幽明境(前編)
※暴力・流血あり。切断表現ありますのでご注意ください。
――霞琳は夢を見ていた。初陣の時の夢だ。
それは非常に現実味があり、まるで5年前のあの瞬間をやり直しているかのような臨場感に溢れていた。
霞琳――いや、慶琳は兄に並び、軍議の場に着いていた。正蓋は息子たちの教育を兼ね、さまざまに意見を述べさせたかったようだ。
「反王政派の反乱軍は遊撃部隊が多く、神出鬼没な戦い方をしている。どう戦えばよいと思うか?」
「まずは適当に遊撃隊の相手をしつつ、偵察隊を用いて本隊を探り当てるべきと存じます。本隊を叩けば、自然と遊撃隊の連携も失われるでしょう。」
正蓋の問いに、褒琳は淀みなく意見を述べた。これはいつも張家が採用している方針である。
「うむ。では慶琳はどう思う?」
「そうですね、……敵の遊撃部隊は、これまでどのような場所を狙って攻撃してきているのでしょうか?」
「主に王国軍の小規模な軍事拠点、国王派に属する貴族の邸宅や領地、都やその近辺の集落が多い傾向だな。王国軍・張家軍との戦闘は極力回避し、軍事力を持たない貴族の殺害、物資の略奪を働き、じわじわと国力を削ぎにきている印象だ。」
「なら、まず皆で逃げましょう。」
「なに?」
慶琳の言葉に、正蓋は眉根を寄せて聞き返した。戦い方を尋ねたにもかかわらず、逃げるとはいったい何事か。
「狙われそうな貴族や民は遊撃隊が出現できないような場所――もし王国内が無理なら、いっそ張家領でも構いませんから避難させましょう。敵が欲しがりそうな物資もすべて回収してしまえば、彼らは殺すことも略奪することもできません。」
「それで?」
「私たちは何も奪われませんから、温存した戦力を軍事拠点に集中して配置できます。敵は物資を調達できず、戦闘を行うたびに消耗する一方になる可能性が高いので、戦いが長引くほど不利になり、やがて自滅するのではないでしょうか。」
「……ふむ。」
「父上、我らは迅速に敵を制圧しなくてはなりません。早急に反乱を鎮圧し王家の力を見せつけること――それが戎月国王からの依頼です。ゆえに、慶琳の言は面白いですが、時がかかりすぎるかと。また、敵の物資調達方法が略奪中心であるという確証がありません。もしかしたら戎月王国よりも更に西方の地域と繋がっている可能性も否めず、そちらから物資を入手できるなら、時が経っても攻勢が弱まることもないでしょう。」
考え込む正蓋に対し、慶琳の考えの穴を整然と指摘する褒琳。しかし、ただ意見を否定するだけではなく、初陣である弟を気遣うことも忘れないのが、この兄の素晴らしいところだ。
「慶琳、初めての戦場でよくそれだけのことを考えたものだ。これから実戦経験を積めば更に成長するだろう。お前のように頭の回る弟を持ち、俺は誇らしい。」
褒琳はぐしゃぐしゃと慶琳の頭を撫で、爽やかに笑みを浮かべた。慶琳の大好きな、明るく大らかな兄の表情である。
「はい!兄上はさすがです。私は王の意向を理解しておりませんでした。戦いについても、いろんな状況を想定したうえで可能性の高低を見極めなくてはならないのですね。」
「ああ、そうだな。」
仲睦まじい兄弟の様子を横目に、依然として正蓋は難しい顔をしていた。結局、褒琳の言のとおり、いつものように遊撃隊を叩きつつ本体を暴き出す方針が採用され、軍議は終了した。
その後、遊撃部隊が出現したという報が舞い込む。正蓋は本陣を褒琳に任せ、慶琳と少数の兵を連れて自ら敵の元へ急行した。襲われた町は王政の支持者が多数を占める地域だという。
