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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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性別の狭間

 シャムナラ姫の宮の庭先。

 肌を掠める微風はまだ冷たくぴりりとした感触を齎すが、仄かな暖かみを纏う陽光がきらきらと柔らかく差し込んでいる。そんな太陽の恵みを全身で受け止めるように、長閑な日向ぼっこを楽しむ人影が三つ。

 その中の一つ――霞琳が極めて深刻そうな面持ちを浮かべながら口を開いた。


「……私、太ってきた気がするんです。」

「へー、そーですか。――あ。やべ、折れちゃった。」

「ちょっと炎益様、ちゃんと聞いてます?私の扱いが雑すぎません?」

「大丈夫ですよ、ふくよかな霞琳様もお可愛らしいと思います!」

「有難う、ラシシュ。……でも違いますからね、私はまだふくよかって程にはなってないですからね。そうなるのを阻止したいっていう話をしたいんです!」


 適当な相槌を打ちつつ摘み取ろうとした薬草の茎が折れてしまったことの方が霞琳の話よりも遥かに大事だと言わんばかりの態度で背を向ける炎益。

 両手をぐっと握り締めながら真顔で的外れな励ましを力説するラシシュ。

 そしてそんな二人に不満をぶつけたり突っ込んだりと霞琳は忙しなく口を動かしている。


 霞琳にとって、少し前までは春雷と二人で過ごす秘密の場所だったこの宮は、幽霊騒動の一件以来、いつものメンバーの溜まり場と化していた。

 三人が座り込んでいる場所から少し離れた所では徴夏が剣術の稽古をしており、それに喝や茶々を入れて楽しむ寧江と、そんな彼女を微笑ましげに見守る春雷がいる。

 春雷とまったり過ごしていた時間が懐かしく思い出されることもあるが、シャムナラ姫は賑やかな方が喜びそうな気がするので、これはこれで良いのかもしれないと気を取り直す。


「――まあ、真面目な話をすると……体質が変わったからじゃないですかね。」

「体質?」


 中途半端な長さで折れてしまった薬草を口に咥え、振り返った炎益が声を潜める。

 やっとまともに取り合ってくれるようなので、霞琳も表情を改めて身を乗り出した。


「宦官を思い浮かべてください。髭も生えないし、でぶでぶしてる体型の人が多いでしょう?恐らくは、()()がちょん切られたことによって身体の男性的特徴が弱まる、ないしは女性的特徴が現れてくるのかな、と。……まあ、僕の個人的な見解なんですけどね。」

「成程……。」


 霞琳は納得する。確かに女性は髭が生えない。体型も男性より丸みがあって柔らかく、太りやすいと聞く。

 劉司徒のようにふくよかを通り越した体型の男性もいるにはいるが、あれは体質云々というよりも金に飽かして豪勢な食生活をしているためだろうから、例外として頭の中から追い出すことにする。


「……ということは、私が太るのは仕方がないから諦めろってことですか?」

「太るって断言まではしませんけど、太りやすくなることは受け入れるしかないんじゃないですかね。」


 厳しい現実を突きつけられ、霞琳は顔を顰める。理屈は理解したが、得心しかねることがあるのだ。


「でも炎益様は全然太ってませんよね。寧ろ痩せ気味だと思うのですが。」

「そりゃあ僕は運動量が凄まじいですからね。朝に陛下に扱き使われて、昼に陛下に扱き使われて、夕に陛下に扱き使われて、夜に陛下に扱き使われて、他にも宦官や女官たちからあれこれ言われるのに対応して、霞琳様のところにも顔を出して、その合間に後宮内を走り回って薬草の世話したり採集したり干したり粉に引いたり、寝る暇もなくて――」

「そ、それはお疲れ様です!体を壊さないようにしてくださいね!」


 炎益は満面の笑みで不敬な不平を淀みなく吐き出す。放っておけばいつまでも続きそうなので、霞琳は強引に労わりの言葉を捻じ込んで話を遮った。

 人を馬車馬の如く扱き使う春雷の姿などとても想像ができないが、大袈裟だろうと突っ込むのを躊躇う程度には炎益の目が笑っていなかったので、敢えて言及しないことにする。触らぬ神に祟りはないはずだ。

