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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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風雲が告げるもの

「いやー、あんたは本当にのほほんとした見た目のくせにやる時はやるよな。恐ろしい、恐ろしい。」

「……徴夏様、おちょくってますよね?」

「まあな。でも褒めてもいるんだぜ?――正直、絹逸を返せって言われた時は、まーた甘っちょろいこと抜かしてやがると呆れたもんだけどな。」

「…………。」

「だが実際は、異動による見せしめ効果は抜群。優しいだけじゃなく厳しさもある女官長だって、後宮では良くも悪くも大評判だ。俺の指導通り、振り回すべき時にガツンと権力振るったな。よしよし。」

「やっぱり褒められている気がしません……。」


 いつもの面々が集まり卓を囲むなか、徴夏は隣に座っている霞琳の頭を気分良さげにぐりぐりと撫で回した。

 霞琳はといえば、絹逸を見せしめにするつもりなど決してなかったものの、結局はそうなってしまっている状況に加えて徴夏のレクチャーに従ったも同然なので、反論のしようがなく感想だけを口にする。

 そんな二人の様子を微笑ましそうに眺めながら、春雷は優美な所作で茶を口に運んだ。


「いずれにせよ、霞琳殿に任せて正解だったというわけだ。出納部署も今後はまともになるだろう。」

「そーそー、報告書の締切を守ってもらえるようになって内侍省も大助かりみたいですよ。霞琳様万歳ってね。」

「そんな、畏れ多いです。元はといえばこちらがご迷惑をお掛けしていたうえ、出納業務に関するご指導までお願いしてしまい、申し訳ないくらいですのに。」


 絹逸が捕縛されて以降、出納部署はちょっとした混乱に陥った。ほぼ一人で業務を抱えていた絹逸が欠けたのだから、当然の流れである。

 おろおろするばかりで何もできない責任者に代わりその収束に動いたのは、やはり祐君であった。絹逸一人が抱え込んでいた業務を他の女官たちに割り当てたが、彼女たちのほとんどは仕事の仕方を知らない。そこで祐君は霞琳の許可を得たうえで内侍省の出納担当者に協力を仰ぎ、業務について一から研修をしてもらっているのである。


 当初は業務の概要すら理解していない女官も珍しくはなく、指導役の宦官も頭を抱えていたが、最近では一人で仕事をこなせる者も増えてきたようで一安心だ。

 そして同時に、以前は残留希望だった出納部署の女官たちから後宮を出たいという声が相次ぐようになった。これまで仕事をまともにやっていない女官がいかに多かったかを物語っているといえよう。そしてそれは全ての責が彼女たち自身にあるとは言い難い。絹逸が彼女たちをそうしてしまったのだ。

 だから霞琳は、絹逸を異動させた。そして今後も同様の過ちを繰り返さないよう、余り他人と関わらない職務を与えたのである。聞いたところによると、現在の絹逸は真面目に仕事に臨んでおり、例の側室がいた宮はとりわけ丁寧に清掃されているというので、霞琳も安堵していた。


「指導くらい気にしないでくださいよ。あいつらも心の中身は男なんで、女性と堂々と接する機会が増えて喜んでるやつもいるくらいでしたから。……そうそう、霞琳様、聞きました?僕に依頼してきたあの後輩、最近雰囲気が変わった祐君さんが気になりだしたみたいで、言い寄ってこっぴどく振られたらしいですよ。」

「ぶっ!」

「そいつに自棄酒に付き合わされて泣き言を延々聞かされたんですけど、そんなの当たり前ですよねー。ちょっと前まで祐君さんにきつく当たってたんだから――……って、徴夏様、どうかしました?」

「……いや?別に。」


 人の不幸をげらげら笑う炎益の話を耳にするや、茶を飲んでいた徴夏が噎せる。

 何でもないように取り繕う徴夏も祐君にちょっかいを出していたことを思い起こし、霞琳は彼に生温かい視線を送った後、改めて炎益に向き直った。


「炎益様、その後輩の方からそんなお話までされるようなお付き合いをする仲になったんですね。」

「え?あ、ああー……まあ、そうですね。はい。」


 以前に炎益が口にしていた、自分が第二皇子付きだから疎遠になり、皇帝付きになるや近寄って来たというだけの関係にしては、随分と砕けた付き合いになっている気がする。その指摘に、炎益が珍しく言い淀むように視線を落として口を開いた。

 後輩曰く、世評はどうであれれっきとした貴種である第二皇子付きとなった炎益と一介の宦官に過ぎぬ自分では住む世界が突然分かたれてしまったように感じて、おいそれと声を掛けてはいけないような気になり、不本意ながら疎遠になってしまっていたのだという。今回の件で久々に言葉を交わせるようになり、また親しくなれて嬉しかったのだと、酔っぱらいながらふわふわと泣き笑いしていたらしい。


