明かされるもの
祐君を送り出してから間もなく入れ違いのように執務室へやってきた春雷を迎え、霞琳は彼が齎した報せを反芻した。
「捕縛、ですか。徴夏様が、絹逸さんを……。」
「ああ、そうだ。……驚かせてしまうかと思ったのだが、随分と落ち着いているな。」
「先程、祐君さんから絹逸さんが病気だと聞いたのです。一年前のことがあったので、絹逸さんが人知れず処断されたのではないかと不安に思っていましたが、まだ拘束されただけと分かり安心しました。」
言葉通り、霞琳はほっとした笑みを浮かべる。
しかし、その様子を見た春雷は対照的に双眸を曇らせた。
「……確かに拘束したに過ぎぬ。だがそれもあくまで、今は、だ。」
「これから処断する可能性もあると?……ですが彼女が行ったのは公文書の改竄であって、公金の詐取に比較すれば遥かに軽い罪だと思いますが。」
「本当に罪がそれだけなのか、目的が何なのか、裏で糸を引いている者がいないのか――現状ではまだ不明なことばかりで、罪の軽重を論じられる段階にない。ただ、徴夏が自ら尋問に当たると言って活き活きしていたから、全容の解明にそう時間は要さぬだろう。」
「……活き活き?」
「ああ、活き活き。」
霞琳は春雷の言葉を語尾上がりに繰り返して若干の疑問を表明するが、彼もまた同じ語を口にして真顔で頷く。
職務にやる気を出すのは素晴らしいことだ。それは間違いない。だが、まるで徴夏が尋問を愉しむ歪んだ嗜好の持ち主であるかのように感じられ、何とも言えない気分に陥ってしまうのは何故だろう。
渋い顔でそんなことを考えていると、突然大きな音を響かせ開けられた扉から話題の人物が姿を見せた。
「よーう、霞琳!元気にしてるか?」
「は、はい、元気です……。徴夏様は、その、……活き活き、してらっしゃいます、ね。」
「まあな、今日も精が出るってもんだ!」
「あはは……。」
ここを訪れる直前に祐君と交わした約が徴夏を漲らせていることなど、霞琳は知らない。
故に、眩しいくらい活力に満ちた徴夏の姿を目の当たりにして、意気揚々と尋問に励む彼の姿を脳内で完成させてしまい、乾いた笑いを漏らすことしかできずにいた。
徴夏も徴夏で、まさか霞琳にそんな盛大な誤解をされていることなど露知らず、機嫌よさげに会話の輪に加わって来る。
「ところで霞琳、今日ここに来たのは絹逸のことで聞かせてもらいたいことがあってだな。」
「公文書改竄についての調査の一環ということですね。私に分かることでしたら、ご協力いたします。」
「話が早くて助かる。昨日絹逸を捕縛して取り調べを始めたんだが、本人の話が荒唐無稽っつーか何つーか……まあ、独りよがりの正義感と、最早妄想の域に達した思い込みが過剰で、理解に苦しむ部分が多い。表向きは急病による隔離ってことになってるんで、宮女たちから話を聞くのも難しいし、あんたが知ってることを教えてもらえると有難い。」
徴夏の頼みに、霞琳は素直に頷いた。とはいえ、霞琳としても絹逸について詳しく知っているわけではない。ましてや捜査の役に立ちそうな情報といったら、昨日激昂した彼女が吐き捨てた台詞の数々くらいだ。
それでも徴夏は適度に相槌を打ちながら、先程までとは異なる落ち着いた面持ちで話に耳を傾けてくれる。その傍らで、春雷も静かに考えを整理しているようだった。
「――絹逸の話と概ね合致してるな。霞琳を劉司徒の手先だと認識しているところとか、報告書を改竄していたのは公金の詐取を妨害するための正当な行為だとか、……しかし何で絹逸は劉司徒を毛嫌いしてるのかね。そこがいまいち見えねえんだよな。」
