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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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二人の女官

 韓絹逸。

 下級貴族であり、代々官吏を輩出している韓氏の出身。父親は最下級官吏として出仕し、様々な部署を転々としていた。というのも仕官して早々に大きなヘマをやらかし、彼に重要な仕事を任せるのは不安だということから、人手不足の部署で盥回しにされる穴埋め要員扱いになってしまったものであるらしい。その後も不遇ながら官吏としての長い人生を全うし、高齢のため数年前に他界していた。

 そんなぱっとしない父親は娘の嫁入り先探しでも失敗したようだ。絹逸は一度同程度の家格の男性に嫁いだものの、相手は酒も女も博打も大好物というだらしなさに加えてうだつの上がらない男であった。彼は官吏にもなれず、他に仕事を探すわけでもない怠け者で、すぐに生活苦に陥ったため早々に離縁している。結婚というものに嫌気が差したらしい絹逸は再婚せず女官になり、それからずっと出納を担当している。父親に似たのか特筆すべき才能や特技の類はないのだが、真面目に仕事に励んでいた成果か、今や彼女なしに出納業務が回らない状況なのは、霞琳が見聞きした通りだ。


 杜祐君。

 下級貴族であり、学問に秀でた者を多く輩出している杜氏の出身。例に漏れず学者気質だった父親は、礼部の下級官吏として祭祀などの儀礼を担当していたが、祐君が成人する前に死亡している。寡婦となった母親は再婚して、もう縁が切れているそうだ。

 父親の薫陶を受けた祐君は学術面に優れ、女性は勿論のこと男性貴族であっても教養の一環というには難解すぎて目を通すことのないような歴史書や古典籍にも通じている。

 世辞にも良家とはいえない生まれにして早くに父を亡くしたこともあり、更には男顔負けの才を持つ祐君を妻にと望む者はなかったようで、適齢期を過ぎても独身でいたところに女官の誘いがあって後宮に入ったという。最初の配属は儀礼担当の部署。正に適材適所であったといえるが、一年ほど前に出納担当に異動している。


「……なんだか釈然としないなあ。祐君さんの方が優秀そうに見えるのに、絹逸さんの方が上官からも後輩からも絶賛されているなんて。」

「経験値の差ではありませんか?それにどんなに賢い方であっても、実務もそつなくこなせるかどうかはまた別問題ですし。」

「確かにそれはそうなんですけど、祐君さんが仕事ができないとは思えないんです。後宮を出た後は仕事先を斡旋してほしいという希望を出していますから、働くこと自体が嫌というわけではないんでしょうし。」


 女官の履歴をまとめた資料に目を落としながら溜息を漏らす霞琳に、ラシシュが常温の水を差し出す。霞琳はそれを受け取り、一息に飲みほした。


 二人がいるのは、シャムナラ姫の宮だった場所だ。

 例の如く徴夏に剣術の相手をしてもらったばかりの霞琳は、体を動かし頭がすっきりしたところで、炎益からの依頼の攻略方法を考えようとしていた。

 冬だというのに大量の汗を掻いたせいで、丁度よい温度の潤いが喉を通り抜けていく感覚が心地よい。額の雫を手の甲で拭いつつ、霞琳は先日のことを思い返していた。


 絹逸以外はさっさと退勤してしまったというのに、祐君は自主的に倉庫から資料を引っ張り出して勉強するつもりだった。彼女はもともと頭が良いのだろうが、それに驕ることのない努力の人なのだろう。そして質問に対する解説は理路整然としていて、出納業務の知識がほぼゼロの霞琳にも理解できる易しい内容だった。

 一方の絹逸には教えを乞うても応じてもらえなかったので、彼女の能力の程は垣間見ることすらできていない。そのため二人を比較することはできない。

 ただ、二人が共にいながら一言も口を利かずに残っていたことが引っ掛かっていた。祐君は自主学習の不明点を絹逸に尋ねることもなかったし、絹逸の手伝いを申し出ることもなかった。絹逸も仕事の一部を祐君に割り振ることはなかったし、祐君が自信なさげに説明していても指導に入る様子もなかった。