「……そういうわけで、そいつに関しては僕が勝手に考えを拗らせてたってことです。あの時話を聞いてくれた霞琳様には感謝してますよ。」

「いえ、私は何も……ですが、お二人がまた親しくなれたことは嬉しいです。」


 炎益が珍しく照れ臭そうに、しかしそれを誤魔化すように視線を逸らしながらぼそぼそと漏らす。その様子を微笑ましげに眺めて、頬を綻ばせる霞琳。

 そんな穏やかな一時は、突如開かれた扉が立てた盛大な音によって終焉を告げられた。


「かかか霞琳様ぁ~、助けてくださいいぃ~!……って、あれ、休憩中でした?し、ししししかも皇帝陛下までご一緒!?ひひひひいいっ、失礼いたしましたあ!ご無礼お許しください!!」


 突然の来訪者は白維であった。ひんひん泣きじゃくりながら飛び込んできた彼女は、女官長の執務室に揃った面々に気付いて慌てて床にひれ伏し、別の意味で泣きじゃくりそうになりながら委縮しきっている。

 春雷はその寛大さ故に白維の態度に全く気を悪くした風もないが、彼女の訪れに良い予感はしていないのだろう。至極曖昧にして複雑な表情を浮かべた。

 徴夏は、またかよ、とでも言いたげに呆れ果てた顔で首を左右に振り肩を竦めている。

 炎益は徴夏と同じ言葉を口にしたいのだろうが、所感は全く別のようだ。にやにやと愉しそうに頬杖をついて成り行きを見守る構えでいる。

 

「……白維、落ち着いて。どうしたのですか?」

「ふえーん、霞琳様ぁ!鄧昭儀様が、また嫌がらせをされて荒れ狂ってらっしゃって……!」


(……やっぱり、またかあ。)


 土下座状態の白維に歩み寄った霞琳は、状況を聞いて内心で溜息を漏らす。そして振り返ると春雷と目が合い、お互いに頷き合った。


「わかりました、陛下と一緒にすぐお伺いします。白維は先に戻って、その旨を鄧昭儀様にお伝えしてください。」

「ありがとうございます!神様仏様女官長様霞琳様!」

「……何ですか、それ。」


 がばっと身を起こした白維は、霞琳の突っ込みを聞くより早く部屋から駆け出していく。正に嵐のように現れて去っていた少女の後ろ姿を見送り、霞琳は申し訳なさげに眉を下げて春雷を仰ぎ見た。


「……ご足労をお掛けして申し訳なく。」

「何のこれしき。嬌麗を宥めるのは私の務めだ。」

「母親になればちっとは大人になるかと思ったのに……全く変わらねえなあ、あいつは。困ったもんだ。」

「あはは!まあ、曹昭媛様のこともありますし、嬌麗様がカリカリするのも無理はないんでしょうねー。……さて、今日のところはこれで解散としますか。」


 それぞれ好き勝手なことを口にしながらこの場を後にする徴夏と炎益を送り出し、春雷と霞琳は急ぎ足で嬌麗の宮へ向かう。

 その道すがら、霞琳はこの数ヶ月の間に怒った怒濤の出来事を改めて振り返っていた。



**********



 時は暫く遡る。

 絹逸や祐君のことで頭を悩ませていた頃、霞琳はもう一つの頭の痛い問題を抱えていた。


「んもう、いつ生まれてくるのよ!」

「と、鄧昭儀様、落ち着いてください。予定日はまだ先で――って、痛っ!」

「落ち着けですって?幾らお前の言葉でも、こればっかりは従えないわ!」

「これ以外にも従ってくださらないこと多いですよね!?――って、痛っ!」


 臨月が近づくにつれ嬌麗が癇癪を起こす頻度が頗る高まり、時には本人から呼びつけられ、時には彼女の侍女や白維からの懇願を受け、霞琳は足繁く嬌麗の宮を訪れる羽目に陥っていた。

 こうして喚き散らしては手当たり次第に周囲の物を投げつけてくるので、部屋は散らかり放題である。宥めようとして嬌麗への接近を試みる霞琳は飛んでくる物をまともに身体で受け止めてしまっているが、このような状況に慣れきっている侍女や白維たちは巧みに距離を取り、物が降って来ない隙を狙って動き回り、せっせと片付けをしている。凄い。


 嬌麗のヒステリーは極めて厄介だが、彼女の気持ちも理解できないでもなかった。

 まだまだ本人の精神年齢が実年齢より大幅に幼いというのに、もうすぐ母親になるのだ。初めての出産に緊張もしているだろう。

 体格も小柄なので、膨らんだお腹が相対的に異様に大きく重たげに見える。この中身が本当に無事に外へ出て来られるものなのだろうかと、霞琳でさえも不安に感じる程なのだ。


「ま、まあまあ、鄧昭儀様!お菓子でも召し上がりませんか?甘い物、お好きですよね!」

「好きよ。好きだけど、……ううん、霞琳の指示で用意される物なら安心よね。いただくわ。とっとと準備なさい。」

「は、はい!」


 霞琳は侍女に声を掛け、直ちにお茶の用意を言いつける。

 漸く嬌麗が落ち着きそうな気配を見せたので、侍女は心底ほっとした様子で何度も頭を下げてから厨へ向かった。


 先程まであんなに声を荒げて興奮していた嬌麗は、卓に頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。目尻にはうっすら光るものが見えた。