「あの、そのことについては少し気になることが……これは私の推測に過ぎないのですが、亡き皇太子殿下のご側室と絹逸さんに何らかの関係があったのではないでしょうか?」
「……何だと?」
「……何だって?」
春雷と徴夏の声が重なる。
“呪詛のでっち上げ”と“あの子を追い詰めた”という絹逸の言葉について霞琳が説明するも、二人は顔を見合わせた後、お互いに思い当たる節はないらしく眉根を寄せて考え込むばかりだ。
暫く経って、先に口を開いたのは春雷だった。
「兄上の側室は上級貴族の出身で、彼女の育ての母はやはり上級貴族出身の女性だったが、生みの母は使用人だったと聞いたことはある。一方の絹逸は下級貴族出身。上級貴族と下級貴族、もしくは貴族の使用人と下級貴族……いずれにせよ、関係があるとは考えにくい。少なくとも表向きには。」
「表沙汰になっていないような事情があったか、後宮で知り合って親しくなったか、……もしくはあの思い込みが強い女のことだから、何らかの理由があって一方的に執着してた可能性もあるかもな。詳しい事情はさておき、絹逸が春嵐の側室に強い思い入れがあったなら、劉司徒を恨むのも納得だ。」
結局のところ、二人の関係について知る者はないようだ。明らかになるかどうかは、徴夏の尋問次第ということになろう。
徴夏に望まれるまま知り得る情報を全て提供した霞琳の方も、彼に訊きたいことがあった。そこで今度は自分の番だと言わんばかりに身を乗り出す。
「ところで、絹逸さんは一体どうして公金詐取の主犯が劉司徒だと思ったのでしょうか。一年前の事件では、范淑妃派にお金が流れていたことが確認されているんですよね?」
「ああ、俺の調査では范淑妃派の仕業だと結論付けた。……あんたには言ってなかったが、実は一年前に女官の罪を密告してきたのは絹逸だったんだ。その時も絹逸は劉司徒が主犯だと主張していて、調べはしてみたが、劉司徒に金が流れた形跡は発見できなかった。」
「そうだったのですか……。」
一年前の事件にも絹逸が関わっていたと知り、霞琳は驚きを禁じ得ない。そして彼女の劉司徒への深い憎悪が感じられて、胸の奥が痛む気がした。
「劉司徒が主犯だと絹逸が主張する根拠は、劉司徒が張萬宝を贔屓にしているから、の一点張り。……だけど張萬宝は都にでっけえ店を構えてる豪商だぜ?奴を贔屓にしてる貴族なんて掃いて捨てる程いるっつーの。そんな理由で疑ってたら、ほとんどの貴族が公金詐取に加担してたってことになっちまう。話にならねえ。」
「張萬宝……そういえば、陛下は何故私にその商人を使うよう勧めてくださったのですか?私、一年前の事件を聞いてからというもの、ずっともやもやしてたんです。そんな悪徳商人と取引をしてしまったなんて……!」
劉司徒が主犯だというのは、どうも絹逸の偏った知識に起因した決めつけであるようだ。呆れ果てたように溜息を漏らし、やれやれといった様子で徴夏が頭をがしがしと掻く。
事情を理解し納得した霞琳だったが、張萬宝の名を耳にするなり今度は春雷に向き直る。犯罪に加担していた商人から寧江のお茶会の品を仕入れてしまったことが、ずっと引っ掛かっていたのだ。
不満を露わに顰めた顔を向けられた春雷は、ふふ、といつものように柔らかく笑いながら霞琳を宥めに掛かった。
「真相を告げていなかったことは詫びよう、すまなかった。――だが、そなたが気に病むことは何もない。一年前の張萬宝と現在の張萬宝は別の人間だ。」
「……はい?」
謎かけのような言葉を受け、霞琳は首を傾げる。
「そもそも張萬宝という人物は、そなたと同じく張家の出身で、西域の品を中心に取り扱う商人として成功をおさめ、数十年前に都に大きな店を持つに至った。」
