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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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人の素質

 霞琳、嬌麗、白維の三人は、卓を囲んでお茶をしていた。


(どうしてこうなった……!)


 それぞれ親しい関係ではあるが、この組み合わせで会するなど初めてのことだ。霞琳はなんとなく落ち着かずに心の中で悲鳴を上げるが、どうしようもない。


 ことの発端は、先程霞琳が嬌麗の宮を訪ねたことだった。

 訪問の目的は白維である。先日の春雷や徴夏との会話からヒントを得て、霞琳はまず情報収集をすることにした。そこで情報通もとい噂好きの白維に会いに来たのだったが、二人で立ち話をしているところを嬌麗に即発見され、そのまま彼女の私室に引きずり込まれて今に至る。


 本来ならば、最下級の宮女である白維は同席できるような立場ではない。女官長といえども霞琳とて妃嬪である嬌麗と対等に着座するのは分不相応なのだ。

 しかし気に入った者なら身分を問わず気さくに接するのが嬌麗の美点である。白維とは霞琳を慕う者同士すっかり打ち解けたものであるらしい。白維も白維で全く委縮する様子もなく、寧ろこれが日常だとでもいうかのように遠慮なくお茶や菓子を次々に口に運んで表情を綻ばせている。大した肝っ玉の持ち主である。

 ただ、身分社会である後宮において嬌麗の振る舞いは奔放に過ぎ、また対等に扱う者は飽くまで彼女のお気に入りだけということもあって、単に依怙贔屓をする女だという悪評にも繋がっているのが難しいところだ。


「霞琳様のお尋ねの件ですけどー……祐君さんって、仕事ができる人って言われてました。」

「過去形なんですか?」

「はい、異動前の話です。で、出納担当になってからは全然駄目だってもっぱらの噂ですよ。優秀な女官だっていう評判だから出納部署で受け入れたのに、期待外れだったので出納責任者の女官が怒って『貴女っていったい何ができるの?』ってみんなの前で訊いたらしいです。で、祐君さんの返事が『勉強不足で申し訳ございません。これから学びます。』だったって。」

「うわあ、酷い……。」


 白維は責任者や祐君の真似のつもりか、両の人差し指で目尻を吊り上げながら苛立ったような物言いをしたり、次は垂れ目を形作ってしゅんと項垂れたり、すっかり役にのめり込みながら夢中でおしゃべりに興じている。

 強いて褒めるとしたら、責任者の顔がきつめなところはほんの少し似ていた。しかし祐君の方は全く似ていない。総じて物真似の出来栄えはやや残念感が否めない。

 そんな白維の渾身の演技はさておき、霞琳は顔を曇らせた。責任者の女官がやっていることは単なるパワハラだ。怒りを抑えられないほどに祐君の出来が悪かったのだとしても、人の上に立つ者としてあるまじき行為である。


「祐君さんはどうして異動になったんでしょう?出納部署はだいぶ人手に余裕があるみたいですけど、当時は人手が足りなかったんでしょうか?」

「そうそう、それなんですよ!んもう、聞いてくださいよ~、霞琳様!」


 急に白維の目がきらきらと輝き、話したくて仕方がないというように身を乗り出しながら声を潜める。つられて霞琳も前のめり気味にしながら、耳を彼女に向けた。


「出納部署にそこそこ長くいた女官が、病気療養っていう名目で後宮を出たんです。でもそれは建前で、実際には密かに処断されたらしくて。その理由なんですけど……なななな~んと、宦官と密通してたみたいなんですよ~!正に命がけの恋!それくらい相手を好きになれるなんて素敵!私もそんな恋をしてみたい……!」


 きゃあっと黄色い声を上げて白維が一人で盛り上がる。

 皇帝以外の者と男女関係を持つのは厳禁なので、その女官が罪に問われるのは当然である。だが白維の物言いは罪を犯した女官を非難するというよりも、同情半分、憧憬半分といった感じであった。恋愛とは縁遠い宮女にとって、禁断のラブロマンスは非常に女心を刺激してくるものなのだろう。

 霞琳の方はといえば、白維とは対照的に気持ちが冷めていく心地がした。目的があるとはいえ徴夏が複数の宮女に手を付け、それを春雷が黙認しているのを知っている。宮女の方も徴夏と本気で恋愛をしているわけではないだろう。話題の女官がどうだったかは分からないが、宮女の恋愛事情が白維の言うような直向きな想いに基づいているものばかりでないことを知っているため、どうにも共感できず、茶を口に運んで反応を濁す。


 女官密通事件の信憑性はともかく、出納部署で欠員が出たために祐君が補充要員として異動になったようだ。今でこそ出納部署は人員に余裕があるが、当時は先帝の御代――即ち数多の妃嬪が後宮に溢れ返っていた頃なので、欠員は死活問題だったに違いない。