 絹逸は優しく面倒見がいいという評判の割に、祐君への態度は冷たい――というよりも完全無視という表現が適切であるように感じられたのは気のせいだろうか。


「祐君さんが後宮を去ることにした理由が人間関係にあるのなら、とても惜しいと思うんですよね。身寄りも帰る家もないらしいから、後宮を出ても住み込みで働く場所が変わるだけで、寧ろ待遇は落ちるでしょうし……。」

「え、祐君って後宮を出るつもりなのか?」


 稽古後、汗を拭うために井戸に行っていた徴夏が戻って来た。因みに霞琳との立ち合いは今日も彼が全勝。しかも手を程々に手を抜いたうえで、である。

 徴夏に付き添っていた春雷も彼の後ろから顔を覗かせているが、彼は祐君のことを知らないようで双眸を瞬かせている。


「徴夏様、祐君さんをご存知で?」

「まあな。俺、あいつのこと結構いいと思ってたし。」

「ま、まさか手を出そうと……?」

「してねえっつの!――そういう対象じゃなく、いい女官になりそうだって思ってたんだよ。頭が良くて仕事もできる、周りの連中にも信頼されてるとくりゃ、自然と目が行くようになるだろ。」

「……それ、祐君さんのことですか?絹逸さんではなく?」

「絹逸?……ああ、あの馬鹿みたいな婆か。」

「ちょっ、言い方が酷い!」


 徴夏を咎めながら、霞琳は軽い混乱に陥っていた。祐君と絹逸に対する徴夏の評価は、出納部署の人々から聞いたものと正反対だったからである。

 彼は一体いつ、どんな時の祐君を見ていたのだろうか。


 実はあの後もう一度、霞琳は出納部署を訪ねていた。

 定刻を過ぎてから執務室を覗き込むと、やはり絹逸と祐君だけがいた。やはり二人が陣取っている場所は微妙な感じに離れており、室内はしんと静まり返っている。

 霞琳は意を決してそこに踏み込んで静寂を破り、出納の書類で分からないことがあるので教えてほしいと声を掛けた。どちらにというわけではなく、二人に対して。

 先に顔を上げて反応を見せたのは祐君だったが、返事を濁して絹逸にちらりと視線を向けて様子を窺う。絹逸はといえば、霞琳の声が聞こえていないかのように仕事を続けていた。媚びを売ってくる宮女はいけ好かないが、だからといってここまで露骨に上官を無視する者も珍しいので戸惑いを覚える。

 祐君はそんな絹逸にはらはらしているようで、同時に自分が質問に対応していいのかどうか判断がつきかねているようだった。

 祐君を困らせるのは本意ではないので、霞琳は敢えて絹逸に近寄ってみたのである。


「絹逸さん、お忙しいところごめんなさい。この書類の書き方を教えていただけませんか?」

「お預かりしますよ。」

「……え?」

「女官長様のため、私が代わりに書いて差し上げますから大丈夫です。」

「いえ、残ってまで仕事をするくらいお忙しいのでしょう?そんなことはいけません。」

「大丈夫です。」

「でも、私は今後のためにも理解しておきたいのです。」

「今後も私が書いて差し上げますから大丈夫です。女官長様はご自身のお仕事に専念なさってください。」


 といった調子で、やはり初対面の時のように会話が成立しない。学びたいという霞琳の希望が黙殺された挙句、“霞琳のため”“書いてあげる”という恩着せがましい言い方にも違和感を覚える。絹逸は「あなたのために私がやってあげます」しか言えない機械のなのではなかろうかと疑いたくなるほどだ。

 助けを求めるように、霞琳は祐君を振り返った。が、彼女は机に伏すような姿勢で顔を逸らして資料を読み耽っていた。祐君としても、絹逸と霞琳の間に入ったところでどうしようもないのだろう。

 霞琳はまたしても白旗を上げざるを得ず、絹逸に書類を渡してすごすごと退散するしかなかったのだ。


「――そりゃあ、忙しいから教えるより自分でやった方が速くて楽だってことじゃねえ?」


 これまでのエピソードを全て話してみたところ、徴夏の反応は明快であった。

 確かにそれは一理ある。霞琳も以前、薬草の世話を手伝うといって炎益に叱責されたものだ。だが、宮女の仕事は薬草の世話と異なる。絹逸しかできない、絹逸だけがやれる、という状況は望ましくない。