「ええ!?我が家から商人が出たなんて、聞いたことがありませんが……。」
「そうだろうな。所詮は自称だ。自らを箔づけし、商品の価値や信頼性を高めるのに、西域と所縁の深い張家を騙り利用しただけだろう。張萬宝という名前も本名かどうか疑わしい。萬の宝――数多くの希少な品を取り扱う商人、という名乗りに過ぎぬのかもしれぬ。」
「はあ、成程……。」
頷きを見せた霞琳を見て取ると、春雷は説明を続ける。その内容は次の通りだ。
張萬宝の名は都やその周辺地域では知らぬ者がないというほどに轟いていたため、彼が亡くなり後を継いだ息子は、商売上“張萬宝”の名をそのまま使用することにした。即ち、“張萬宝”は元は個人の名だったが、この時から店主ないしは商家の通称として代々使用されるようになったのだ。
一年前の“張萬宝”は范淑妃派と結託し、公金詐取に手を染めた悪徳商人であった。しかし徴夏の厳しい取り調べを受けて震えあがった“張萬宝”は、悪事から手を引き、詐取した金銭を全て返上するので命だけは許してほしいと願い出た。
権勢並々ならぬ范淑妃、そして彼女を寵愛する先帝を無用に刺激しないためにも、元より彼の処断をするつもりはなかった徴夏であるが、これ幸いとばかりに“張萬宝”の申出を受け入れる代わりにもう一つ、“当主の地位を血縁以外の人物に譲ること”という条件を突きつけた。
そうして隠居した先代“張萬宝”は命を長らえる代わりに大きな屋敷の奥深くに事実上幽閉されることとなり、徴夏は信頼厚い自邸の使用人を先代“張萬宝”の養子という形で捻じ込み、新たな“張萬宝”として仕立て上げたのだ。この現当主である“張萬宝”は、真っ当な商売をしながら諜報活動を行い、春雷や徴夏に有益な情報を齎してくれているという。
「……つまり、私が取引した“張萬宝”は清廉な商人であり、陛下の味方である、と。」
「その通りだ。」
「絹逸さんは一年前の“張萬宝”と今の “張萬宝”を同一人物だと思っていて、一年前の事件の実行犯の一人であった“張萬宝”にこれ以上公金詐取をさせないようにしているつもりで、結果的には別人でありきちんとした商売をしている“張萬宝”に対して支払うべき金銭を支払わないように公文書を改竄していた……と。」
「恐らくはそういうことだろうな。」
「……あの、それではもしかして陛下や徴夏様は、現在の“張萬宝”への後宮からの支払いが滞っていることをご存知だったということですか?」
「……まあ、知らなくはなかった。」
「諦めろよ、霞琳。あんたは最初から春雷の掌の上で転がされてただけってこった。」
「そんなあ……というか徴夏様も、最初から陛下と組んでたってことですね!?」
「支払いが滞る原因も、支払いを滞らせている相手が張萬宝だけなのかどうかも含め、後宮の出納の状況がどうなっているのか慎重に見極める必要があったのだ。徴夏や私が自ら動けば目立ち過ぎるので行き詰っていたところに、霞琳殿が絹逸の仕業であることに気付き、積極的に動いてくれたお蔭で、こうして解決に向かうことができたのだ。感謝している。」
「……折角お誉めに預かっても素直に喜べません!」
自分だけ蚊帳の外に置かれていたことに臍を曲げた霞琳だったが、春雷の美しい微笑みを前にするとつい丸め込まれてしまいそうになり、強い語調で返しながらぷいと顔を背ける。
「そう機嫌を悪くしないでくれ。詫びと礼を兼ねて、そなたの望みを一つ叶えよう。」
「おい春雷、あんまり甘やかすと調子づくぜ?」
「徴夏様は黙っててください!……陛下、本当に私の望みを叶えてくださいますか?」
「ああ、勿論。」
「では――」
霞琳の望みを耳にした瞬間、春雷と徴夏は固まった。




