化かし化かされ
冊封の儀式は粛々と進んでいた。
皇帝の養女となり公主の地位を得た寧江は、春雷の前に跪き恭しく頭を下げる。
この後は居並ぶ群臣が万歳三唱をして締め括り――のはずが、想定外の事件が起こった。否、まさに本日の主役である少女が、その幼さを盾にして引き起こした、という方が適切であろう。
普段は大人びた聡明さと立ち居振る舞いを見せる寧江が、立ち上がるやあどけない笑顔を見せた。
式典の片隅に控えていた霞琳がそのらしくなさを疑問に思う間もなく、寧江は頭の中身が年齢相応になってしまったかのように、無邪気にとんでもないことを口走ったのだ。
「嬉しいわ!これで陛下を“お父様”って呼べるのね!」
参列者の間にさざめきが起こる。厳かな式典にそぐわぬ寧江のはしゃいだ様子もさることながら、春雷と寧江の不仲――というよりも、春嵐の死後、寧江が春雷を嫌悪しているという噂は周知のものだったからだ。
それがどうだ。世間で囁かれていた内容とは裏腹に、寧江は春雷の娘になって大喜びをしているではないか。
動揺に包まれる会場の雰囲気など意にも介さず、群臣を振り返った寧江は更に爆弾を放り投げる。
「陛下の娘になれただけでも嬉しいのに、もうすぐお姉ちゃんにもなれる。わたし、弟が――皇太子が生まれるのを楽しみにしてるのよ!」
さざめきがどよめきに変わる。
寧江の言葉が差しているのは嬌麗の子のことだろうが、まだ産まれてもいない赤子を男だと決めてかかるほどに弟を渇望しているらしいようだ。しかもその子が皇太子になると確信している言動が、人々の心を一層混乱に陥れている。
子供の戯言と切り捨てるには、寧江の立ち位置は春雷に極めて近い。春雷が嬌麗の子を後継者に据えるという未来図を寧江に語っていたとしてもおかしくはない――そんな憶測を駆り立てるには十分すぎる程の寧江の自信に満ちた態度、そしてそれを窘め制止する気配のない春雷の柔らかな表情が、劉司徒派や治泰派の者たちの焦燥を煽る。
公式行事だとは思えぬくらい困惑の囁きがあちこちから上がる中、寧江が満面の笑みで劉司徒に向き直った。
「ね、おじい様も嬉しいでしょう?おじい様はずっとわたしに“弟が欲しい”と言わせ続けていたものね。」
「……無論、陛下に皇子が誕生するのを嘉せぬ者などおりますまい。」
「やっぱりそうよね?弟が生まれたらたくさんお祝いしてちょうだい、おじい様も。――あ!いけない、間違えちゃった!わたしは今日から陛下の娘だから……あなたはもう赤の他人だったわね、おじい様じゃなく。馴れ馴れしくしちゃってごめんなさい、劉司徒。」
いたいけな表情の寧江が放ったとどめの一言に、一同がしんと静まり返る。
劉司徒が寧江を介して春嵐に娘との間に男児を儲けるよう急かしていたことが暴露された。その程度は皆も想像はしていたろうから然程驚くまいが、幼い少女の口からその事実が発せられると、劉司徒のやり口が余計に汚く感じられてくるから不思議なものだ。
そして極めつけは寧江からの絶縁宣言である。確かに寧江は春雷の養女に迎えられたので、その母親もまた劉司徒の娘ではなく春雷の妻――いずれ立てられるだろう皇后ということになるため、二人が祖父と孫という関係性も消滅する。故に寧江の論理は正当だ。
だがいかに正論であるとはいえ、ここまで堂々と他人宣言をする必要はない。天真爛漫な女の子の仮面をかぶりながら、寧江は劉司徒との関係性が悪いという印象を全員に与えたのだ。
恐らく劉司徒派の面々は、建前上は縁が切れようとも血の繋がりという濃い縁があるからには、公主に格上げされた寧江の存在は劉司徒の強みになると考えていたに違いない。しかしどうやらその思惑は外れたらしいことを痛感しているはずだ。
流石にしたたかな劉司徒は表情を変えることなく、寧江の言葉を丁重に、しかし慇懃無礼に聞き流して泰然としていたが、その腹の中はいかなる感情が渦巻いていたことだろう。
寧江は好き放題に捲し立てて満足したようで、春雷に駆け寄って「早くお母様も欲しいわ」「やっぱり皇太子の母親が皇后になるべきかしら」などと、心中穏やかではないだろう群臣を更に刺激する言葉を次々に繰り出す。