「……ま、でも俺としてはやっぱり絹逸は馬鹿だとしか思わねえけどな。」

「また酷い!」

「だって事実だから仕方ねえだろ。自分の仕事が終わって余裕があるから他の奴を手伝ってるってんなら良い。でも絹逸の場合はそうじゃねえ。他人の仕事も抱えるだけ抱え込んで、自分の仕事と他人の仕事の境目が曖昧になって、一人だけ時間内に終わらなくなってんだろ?」

「そ、そうかもしれませんけど……。」

「ほらみろ、自分の能力で処理できる仕事量の見極めもできねえ馬鹿じゃねえか。そんでもって絹逸しか分からないことばっかりになってるなんて、そいつがいなくなったら出納部署は壊滅するのが目に見えてるな。その状況を許容してる上官も馬鹿なんじゃねえの?」

「……それは、まあ……否定できないというか……。」

「もし俺に絹逸みたいな部下がいたら、容赦なく張り倒してやるぜ。人のためを装って自分のために動いてんじゃねえ、って。」

「……自分のため?」

「そうだよ、恐らく絹逸は周囲からの評価や自分の仕事のしやすさを優先してるだけだ。自分に何かあったら職場自体が回らなくなるような真似が“皆のため”になんかなるわけねえ。本当に他人や職場のことを思うなら、仕事ってのは抱え込まずに共有するもんだろ。少なくとも俺はそう思う。」

「……はい。私もそう思います。」


 霞琳はぐうの音も出ない。というより、基本的に霞琳と徴夏の考え方は同じだ。なのに何故説教を受けている気持ちになるのかはさておき、“人のために見せかけた自分のため”という徴夏の言葉がすとんと腹に落ちて来た。これこそが、霞琳が絹逸に対して覚えていた違和感の正体だったのだ。

 絹逸が本当に人のためを思っていたとしても、仕事を抱え込むことによって知識や経験を独占するという意味で自身の利をも同時に得ているともいえる。それは突き詰めると、絹逸は出納部署になくてはならない存在として自身の価値を過剰に高めることに成功しており、上官すら彼女に訊かないと仕事が回らないという有様は全ての業務を彼女の思い通りに動かせるという事態に通じる。

 それは果たして皆のためだろうか。絹逸自身のためではないだろうか。

 もしそうであれば、自主的に勉強している祐君に素っ気無いのも、霞琳に頑なに仕事を教えようとしないのも頷ける。絹逸にとって、出納業務を理解する者の出現は、即ち自身の価値を落としかねない脅威だからだ。


「なら猶更、絹逸さんをどうにかしなくちゃ。でもどうすれば……」

「現状、絹逸本人を理屈で説き伏せるのは難しかろう。祐君の方から攻略して、絹逸が折れざるを得なくなるような材料を探してはどうだ?面倒見のいい人間であろうとしている絹逸が祐君のことは突き放しているのだから、二人の間に亀裂が入った原因があるはずだ。それが突破口になるかもしれぬ。」


 ずっと黙って話を聞いていた春雷が口を開く。彼の言は尤もだが、祐君とて霞琳を遠巻きにしている傾向があるので、果たして心を開いてくれるものかどうか。


「……私にそんな重要なことを話してくれるでしょうか。祐君さん、口数も少ない方ですし。」

「いや、そんなことねえと思うぞ。出納担当になってからのことは知らねえけど、儀礼担当だった時は一緒に仕事してる連中とよく喋ってたはずだ。明るく笑って、冗談なんかも言ってたぜ。」

「ええ!?私の知る祐君さんとは別人みたいです。」

「ふむ、……つまり霞琳殿は、まず祐君について知ることから始める必要がありそうだな。」

「……はい!お二人とも、どうもありがとうございます。自分のやることが見えてきました。」


 三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものだ。

 霞琳は自分が知る今の絹逸と祐君のことばかりを考えていた。しかし徴夏のお蔭で過去の祐君に関する情報を手に入れ、春雷の助言により解決への糸口を見つけることができた。

 励ますように柔らかく笑みを浮かべる二人に深々と一礼した霞琳の表情は、意欲に満ちた明るいものに変わっていたのだった。


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