正蓋軍が到着した頃には、すでに敵の姿は見えなくなっていた。略奪や破壊行為が派手に行われたようで、人家は木材の山と化し、抵抗した人々と思しき遺体が散乱している。染料の容器をひっくり返したように至る所を染め上げる鮮血の痕と、鼻をつく鉄の臭いに、慶琳は顔をしかめて息を詰めた。
「将軍、こちらに生存者がいました!」
瓦礫の陰に倒れ込んでいた少年を助け起こしながら、兵士が声を上げる。正蓋と慶琳は馬から降り、駆け寄った。
少年はよほど恐ろしい目に遭ったのだろうか、目は焦点が定まらず、体は震えている。幸いなことに、多少の怪我だけで済んだようだった。
「無事なようですね。すぐに手当を――。」
「その前に、少しだけ話を聞かせてくれ。他の民は何処へ行った?」
生存者を確認して安堵に顔を緩めた慶琳の言葉を遮り、正蓋が問いを投げる。
張一族や兵士たちは日常会話程度のジュゲツナルム語なら容易く操ることができる。異国人がジュゲツナルム語を自然に操ることに面食らった少年は、こちらの素性を怪しんでいるのか、身を小さく屈めながら、ちらりと上目遣いで様子を窺ってきた。
「……みんな逃げた。逃げ遅れたやつは殺されて……。」
「どこに逃げた?逃げた民は我々が保護してやらなくては。」
「わかんねえ。散り散りに逃げてったから……」
「そうか。では辺りに住民らしき者がいないか、捜索せねばならんな。」
正蓋が兵を集め、矢継ぎ早に指示を出す。
その様子を、慶琳は畏敬の念を持って見つめていた。
兵士たちは数人ずつの小集団に分かれ、東西南北の大まかな分担を決めて捜索に出向いていく。やがて正蓋の周辺に人がいなくなった。
――その時、
「……父上!」
正蓋の後方に滑り込んだ慶琳が、父の背を目がけて飛んできた小刀を剣で叩き落とす。
文を叩きこまれる立場の次男ではあるものの、万が一に備えて武芸は仕込まれている。初めての実戦で俊敏に反応できたことに、慶琳は我ながら驚いた。振り返った正蓋もまた、目を丸くしている。
「お前、謀ったのか!」
吠える慶琳が見つめる先にいるのは、先程の少年。舌打ちをしてこちらを睨む彼の目は、憎悪という名の精気に溢れている。
「騙されんのが悪いんだろ?張家の連中もけっこう馬鹿だな!」
はん、と鼻で笑う彼の態度にかっとなって、慶琳は正蓋の制止を聞かずに飛び込んだ。少年もまた、懐から取り出した短刀で応戦する。十分訓練されているようで、獲物の長さでは不利なはずが、そんな気配を感じさせない素早さで対等に渡り合う。
「お前、反乱軍の一味だったのか!民のふりをして、卑怯な!」
「!」
一瞬、少年の動きがぎこちなくなる。その隙を逃さずに短刀を力任せに弾き飛ばした慶琳は、尻餅をつく相手をそのまま地面に叩きつけるようのしかかった。
「……俺は住んでたよ、ここに。」
「ここは王政支持者が――……。」
「多い、ってことになってるだけだろ。町の有力者が王政を支持するっつったから、みんな表向きは従ってるだけだ。腹の中を覗き見れば、一物抱えてるやつらなんていっぱいいる。」
「……。」
「町全体が王政支持ってことにされちまったから、この町はいつも狙われる。どんどん人が殺されて、逃げてって、残った奴らは貧しくなって、……昔はみんな仲良く協力して暮らしてたのに!父さんを反乱軍に殺されて、母さんと俺の稼ぎだけじゃ暮らすことができなくて、頼るあてもなくて、弟や妹を売り飛ばすしかなかった!だけど反乱軍の連中がやって来て、反乱軍に味方すれば金をくれるって、それで弟たちを買い戻せるって言われたから、それで……!」
「……。」
「……なんでお前が泣いてんだよ。」
ぽた。ぽたぽた、と。慶琳の頬から伝い落ちた涙が、少年の顔を濡らしていた。
