過ごした。自由に憧れているのだとは、自覚もないままに。
ある日、母親に呼ばれた昭光は劉司徒の前に連れ出された。
昭光と劉司徒が共にいることをあれほどまでに警戒していた母親は上機嫌で、劉司徒もまた欲望を微塵も感じさせない微笑みでこちらを見て来る。
いつもとは異なる雰囲気に戸惑う昭光の耳に飛び込んできたのは、予想だにしていない言葉だった。
「お前の後宮入りが決定した。陛下の妃嬪としてお仕えしてお心を捉え、皇子を生み、いずれは皇后に就くのだ――よいな?」