 況してや経験が長い女官の穴埋めなのだから、誰にでも務まるものではない。故に優秀だと言われていた祐君に白羽の矢が立ったのだろうが、彼女は責任者の期待を裏切るような仕事ぶりだった、ということなのだろう。

 祐君が出納部署で冷遇され、同僚からも陰口を叩かれている理由については把握できた。だがやはり、なぜ勤勉な彼女に仕事ができないというレッテルが貼られてしまったのか、そこは見えないままだ。


「……ふん、くだらないわね。」


 これまで静かにお茶を飲んでいた嬌麗が、鼻で嗤いながら器を置く。

 いつもは自分が話の中心になっていないと気が済まない彼女が珍しく黙っていたと思ったが、やはり面白くない心地になっていたのだろうか。嬌麗の機嫌を損ねると後が大変になることをよくよく理解している霞琳は思わず身を強張らせる。――が。


「優秀だって噂だけ聞いて、勝手に期待していた責任者が愚かなのよ。何ができるのかなんて訊く前に――いえ、その祐君とかいう女官を受け入れる前に、何ができるのか確認して然るべきでしょう?私が祐君だったら、人前で恥をかかせられた時に『そういうお前こそ今更そんなこと言うなんて、その程度の能力で責任者が務まってるの?』ってせせら笑ってやるところだわ。」

「鄧昭儀様……。」

「きゃー、鄧昭儀様格好いい~!素敵~!」

「おほほほ!もっと褒め讃えてもよくってよ!」


 怒りの焔を更に煽りかねない物言いはいかがなものかとは思うものの、嬌麗の言は正論だ。珍しく真っ当な発言をする彼女を前に、霞琳は驚きと感動で言葉を失う。

 白維がまたもや黄色い声を上げるのに気をよくした嬌麗はすっかりいつもの調子に戻って、得意げに扇を口許で揺らしつつ高笑いを漏らしている。

 そんななか、静かに扉が開いて侍女が入って来た。


「失礼いたします。お茶のお代わりをお持ちし――っ、も、申し訳ございません!」


 あと僅かで卓に無事着地すると思われた盆が、侍女の手が滑ったようで、がちゃんと派手な音がして天板に落ちる。衝撃で茶器から少しばかり湯が零れたようだが、盆から飛び散ることもなかったため実害はなく、霞琳も白維も気にならない程度の失態といえる。

 だが、即座に眉を吊り上げて反応を示した者が一人――嬌麗である。


「ちょっとお前、まともにお茶を運ぶことさえできないの!?」

「申し訳ございません!」

「謝れって言ってるんじゃないのよ!お前、侍女を辞めた方がいいんじゃなくて?それとも何かできることでもあるの?」

「も、申し訳ございません!」


 金切り声を上げる嬌麗と涙目で謝罪を繰り返すしかできない侍女を前にして、霞琳と白維は顔を見合わせた。状況は多少違えど、出納責任者の女官と祐君のエピソードが脳裏に蘇る。そして無論、それに対する嬌麗のぴしゃりとした発言も。

 霞琳は溜息を吐いて腰を上げる。いつものように嬌麗を速やかに宥めて場を収め、白維と侍女から尊敬の眼差しを受けながら宮を後にしたのだった。



******************



(……忙しそうだなあ。まあ、当然か。)


 嬌麗の宮を出た足で、霞琳は儀礼担当の執務室にやって来ていた。

 後宮の儀礼を司るこの部署は、春雷の即位以降、立て続けに儀式が行われているせいで常時繁忙期になってしまっている。

 新年を慶賀する儀礼をつい先頃終えたばかりのような気がしているのに、今度は寧江の公主冊封の準備に奔走する宮女たちでごった返していた。


「先例の資料は見つかった?」

「すみません、まだです!」

「先帝は皇子しかいらっしゃらなかったから、公主は何十年ぶりなのかしら。資料も埋もれちゃうわよねえ。」

「寧江様のご装束の準備は?」

「ただいま縫製しております!数日後にはご試着いただけるかと!」


 霞琳は僅かに開けた扉の隙間から、暫く中の様子を窺っていた。時には怒声も飛び交う程の修羅場に飛び込んで「祐君について教えてください」などと空気を読まない用件を口にする勇気など、流石に持ち合わせていない。

 出直すべきかと悩みながら室内に視線を巡らせたその時、霞琳は目を瞠った。


「祐君、これはどうしたらいいの?」

「ああ、それなら――」


 祐君その人がいる。もう出納担当になっているはずだというのに、何故だろうか。

 ぽかんと立ち尽くしている霞琳の目の前で扉が豪快に開き、中から勢いよく出て来た宮女と鉢合わせになった。


「わわわっ、女官長様?こんなところで何をなさって……?」

「ああっ、驚かせてごめんなさい!寧江様の公主冊封の準備が捗っているか確認しようと思いまして。」


 咄嗟に後ずさりして寸でのところで衝突を免れた霞琳は、宮女の至極当然な疑問に対して真っ赤な嘘でさらりと応じる。この程度の機転ならすぐに働くようになってきた。手放しでは喜べない成長である。