春雷も春雷で肯定はせぬものの否定もせず、優しく微笑んだまま彼女の背に手を添え共に会場を後にしたものだから、残された者たちはある種の恐慌状態に陥っていた。
「幾ら幼くいらっしゃるとはいえ、正式な場であのお振る舞いは奔放に過ぎましょう。縁が切れて、劉司徒様にとってはかえって幸運でしたな。」
「あのご性格では降嫁先も見つかりますまい。先が思いやられることよ。」
「あんな御方を公主にされるとは、陛下も困った御方ですなあ。」
春雷の勢力はまだまだ弱い。故にそんな不敬な言葉を聞えよがしに囀りながら、劉司徒に媚びを売るかのように擦り寄り様子を窺う者が多数。
一方で、劉司徒に対し「ざまあみろ」と潜めた声で留飲を下げ合う治泰派の者も少なからずいるが、彼らもまた栄節を支持している以上、嬌麗に皇子が生まれるのは望ましくないという点では劉司徒派と同類なので覇気に乏しい。
そのように荒んだ人々の心が剥き出しになり醜い空気に包まれた会場を眺め渡すと、寧江の言動に肝を冷やしながら緊張しきっていた霞琳はようやく気を緩めて息を吐き、静かに自室へ向かったのだった。
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儀式を終え、女官長の執務場所の一角にある応接間に揃った面々は賑やかに話に興じていた。話題は勿論、劉司徒に一矢報いた寧江の大活躍で持ち切りだ。
「いやー、最高だったな!やるじゃねえか、寧江。」
「大したことではなくってよ、あれくらい。」
「僕は公主様がいきなり何を仰り出すのかとはらはらしましたよー。陛下とは打ち合わせ済だったんですか?」
「まさか、前もって相談していたら止められてしまうもの。勝手にやったのよ、わたしが。叔父――いえ、お父様なら合わせてくれるだろうと思って。」
「ふ、……“叔父様”のままで構わぬ。但し私的な場に限るが。そなたの“父”はずっと兄上だ。」
「……ありがとう、叔父様。」
満更でもなさそうに徴夏や炎益をあしらいながら菓子を頬張っていた寧江は、春雷の言葉には僅かに双眸を細めて笑みを浮かべた。
春雷は寧江を養女に迎えたとはいえ、彼女から真の父親を奪うつもりなど毛頭ない。公的な場や人前では春雷を“父”と呼んでもらわねばならないが、それ以外では寧江の自由にさせてやりたいと考えていた。娘に甘い親馬鹿だと言われてしまうかもしれないが、寧江ならば状況に応じた振る舞いができるという信頼もあってのことだ。
「寧江様、お菓子はお口に合いますか?」
「ええ、とても。ものすごく甘いけど、それが癖になりそうよ。最高ね、辛いお茶との組み合わせ。」
「それは宜しゅうございました。やっとお約束を果たせて嬉しく存じます。」
寧江が口いっぱいに詰め込んでいるのはジュゲツナルム王国の伝統菓子だ。かつては遊牧民だったジュゲツナルム族は、長い時をかけて各地を移動する間、その日の食料を十分に調達できる保証のない生活を送っていた。そこで食べ物を大量の砂糖で煮詰めたり固めたりと、保存がきいて携行しやすく、なおかつ少量でも多くのエネルギーを摂取できる状態にした菓子が伝えられてきたのである。そのため、菓子は基本的に甘い。甘すぎるといっても過言ではない。
そして甘ったるくなった口の中をすっきりさせるのに適しているのが香茶である。香辛料に慣れていない寧江には辛く感じられるようで、そんな感想も霞琳には新鮮であった。
本来は寧江の亡き母親も同席して開催するはずだったお茶会の日から数ヶ月が経ち、寧江が公主になった祝いを兼ねて、ようやく約束のお茶会が実現した。
ジュゲツナルム王国の茶や菓子が寧江の好みに合うかどうか、霞琳は非常に心配していたのだが、杞憂に終わり安堵している。
春雷、徴夏、炎益の三人も、初めて口にする菓子を甘い甘いと言いながらも興味深そうに食べているので、苦手な味ではないようだ。