 情緒不安定といえば確かにそうだ。だが、その一言で済ませるには可哀想なものがあるのも事実。ただでさえ出産を控え神経が研ぎ澄まされている状態だというのに、更に嬌麗を追い詰めるものがあるのだから。


「……この前、春雷様からだといって届いたお菓子、虫が入っていたの。」

「申し訳ございません。私どもが除ききれず……。」

「霞琳のせいじゃないわ。そのくらい分かってる。」

「鄧昭儀様……。」


 ぽつりと嬌麗が零した言葉に、霞琳は胸を痛める。

 懐妊が公表されてからというもの、嬌麗への嫌がらせが頻繁に発生するようになっていた。

 明らかに不審な贈り物は嬌麗に見せるまでもなく廃棄している。しかし差出人が騙られていたり、一見ちゃんとしていても目視で確認できないところに異物が混入していたりする場合が珍しくない。とはいえ、だからといって何でもかんでも処分してしまっては、本物の心遣いだった場合に返礼ができなくなり、それはそれで嬌麗が礼儀知らずで高慢ちきな妃嬪という印象を送り主に与えてしまいかねない。

 更には、泥やら動物のものだと思いたい汚物やらが嬌麗の宮の門や塀に撒かれていたり、散策に出かければ木の上から蛇が落ちてきたりと、嫌がらせの内容は枚挙に暇がない。

 こうなることは想定の範囲内だったため、春雷の指示で宦官に見回りをさせたり、霞琳も嬌麗の侍女たちに細心の注意を払うよう促したりはしていた。悪意を完全に排除することは不可能だとしても、対策の割に嫌がらせの成功率が高すぎるような気がしてならない。しかも透明人間の犯行なのではないかと思ってしまうほどに、犯人が見つからないのだ。


「犯人の姿が見えないんじゃなく、どいつもこいつも犯人が見えない目玉の持ち主なんでしょうねえ。都合のいい目玉ですよ、全く。」


 先日、騒ぎを聞いた炎益は呆れ果てたようにそんなことを言っていた。成程な、と思う。

 場所も時間も問わずこれだけあれこれ仕掛けてきているというのに、本当に誰一人犯人を見ていないわけがない。気づいていながら見て見ぬ振りをしているのだ。

 逆にいえば、それだけ多くのものが加担、或いは知らんぷりをしたくなるような者の仕業ということになろう。後宮内にそんな一代勢力を築いているものがいるとすれば、やはり劉司徒派しか考えられない。

 宦官や宮女にも劉司徒派と繋がりのある者が多数いるのは明白である。また派閥とは無縁な者であっても、劉司徒派に目をつけられたくないので黙っている者もいるだろう。

 ただでさえ宦官や宮女からの嬌麗人気は酷いものだ。一方、慈悲深いと評判の昭光は大人気なのでどうにか巻き返したいところではあるが、嬌麗の不人気は本人の日頃の行いが原因なので自業自得であり、彼女自身が態度を改めない限りどうにもならないというのが苦しいところであった。


 霞琳はあれこれ頭を悩ませながらも表面上は楽しくお茶をして、嬌麗の気持ちを落ち着かせて執務室に戻る。すると意外な来訪者が霞琳を待っていた。


「女官長様、お久し振りでございます。急にお伺いして申し訳ございません。」

「久し振りですね、季望。謝ることはありません。いつもは手紙で報告してくれる貴女が直接来たということは、余程のことがあったのでしょう。」


 霞琳の前で畏まる季望は、いつになく思いつめた顔をしていた。

 栄節に何かあったのかと心配になるが、いまのところ彼女の宮に異変があったという報せは何処からも受けていない。


「……確信があるわけではないため、報告すべきかどうか悩んでおりました。もし杞憂であればよいのですが、濫りに口にするのも憚られることなので、女官長様にご相談するのもいかがなものかと躊躇われてしまい……。」

「気になることがあるなら、何でも言ってください。そのために貴女を曹昭媛様につけたのです。」

「……何を申し上げても、不敬として罰されるようなことはございませんか?」

「この場に限っては絶対にありません。安心してください。」


 世話焼きで意見を率先して述べるタイプの季望がこれほど言い淀むのは稀有なことだ。余程口にしづらい内容なのだろう。

 暫く逡巡するように俯いていた季望だったが、やがて意を決したように顔を上げ、真っ直ぐに霞琳を見つめて来た。


「私の勘違いでしたら誠に畏れ多いことですが……――曹昭媛様は、身籠られていらっしゃるのではないかと。」

「……え!」


 双眸を丸め思わず大声を上げそうになった霞琳は、慌てて口を両手で覆った。


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