「ああ、左様でございましたか。でしたらどうぞ中へお入りください。」

「ありがとうございます。ではお邪魔しますね。」


 促しに応じて中に入ると、扉付近にいた宮女たちは霞琳の登場に気付いて一斉に仕事の手を止める。霞琳が改まる宮女たちを片手で制し、自分のことは気にせず作業を続けるようにと仕草や微笑みで示してやれば、皆は恐縮した様子で頭を下げた後、また慌ただしく動き始めた。

 霞琳は視線をちらりと祐君に向ける。騒ぎにならなかったお蔭で、幸い彼女はまだ霞琳の来訪に気付いていないようだ。


「急がしいところごめんなさい、あの方もこちらの所属でしたっけ?」


 霞琳は近くにいた比較的余裕がありそうな宮女を捉まえ、素知らぬ顔で祐君を示しながら問いかけてみる。

 宮女は、ああ、と声を漏らして首を振った。


「祐君ですか。今は出納担当なんですが、以前はこちらの所属だったので手伝ってもらっているんです。先例にも詳しいし、準備を取り仕切るのもお手の物ですから。」

「まあ、優秀な方なんですね。それなのにどうして異動になったんでしょう?」

「出納担当だった女官が追放処分になったので、急遽その欠員補充に回されたんです。前任者不在で引継すら受けられない状態で仕事をさせるわけですから、少しでも出納の知識があって頭がいい人を後任にしたかったんでしょうね。仰せの通り祐君は優秀で、ここの支出管理をしていたので出納業務にも慣れていましたし、その関係で出納部署の人とも仲良くしていたので、適任だと思われたんじゃないでしょうか。……あと、不器用なんですよね、手先が。壊滅的に。」


 追放処分になったという女官は、白維が話していたところの密通して処断された女官のことだろう。どうやら噂には様々なバリエーションがあるらしい。

 それはさておき、祐君が儀礼担当の出納管理を行っていたこと、出納部署に親しい人物がいたことは重要ポイントだ。もっと突っ込んで訊いてみたいと思ったが、突如脈絡のない言葉を漏らして遠い目をする宮女を怪訝に感じて彼女の手元に視線を落とすと、儀式で使用する衣装になるのだろう煌びやかな布地、糸や針、鋏といった諸々が並んでいた。

 成程、儀式の準備という言葉が差す範囲は広い。会場設営や進行の段取り、列席者の選定およびその応対のほか、古くから受け継がれている由緒ある道具の管理や修繕、その都度新調する衣装の用意も含まれる。不器用であるという事実は、道具や衣装の用意において戦力外であるも同然のため、極めてマイナス要素といえよう。


「確かに、忙しい時は全員が作業要員になれたら助かりますよ。でも仕事の全容を把握していて的確に指示出しができる人って、凄く貴重なんですよね。そういうのって、勿論努力や経験も重要ですけど、素質が一番物を言うと思うんです。祐君には『この人に従えば大丈夫』って皆に思わせるものがあるんですよね。」

「そうだったんですか……最近はこちらの部署が忙しいから、結果論ではありますが祐君さんの異動は失敗だったのかもしれませんね。」

「女官長様にこんなことを申し上げるのは畏れ多いですが、それが本心でいらっしゃるなら、祐君をこちらに戻してもらえませんか?今の出納部署は余裕があると聞いてます。それに祐君が無能な女官だって噂まで流れていて……私、悔しくて腹が立って仕方がないです。異動後に祐君が物陰で泣いているところを見たのも、一度や二度ではないですし。ここに帰って来た方が、きっと祐君も幸せです!」


 宮女は真っ直ぐに霞琳を見つめて来たかと思えば、気の強そうなその大きな瞳にはみるみるうちに涙が溢れた。強い憤りを抑えるように両の手はぐっと拳に握られている。いかに祐君を頼りにして慕っているか、その様子から明らかであった。

 霞琳としても、出納部署で祐君が泣くほど辛い状況にあるというのは初耳だったが、あの同僚に囲まれていたのではさもありなんと納得した。そして、どうにかしなくてはならないと思う。

 だが、祐君を儀礼担当に異動させれば解決するのだろうか。

 それとも本人の希望通り、早急に後宮を去らせてやった方がいいのだろうか。

 答えが直ぐには出て来ない。


 霞琳は祐君に視線を移す。

 祐君は宮女たちから代わる代わる声を掛けられ、多忙を極めながらも眩い笑顔を絶やすことなくきびきびと対応している。それはどこからどう見ても、やりがいを感じながら仕事に臨む、模範的な女官の姿だった。


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