 そうしてお茶を濁す一方で、炎益の負担を軽くすることができ、更には霞琳の悩みも解決しうる案を思い付いて、ぽんと手を合わせる。


「炎益様、良いことを思い付きました!私、や――」

「はい、却下ー!」

「ちょっ、みなまで聞いてくださいよ!それから判断してください!」


 嬉々として話し始めた途端に腰を折られ、霞琳はぽかぽかと炎益を叩きながら不服申し立てを行う。

 本気ではないため然程痛くもないとはいえ、振り落とされる拳の煩わしさに閉口した様子で、炎益は霞琳の手を払い除けながら肩を竦めた。


「仕方ないなー……じゃあ聞くだけ聞いてあげますよ。はい、どーぞ。」

「有難うございます!では改めて――私が薬草のお世話のお手伝いをします!」

「はい、却下ー!」

「なんで!?」


 ふんすと鼻息荒く意気揚々述べた提案が再度即座に切り捨てられ、霞琳は涙混じりの声を上げる。

 そんな霞琳の態度にも何ら心揺らされることなく、炎益はいつも通り淡々と説明を始めた。


「余りにも予想通りの全然良くない案だったから、みなまで聞こうが聞くまいが答えは変わらなかっただけですよ。諦めてください。」

「どうして駄目なんですか?私は後宮を走り回って運動がてら瘦せられて、炎益様は楽になって、お互いに利点しかないじゃないですか!」


 抗議を続ける霞琳に呆れ果てたようなジト目を向け、炎益は態とらしい溜息を吐く。


「それのどこが僕が楽になる案だっていうんですか?そもそも霞琳様、薬草についてど素人とでしょ?」

「……う。」

「てことは、まず最初に薬草について僕が色々教え込まないといけないですよね?」

「うう。」

「だったら僕の負担は寧ろ増えると思いませんか?一緒に後宮を走り回らないといけないし、世話の仕方を教えながら作業をしたら今より時間が掛かりますよね?」

「ううう。……でもでも、それは一時的ですよ!私が理解して独り立ちしたら、その先は炎益様の負担が減りますよね?私も運動できて太らない!一石二鳥!」


 霞琳は負けじと持論を展開する。炎益の理屈も分かるが、それは謂わば刃を研ぐ余裕がないと言いながら刃毀れした斧で木を伐り続けようとする木こりだ。炎益が時間を効率よく使えるようにするためには、薬草の知識を他人に伝授すれば良い――霞琳は本気でそう考えていた。

 炎益は話を聞き終わると、その表情を小さな笑みに変えた。それを自分の気持ちが届いた証だと感じた霞琳が顔を明るくするより早く、炎益の笑みはどんどん満面に広がり深まっていく――が、目だけはちっとも笑っていないまま。これは先程春雷への愚痴を溢していた時と同じか、もしくはもっと酷いかもしれない。

 霞琳は声にならない悲鳴をひっと上げて喉奥を震わせ、ぎこちなく頬を強張らせた。


「……霞琳様、薬草のこと舐めてません?僕だってここまで出来るようになるのに何年かけてきたと思ってるんですか?本気で勉強するってんなら兎も角、痩せることが主目的で薬草は単なるおまけでしょ?そんな気持ちで学んでたら独り立ちできるのは一体いつでしょうかね?一時的って、一体何年間を想定してます?それに――」

「あああああ!ごめんなさい、本当ごめんなさい!!仰る通りです、返す言葉もございません……!」


 またしてもいつまでも止まりそうになり炎益の言葉を遮るよう、霞琳は絶叫に近い謝罪を口にしながら平身低頭する。

 そして自分の認識が甘かったことを悔いた。炎益の言う通りである。人の命すら左右する薬草の扱いは専門性が高い。宮女の仕事のように引継ぎや教育を確りすれば短期間で習得できるというレベルの内容ではない。

 高度な専門知識をまるですぐ身に着けられるもののように軽んじているかのような物言いをしてしまったことは、きっと炎益のプライドも傷つけたことだろう。女官長としての仕事ぶりを春雷に認められることが続くうち、霞琳は無意識の内に調子づいてしまっていたのかもしれない。己の浅慮と慢心が恥ずかしく恨めしい。

