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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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敵の敵

 厳かな雰囲気に包まれた朝廷。

 皇帝と高官が集まったこの場にて、議事は粛々と進行していた。


「――では、こちらは廃案ということで決定いたしました。」


 進行役が念押しの言葉を紡ぎながら、手にしていた施策案を傍らの書類に重ねて置く。劉司徒はその標高が上がった廃案の山を眺めて、ふんと鼻から息を抜いた。


(――政を知らぬ小僧めが、私に根回しもせず案が通ると思っているのか。愚かなことよ。)


 本日の議題は国策案の審議である。

 これまで可決された案はすべて劉司徒派の貴族が提出したもので、否決されたもののほとんどは皇帝の案だった。

 このような場に列席が許される高官の半数以上は劉司徒に与する貴族だ。劉司徒派に次ぐ勢力である李太師派も、単独では施策案を可決させられるほどの勢いはない。ましてや派閥に属しない者の発言権は皆無に等しく、それは皇帝といえども同様であった。採択方法が必ずしも多数決ではないとはいえ、やはり数が多い方が強いのだ。

 建前では頂点に立っている皇帝であろうと、孤立無援では何も成せない。鶴の一声で強引に押し切ることはできても、周囲の反感を買うことは避けられない。反感が高まれば帝位から引きずり降ろされる可能性もある。事実、実権を握っている劉司徒にとって、いざとなれば春雷を退位させることくらい不可能ではないだろう。


 それを理解しているからか、或いは本当に凡愚であるのか、春雷は今まで自身の意見を押し通したことは滅多にない。妃嬪の後宮入りにあたり鄧昭儀の地位の確保を主張した時くらいだ。

 かといって“よきに計らえ”とばかり臣下に丸投げをするタイプでもなく、今回のようにきちんと己の案を示して政治に参画する意向を見せてはいる。しかし彼の施策案は劉司徒の方針と相容れないため反対の嵐に遭うのが常であり、一度たりとも通ったことがない。


(私を味方につけねば何もできぬということを、改めて教え込んでやろう。いずれ泣きついて頼み込んできたなら、案の一つくらい通してやらんでもない。)


 腹の中でせせら笑いながら、劉司徒は顔付きだけは涼しげにしている――つもりであった。実際には、もう冬が近いというのにむっちりとした贅肉の厚い顔面が脂ぎって暑苦しさを醸し出しているなどとは、本人は全く気付いていないが。


「本日最後に審議すべき案にございます。陛下ご発案の、教育令につきまして皆々様方のご意見を賜りたく――」

「教育令?」


 進行役による議論の促しを耳にして、劉司徒は手元の資料をぱらりと捲る。皇帝の案は端から全て否決するつもりでいたので事前に碌々目を通してすらいなかったのだが、内容がさっぱり想像できない施策名に疑問を抱いたのである。

 視線を数行に走らせて、くだらないと言いたげに劉司徒は表紙を閉じた。教育とは貴族たちヒエラルキーの上部に位置する者の特権である。天がそういう運命を与えたからこそ、自分たち貴族は教育を受け、国政に参与し、裕福な生活を送ることができるのだ。これは天意なのだ。

 だというのに、ヒエラルキーの下部に位置する者でも希望すれば無償で教育を受けられるようにするなど、皇帝はよくぞこれほどまでに馬鹿げた施策を考え出したものである。貴族たちの環境が恵まれていることが天意であるのと同様に、彼らの貧困も不遇も何もかもは天意なのだ。そういう運命の元に生まれているのだ。にもかかわらず、天命を受けて帝位に就いた者が、天意を曲げて下層の者どもにまで恩恵を行き渡らせようとするなど、愚かな真似にも程がある。


 劉司徒は内心で毒づきながら、これは態々自分が手を下すまでもなく廃案になると直感した。民に教育を施し、秀でた者は官吏として登用する――身分制度の破壊に等しいこのような施策に対しては、保守派の代表たる李太師が顔を真っ赤にして反対するに違いない。

 そう考えて、劉司徒は肉に埋もれた細い眼をちらりと李太師に向ける。彼はいつも以上に不機嫌そうに眉間の皺を深め、気難しい表情をしていた。


(口煩い爺があの調子なら、問題なかろうな。)


 劉司徒がそう確信して前に向き直り、発言の許可を求めるべく挙手をする。


「陛下のお考え、恐れながら臣には些か疑問でございます。貴族には貴族の、民には民の分というものがあり、各々それを弁えることこそ肝要。そうして世の中は成り立っているのでございます。

 それに反して民に教育の機会を与えるなど、陛下御自ら民が分を弁えぬように慫慂するも同然。万民の模範たる天子のなさりようとは思えませぬ。」

 

 そもそも民は愚昧であればあるほど望ましい。小賢しい民など不要。頭の足りない状態で、ただ貴族たちに従い、労働させられ、搾取されていればいい。それがこの世の理なのだ。

 とはいえそのような本音は口にできぬから、心にしまっておくだけにする。しかし、劉司徒のこの考えは貴族の大半が持っているに相違ない。教育に限らず、特権を喪うということ自体が貴族として我慢ならぬことであるはずだからだ。