ラシシュとルェイホマは久方振りの故郷の味を懐かしそうに噛み締めている。特にルェイホマは涙を滲ませるほどの感動ぶりだ。
皆が楽しそうにしている様子を眺め、苦労してジュゲツナルム王国の品々を調達しお茶会の用意をした甲斐があったと、霞琳は満足していた。
そうして楽しい一時はあっという間に過ぎ、ルェイホマに寧江を送らせ、炎益とラシシュは仕事に戻っていく。
残った春雷、徴夏、霞琳の三人は真面目な顔つきで卓を囲んでいた。
「――それで霞琳殿、私たちに話というのは?」
「はい、祐君さんからやっとお話が聞けまして。」
「お、ついにやったか。泣いてる所につけ込むのが手っ取り早いっつって、頃合いを見計らうために何日も祐君の後をつけ回してたもんな。」
「ちょっ、言い方!人聞きが悪い!」
「でも本当のことだろ?」
「うう……。」
にやにやと愉快そうに口端を持ち上げる徴夏に抗議の声を上げるが、祐君にストーカー紛いのことをしていたのは事実なので霞琳も気まずさがないわけでもなく、突っ込みも歯切れが悪い。
「二人とも、じゃれ合うのも程々に。――祐君は何と?」
「は、はい。実は……絹逸さんが、帳簿や公文書を改竄している可能性があるそうです!」
「…………。」
春雷の促しを受けた霞琳は一瞬言いにくそうにしたものの、覚悟を決めて一気に言葉を紡いだ。
しかし二人は黙り込んだまま。その反応の悪さに拍子抜けして、霞琳はかえって自分が動揺に襲われながら捲し立てる。
「え、ええと、あの……お二人とも、聞いてらっしゃいます?改竄……今は可能性に過ぎませんが、事実だったら大問題です、よね……?」
「……ああ、そうだな。霞琳殿の言う通りだ。」
「……まさか、またかよ。」
「……去年けりがついたと思っていたのだが、な。」
「……そうだな。くそ……っ!」
「え?ええ?どういうことですか?」
二人のやりとりに困惑する霞琳に、徴夏が苛立ちを覗かせた荒い仕草でがしがしと頭を掻く。
「……霞琳、祐君の前任者について何か知ってるか?」
「え?……病気になったとか、宦官と密通して処断されたとか、追放されたとか、いろんな噂を聞きました。その女官が、何か……?」
「公金の詐取をしてたんだよ。帳簿や文書を改竄して、な。」
「ええ!?」
徴夏の話はこうだ。
例の女官は、実際の購入額よりも多い金額を報告したり、本当は購入していない品を帳簿に載せたりしていた。これらの資料に基づいて支払いが行われるため、商人は不当な利益を得ていたことになる。
この不当な利益のうち、一部は手数料とも口止め料ともつかぬ扱いで商人の元に残っていたようだが、大半が流れ着く先は范淑妃派の元であった。つまり、范淑妃およびその派閥を成す貴族たちは、女官や商人を抱き込み組織ぐるみで詐取をしていたのである。
それに気づいた春雷と徴夏であったが、正攻法で告発したところで范淑妃の言いなりになっている先帝により揉み消されてしまうだろうことは明白だった。そのため、主犯格である范淑妃や貴族たちの追及は諦め、実行犯である女官のみを密通という名目で罪に問うことにより、それ以上の被害を食い止め范淑妃派の資金源を断つという手段を採ったのである。
「范淑妃派の方々は、そうやって不当な収入を得ていたのですね……。」
「奴隷上がりで先帝の寵愛以外に頼るもののない范淑妃が味方を得ようとしたら、金をばらまくのが手っ取り早いってことだったんだろうな。質が悪いのは、その金の出所が范淑妃の懐じゃなく国庫だってことだ。」
「そして憂うべきは、その金に釣られる貴族の多さだろう。当時、范淑妃派は劉司徒派に次ぐ第二の勢力だったわけだが、……そのような者たちが国政を左右していたのだ。そして范淑妃が亡くなり派閥は事実上消滅したとはいえ、その貴族たちが朝廷から去ったわけではない。」
「だから私たちは、政治を、そして国政を与る者を一新しなくてはならない――そういうことですね。」
「そういうことだ。……それからもう一つ。とうとうそなたに伝えるべき時が来たようだ。」
「……と、仰いますと?」
霞琳は首を捻った。