 霞琳の猛省が伝わったようで、炎益はぷはっといつものような屈託のない笑い声を漏らし、今度こそ本当の笑顔を浮かべた。


「あははっ!理解してもらえれば良いんですよ。それに僕、もう優秀な助手がいますんで。人では十分なんです。」

「え?」

「ねー、藍朱さん?」

「はい!」

「えええ!?ラシシュ、いつの間に!?」


 嬉しそうに相槌を打って微笑むラシシュを振り返り、霞琳は目を丸くする。霞琳の知らぬ間にラシシュは炎益に弟子入りしていたらしい。

 詳しく聞いてみれば、霞琳が先帝の手にかかりこの体になって意識を失っていた間、炎益がラシシュに手当てや介抱の仕方を教えたことが発端だという。炎益も仕事があるので霞琳に付きっ切りにはなれない。しかし最初のうちは止血の徹底や薬の塗布、苦悶が酷い時は痛み止めを飲ませるなど、経過観察やこまめな対処が必要だったため、ラシシュの手を借りざるを得なかったのだという。結果的にラシシュの筋が良かった上に本人も意欲的だったので、あれこれ教えているうちに自然とそういう関係が構築されたようだ。


「全然知らなかった……。ラシシュは元々薬や医学に関心があったんですか?」

「そういうわけではありませんでしたが、霞琳様のお世話をするのに必要でしたので一生懸命勉強しました。教わっているうちに面白くなって来ましたし、知識を身に付けておけば霞琳様がまた同じような状況になられた時もお役に立てると思ったのです。」

「うん、有難う、ラシシュ。気持ちは凄く嬉しいです。……だけど、ちょっと待ってね、同じ状況になることはもうないですからね。一本しかなかったものがちょん切られて、もうないものは二度と切られることもないですからね……!」


 自分で口にしたことで惨めさに襲われる、何とも悲しい状況である。

 ラシシュは最初こそ双眸を瞬かせていたが、「あっ」と小さく声を上げるや一気に赤らめた顔をぶんぶんと勢いよく左右に振り始める。


「霞琳様、破廉恥です!」

「何で今更!?」

「霞琳様、藍朱さんの前でそういう発言どうかと思いまーす。」

「言い出しっぺは炎益様でしたよね?」


 炎益とラシシュの間で責め立てられる格好になった霞琳は困惑を隠せないまま、強引に場を仕切り直す意味合いを込めて大仰な咳払いをする。


「と、兎に角ですね!私は身体を動かしたいんです!」

「――何だ、霞琳殿は運動をしたかったのか」

「へあ?!」


 突如背後から降って来た涼やかな声を受け、素っ頓狂な声を上げる。反射的に振り向くと、そこにはいつの間にか近寄って来ていたらしい春雷がに微笑みを携えて佇んでいた。

 そして彼は霞琳に話し掛けがてら顔を寄せ、小さく囁きかけてくる。


「……すまぬが割り込ませてもらった。段々と声が大きくなってきていて、徴夏や寧江に聞こえかねなかったからな。」

「も、申し訳ございません!……あの、お二人はお気づきですか?」

「いや、今のところは稽古に集中していたから大丈夫だろう。……まあ二人も事実を知ったとて言い触らすような性格ではないが、念のため、な。」

「……はい。」


 炎益とラシシュという気安い二人とつい盛り上がり過ぎて、霞琳は真実を知らない徴夏と寧江のことを失念してしまっていた。己の迂闊さに落ち込み、霞琳は肩を落とす。

 春雷はそんな霞琳を励ますように、ぽんと頭を撫でた。


「ところで身体を動かしたいのだったな。徴夏に相手をしてもらってはどうだ?」

「徴夏様に、ということは……まさか剣の稽古ですか?」


 霞琳は春雷の意図が掴めず、困惑に眉を下げる。

 剣舞などの見世物でもない限り、この国で女が武器を手にすることなど普通はない。況してや貴族の令嬢なら猶更だ。

 女として生きており、今後も元男だと露見せぬように振る舞うべき霞琳が剣術を嗜むわけにはいかないだろうに、春雷は一体何を考えているのか。笑顔の内側に潜んでいるであろう真意が見えない。


 春雷を追って来たのか、剣を収めた徴夏と寧江も霞琳の傍へと寄って来ていた。春雷の提案が聞こえていたようで、徴夏は露骨に訝し気に眼を眇め、寧江はきらきらと大きな瞳を輝かせている。