「お前に何がわかるってんだよ。お前、どうせ青華の貴族のお坊ちゃんなんだろ。金に困ったこともなくのんきに生きてるお前らにとって、俺達の日常はお涙もんかよ!ふざけるな!王様が青華なんかに媚びを売ったから、この国はこんな風になったんだ!お前らのせいで……!」
どうせ殺されるなら言ってやれとばかりに溢れ出て止まらない少年の罵倒は、いつの間にか嗚咽に紛れていた。
彼に跨ったままの慶琳は、粛々とそれを受け止める。
これは同情だろうか。これは欺瞞だろうか。これは傲慢だろうか。自分でもわからない涙を手の甲で乱暴に拭い、慶琳は静かに少年の上からどいた。
少年は驚いた様子で慶琳を見つめる。
「……なんだよ。」
「なんでもない。」
「殺さないのか。」
「殺さない。」
「……いいのかよ。」
「よくはないかもしれない。でも、……。」
慶琳は正蓋を振り向き、窺うような視線を向けた。正蓋は何も言わず、身振りで何かを示すこともなく、ただ慶琳の動向を見つめている。
(父上は、私の判断を見極めようとなさっている。)
それならば、と慶琳は開き直ることにした。たとえ父から悪い評価を下されても構わない。今はただ、己と同じ年頃の少年の命ばかりは救ってやりたい。敵の中枢にいたわけでもなく、ただなりゆきと境遇のせいで末端に加わってしまっただけの、どこにでもいるであろうごくごく普通のジュゲツナルムの少年なのだから。
「……。」
身を起こした少年は胡散臭そうな顔つきを向けてくる。慶琳は黙ったまま、そっと視線を外した。行け、と言うように。
少年の母はきっと我が子の帰りを待っている。霞琳の産後、肥立ちが悪く亡くなった己の母親も、もし生きていたならば、初陣から自分が戻るのをきっと待っていてくれたはずだ。
慶琳は少年に背を向け、正蓋に向けて歩き出す。途端、正蓋の表情が微かにぴくりと動いた。
「――死ねっ!」
「!」
慶琳は振り返りざま、咄嗟に剣をなぎ払う。短刀を握った拳が赤い放物線を描いて飛んでいった。
(しまった!)
やってしまった。
傷つけたくなかったのに。逃げてほしかったのに。
なぜ彼は逃げなかった?なぜ、どうして、どうすれば――。
考え事に気を取られた慶琳は、片手を失いながらも体当たりしてきた少年の下敷きになっていた。地面に打ち付けた後頭部を痛みが襲う。先程までと完全に形勢が逆転した。
混乱する慶琳の頬を、少年の拳が殴打する。口の中で血の味が広がった。
もう一発、さらにもう一発。
このままでは殴り殺されかねないその力強さに、慶琳は辛うじて握り締めたままだった剣を振り上げる。
少年は逃げない。もう武器もないのだろう。それでも逃げないのは、殺してほしいからなのだろうか。慶琳に対しては優位にあるとはいえ、正蓋が動けば少年の命など容易く吹き飛ぶに相違ない。それを分かっていて、こんなことをしている。ならば、殺してやるのが情けなのだろうか。
慶琳は震える手で、思い切って剣を振り下ろす。
「――っ!」
躊躇いがあったせいか、急所を外してしまったらしい。腹部に刺さった剣ごと、少年は地面に転がった。
「なんで、逃げないんだ……!」
血液混じりの唾液を吐き捨て、慶琳が痛みを堪えて起き上がる。
少年は苦痛にもがきながら、慶琳を睨み付けた。
「……お前は、俺を生かす気がない。」
「……?」
彼は何を言っているのだろう。自分は先程から何度も、彼に逃げる隙を与えているのに。
「俺が生きる道は、お前を殺して反乱軍から金をもらうことだけだ!」
「なっ……!」
「金がなければ、一時しのぎで拾った命なんかすぐに消えちまうんだよ!それともなんだ、お前が金をくれるのか?俺の金がなくなるたびに、施しでもしてくれるのかよ!」
「確かに、弟たちを買い戻して、母親とともに生きるにはまとまった金も必要だろうが――」