いつも穏やかさを湛えている春雷の表情から、今この時ばかりは一切の感情が消えている。
何かを察したらしい徴夏が険しい顔をして勢いよく春雷の方へ向き直ったが、春雷は静かに首を振って彼を制止する。なおも食い下がるように眼差しを厳しくしていた徴夏だったが、やがて承知したというように小さく息を吐いた。
「――范淑妃派は、戎月国の反王政派を支援していた。」
「!?」
「詐取した公金の一部を反王政派に流し、その見返りに貴重な西域の文物を入手する。戎月国の内乱が大きくなればなるほど、西域の品は価値が上がる。それらの品々を例の商人を介して裏取引により売り捌き、范淑妃派は更に暴利を得る。そういう仕組みだったようだ。」
「……では、……范淑妃が、月貴妃様を殺めたのも……?」
「我が国との結びつきが強まることで戎月国内が安定すれば、范淑妃派の利益が激減する。それを好ましく思わなかったから、という可能性はあるだろう。」
「そんなことって……!そんな理由で、姫様は……!」
耐えきれずに声を荒げる霞琳の双眸に激情が燈る。母方の血の影響で色が薄めの瞳は優しげな印象を与える分、珍しく強い情動が宿ると打って変わって並々ならぬ迫力を持つのだが、春雷はそれに怖気づくこともなく真っ直ぐに受け止める。
霞琳に向けられたその冷徹な眼差しは、王皇太后の凄みのあるきつい双眸とは似て非なるもので、賢帝と称された若き日の先帝の面影なのかもしれなかった。それを見て取った徴夏は僅かに顔つきを歪めて視線をふいと逸らすが、それに構わず春雷は情の欠片も覗かせない面持ちで口を開く。
「霞琳殿、静まるのだ。今のそなたなら感情のままに愚挙に出ることはない――そう信頼しているが故に事実を話したのだが、私もまだまだ人を見る目が甘かったか?」
「!……いえ、申し訳ございません。」
「ならばよい。今そなたがすべきことは何か?」
「祐君さんの話を、……絹逸さんが公文書の改竄をしている可能性があるというのが事実かどうか、確認することです。」
「そうだ。もしそれが事実だったとして、前任者の女官と手口が同じか異なるか、それが重要な鍵になる。故にそなたの調査に必要だと判断したからこそ、全てを伝えた。」
「……はい。もし同様であった場合、詐取された公金が元范淑妃派の貴族、もしくは彼らを介して戎月国の反乱勢力に流れている可能性を疑う必要があるということですね。」
「いかにも。因みに、かの女官が改竄していたのは西域の文物購入に関連した部分だけだった。范淑妃派の貴族と結託していた商人が交易品を中心に取り扱っていたことと、国内の品は相場が広く知られているから価格の改竄に不向きだったのだろう。」
「承知しました。……ところで、その商人は今も後宮と取引があるのですか?」
「ある。事を大きくせぬために、一年前は女官の排除にとどまった。だが商人の方が身の危険を察知したようで、取引自体は減っている。」
「左様ですか。……ではその商人の名は?」
春雷に失望されたくないからと気持ちを抑え、理性的な反応に徹しているうち、霞琳は心の中が段々と凪いでくるのを感じた。シャムナラ姫の死後間もない時期に真相を教えてもらえなかったことに一抹の悔しさはあるが、もし聞かされていたら激情に駆られて何をしでかしていたか自分でも分からない。春雷の判断は極めて的確だったのだと素直に受け入れられるようになった今、少しは大人になったといえるのかもしれない。
霞琳のそんな変化に応じてか、春雷も態度も軟化したようだ。冷めきっていた瞳にはいつもの温かさが戻り、投げ掛けられた問いに満足した様子で口許を緩める。
「張萬宝。皇宮のすぐ近くに店を構える豪商だ。」
「張萬宝……って、ええ!?そ、それって今日のお茶会のためにお菓子や香茶を発注した……陛下がご推薦くださった商人ですよね!?」
驚きの声を上げる霞琳を眺めながら、ふふ、と春雷はほんわかと笑う。そんな主を横目に見て、徴夏はやれやれと肩を竦め、態とらしいほど盛大に溜息を漏らしたのだった。