「はあ?何言ってんだよ、春雷。そいつに俺の相手が務まるとでも?」

「いいわ、それ。わたしも見たい。――徴夏は知っていて?霞琳は強いのよ。特に上手なの、避けるのが。」

「あの、寧江様。それ強いって言いますか?」

「実はな、徴夏。霞琳殿は張家にいた時分、護身用にと武芸を仕込まれていたのだ。」

「へ、陛下!?何を仰って……」

「へー、張家ならではの教育方針ってことか。女を相手にするのはちょっと抵抗があるが、……まあ良いぜ。避けるのが得意だってんなら、精々怪我はしねえようにな。」

「え、ええ?徴夏様、本気ですか……?」


 理由はさっぱり分からないが、どうやら春雷は霞琳に剣術を嗜ませたいらしい。話の流れで徴夏と立ち合いをすることになってしまっている。

 霞琳は女らしからぬ行為を回避しようと試みようとしたが、寧江の目の煌めきは増す一方だし、春雷は一層にこにこしているし、ラシシュも黙ってはいるが興味津々な空気を醸し出しているし、炎益は「打撲や傷に効く薬なら持ってるんで存分にどーぞ」と霞琳の怪我に対する備えは万全といった態度で、稽古を辞退するという選択肢が事実上消滅させられている。

 

(女性の振りをしているのに良いのかな……女性らしくさっさと負ければ良いのかな。)


 霞琳が悶々と悩んでいる傍らで、春雷が徴夏に「相当な腕前らしいぞ」と囁き掛け、徴夏も「なら手は抜けねえな」などと真顔で答えている。これはあれだ、下手に加減をしたら寧ろぼこぼこにされるやつだ。そうに違いない。やばい。


 ほらよ、と徴夏が放り投げて来た剣を両手で受け止める。鞘から抜くと、稽古用に刃を潰された刀身が現れた。

 陽光をきらりと反射する剣を目にして、霞琳の鼓動がどくりと昂る。張家の落ち零れと陰口を叩かれるほどに何事も出来が良くはなかったが、一番成績が良かったのは武芸だった。といっても飽くまで自分の中で一番出来たというだけで、腕前は十人並みだろう。ただ、実戦経験がある。苦い後悔に満ちた思い出ではあるが、命を懸けた場で稽古以上の動きが出来たという事実が少しだけ自信をくれたのは事実だ。

 胸の高鳴りは、稽古をしたいという本音。霞琳は戸惑いが拭えない眼差しをちらりと春雷に向ける。彼は穏やかな表情で静かに頷いた。彼が良いと言うのだから、遠慮しなくても良いのだろう。


 霞琳は十分な間合いを取り、徴夏に向かい剣を構える。女物の衣装で些か動きにくいが止むを得ない。


「――参ります!」

「おう、本気で来いよ!」


 金属音が鈍く響く。

 刃がぶつかっては離れ、またぶつかり合ってと軽快にリズムを刻む。

 

 徴夏は力が強く、一振りが重い。

 まともに受け止めたら一撃で潰されかねないので、霞琳はそれを受け流しながら横に、或いは後ろにと体を滑らせる。

 体の動きに合わせてひらりと空を舞う袖が良い目眩ましになるようで、徴夏の攻撃が和らぐ隙を見つけて一気に距離を詰める。

 

 そうして再び大きな金属音が鳴る。

 しかし力では敵わないため、剣を弾かれぬうちに直ぐに退く。そして後退させた足で強く地を蹴り、もう一度突っ込む。

 躱されればすぐさま身を反転させて背後を取らせず、強烈な一撃を向けられれば軽やかに躱す。


「流石だな、なかなかやるじゃねえか!」

「お誉めに預かり光栄です!」

「つーか護身用って割には結構攻撃的じゃねえ?それとも普段控え目な分、ここぞとばかりに鬱憤発散ししてんのか?俺に対して。」

「そ、そんなことないですよ!」


 霞琳は手合わせの合間に軽口を叩きながら、汗を散らし活き活きとした表情を浮かべる。

 やはり体力や体格の差が物を言うようで最終的には徴夏に剣を弾かれてしまっても、繰り返し再戦を挑んでいく。一度も勝てずにいたが、勝敗など気にしていないようで、ただただ稽古を楽しんでいるようだ。


 寧江、ラシシュ、炎益は力戦を見物しながら、応援の声を上げたり野次を飛ばしたりと盛り上がっている。

 そんな賑やかな三人の傍らに静かに佇む春雷は、活気に溢れる霞琳の姿を満足そうに見つめていたのだった。

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