「母親?」
少年が薄ら笑いを浮かべた。
なんだろう、この状況で浮かぶ笑みは。嫌な予感しかしない。彼の言葉の先を聞きたくない。
「――母さんなら、もう死んだよ。」
やっぱり、と思う間もなく、
「俺が殺した。」
「!?」
「俺が反乱軍を手引きするのを、母さんが止めたから。それを反乱軍に見られて疑われたから。だから、殺すしかなくなった!俺がやらなきゃ、反乱軍の見せしめでもっと惨い殺し方をされるから、だから――!」
――ざしゅ、と。無機質な音がして、ごとんと丸いものが地面に転がった。
ころころころ、と地面を転がってきた物体が、慶琳の足に当たって止まる。それを見下ろすと、赤黒く乱れ汚れきった髪の合間から覗く激情を宿した目とかち合った。
(――う、……っ。)
咄嗟に込み上げるものを感じて、両手で口許を覆う。ぬるりと生温かい液体が指先を染めた。顔全体に血飛沫を浴びてしまっていたらしい。
「戦場では、躊躇うことが命取りになる。」
「……はい。」
正蓋の声が静かに響く。しばらく様子を見届けたうえで、とうとう慶琳の身が本当に危ないと踏んで介入したのだろう。
慶琳はただ、虚ろな声で返答することしかできない。
「我らの手の内にあるのは自分の命だけではない。将兵すべての命であり、その家族や民たちの命でもある。上に立つ者として、つねに瞬時の決断を迫られていると心得よ。時に拙速な判断になってしまうこともあろうが、決断を積み重ねた結果の責を引き受けることもまた、将たる者の務めである。」
「……はい。」
慶琳は再び頷いた。肯んじるしかないのだ。自分が引き起こしたこと、彼の言動、そこから受けた衝撃の大きさを受け止めて飲み込むしかないのだ。たとえどんなに苦しくても。
瞬時の決断を下せず、躊躇った。だからこそ生じたこの結果を、責任を、自らが引き受けなくてはならないのだ。
命ばかりは救ってやろうと、中途半端に少年を「生か」そうとした。それは少年にとっては死と大差ないのだという事実にもすら気づかずに。
自分が窮地に陥ったら、生半可な覚悟で少年を「殺」そうとした。一思いに殺してやれる果断さも持てずに。
躊躇わずに彼を殺した正蓋が正しいのかは分からない。しかし、決断しているつもりで、その実すべてを躊躇っていた己に比べれば、遥かに優れた判断と行動力であることは間違いないのだろう。
正蓋が身を屈め、拾い上げた少年の首を慶琳の眼前にぶら下げる。思わず上げそうになった悲鳴をすんでのところで飲み込み、震える両手でそれを受け取った。掌になんとも表現しがたい感触が乗っかる。
「これが、子ども一人分の命だ。」
「……はい。」
「軽いだろう。だが、重くもあろう。よく覚えておけ、慶琳。」
「……はい。」
重かった。慶琳にとっては鉛以上にずっしりとした重さを有するそれは、同時に子どもでも持てる程度の軽さであるともいえた。それが慶琳には空恐ろしく、もの悲しかった。
やがて民を保護しながら戻ってきた兵士たちは、血まみれで子どもの首を抱きかかえる慶琳を見て驚いたようだった。しかし軍紀に忠実な彼らは無駄口をたたくことはなく、正蓋の指示に従い、整然と隊列を組み本陣に戻っていく。
「よいか、慶琳。――生かすことを躊躇うな。さもなくば、殺すことを躊躇うな。」
「……。」
「両方躊躇った結果の今日を、決して忘れるな。」
「……はい。」
「それからもう一つ。」
「……?」
「自分自身を生かすことを躊躇うな。生きることを投げ出してはならぬ。たとえ何があっても。」
「……はい。」
無表情の正蓋と馬首を並べ、慶琳は釈然としない感情を抱えながらも頷くことしかできなかった。