 そうだそうだ、と朝廷に小さな漣が立った。賛同者は多いようだ。もとより劉司徒派が多いのだから当然ではあるが。

 勝負あった、否、そもそも勝負にすらなっていない――劉司徒がそうほくそ笑むのを他所に、挙手をする男がいた。李太師だ。追加で皇帝に反論をするつもりなのだろうと、劉司徒は口許が緩むのを止められない。全員から責め立てられて針の筵に座っているような心地を皇帝に味わわせるいい機会だ。


「李太師様、どうぞ。」

「……陛下のお考え、臣は大層感じ入りましてございます。是非にこの施策を進め、優れた者を引き立てるがこの国の未来のためになりましょう。」

「何……!?」


 劉司徒は耳を疑い、咄嗟に声を上げて李太師を見つめた。空気が一瞬にして静まり返り、普段の李太師との変わりように誰もが戸惑っているようだ。

 丁度李太師もこちらに顔を向けており、正面から目が合った。相変わらず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたその顔は、劉司徒を侮蔑し見下しているかのようだ。


「最早貴族の中には、才知に溢れた者も、分別のある者も少ないようでございます。民にも登用の門戸を開くことにより才知に溢れ分別のある者を数多く取り立てることが叶えば、昨今朝廷に巣食いこの国を貪り尽くさんとする浅ましき輩も居場所がなくなり、政道も清められましょう。」

「何だと、貴様――!」

「おや、何をお怒りかな、劉司徒。私はおぬしがそうだとは一言も口にしておらぬが。」

「止めよ、太師、司徒。――審議を続けるように。」

「御意。」


 劉司徒と李太師のいがみ合いにざわつく朝廷を鎮めたのは、皇帝の一声だった。

 挑発してきた側だというのに、従容として口を閉ざした李太師はつんと澄ました顔を劉司徒から反らし、例の如く踏ん反り返って髭を撫でつけている。

 目論見が外れた上に公の場で明らかに貶められた劉司徒は腸が煮えくり返るが、皇帝自ら窘めに入ったこの流れに逆らってまで口論をする利がないために歯ぎしりする思いで言葉を飲み込んだ。


(……まあ、爺が皇帝に味方したところで我が勢力には及ばん。何も恐れることはない。)


 劉司徒はそう気を取り直す。

 他に意見を述べる者がいないか確認してから、進行役が全員に無記名投票にて賛否を問うた。意見が割れそうな時、旗幟を公にするのは余計な忖度や恨みを買いかねないからという理由で、この国ではしばしば採用される方法である。匿名性を高め、本心に基づいて意思表示ができるよう配慮されたものだ。

 とはいえ、同じ派閥に属する者は同じ内容を投票するのが常であるため、現実には余り意味を成していない。劉司徒派が過半数を占める現在、反対票が多くなるのは自明の理だ。


 ――が。


「一、二、三……賛成票が僅かに多いようですな。ではこの案は可決ということで宜しいですかな。」

「何?」


 開票作業を終えた進行役の言葉に、劉司徒は細い目を見開く。それでもまだなお細いその目で、周囲を見回した。しかし、見渡したところで誰が寝返ったかなど判りはしない。

 

「お待ち――」

「異議なし!陛下に万歳!」


 劉司徒の反論を阻むよう、李太師が老人とは思えぬ程に力強い声を張り上げて万歳三唱を促す。李太師派の面々、そして無派閥の者までも揚々として諸手を上げる姿が視界に入った。

 流石に劉司徒派の者は誰も堂々と万歳はしない。かといって不敬だと詰られたくもないので、控え目に軽く手を浮かせる程度が精々だ。そうしながらも互いに横目でそわそわと目配せしあって、明らかに疑心暗鬼に陥っている様が窺い知れる。


(――あの小僧め!こんな無茶苦茶な施策で、どうやってあの爺を味方につけた?一体我が方のどいつを懐柔しやがった!?)


 劉司徒はぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、玉座を見上げる。男の目から見ても月が恥じらい雲に隠れかねないほどの静かな美貌に恵まれた若き皇帝の顔は穏やかさを湛えているだけで、自身の案が可決されたことに対する喜びも見出せなければ、こうなる未来が最初から見えていたと言わんばかりに落ち着き払った普段通りのものだった。

 その態度がまた劉司徒の神経を逆撫でする。しかし、皇帝の発案が初めて可決されたことを言祝ぐ雰囲気に満ちたなかにあっては、更なる反論をしたところで一層不利になる可能性が高い。已む無く劉司徒はそれ以上の反対意見は慎むこととする。

 だいたい、教育令がなんだというのだ。民に教育を施したところで、官吏として登用できるほどの逸材がすぐに大量に出現するわけもない。有能な者が出て来たとしても、皇帝よりも先に自分が懐柔してしまえば寧ろ自派閥の強化になる。ならば一先ず、この施策が実現に至ったところで大した脅威ではなかろう。


 それよりも、自派閥から反旗を翻す者が出たことが大問題だ。その者を一刻も早く探り当て、相応の対応をしなくてはならない。

 己に逆らえばどうなるかという見せしめのため、裏切り者には過剰な処罰を与え、他の者には恐怖心を植え付け、派閥内の統制を取らねばならない。

 もう二度とこのような屈辱を味わわずに済むように、そして何よりも権力を守りきるために――劉司徒はそう胸に誓い、今日の恥辱を心に焼き付けたのだった。



******************



「……この度の施策、得心の行くものではございませんでした。」

「信念を曲げさせるような真似をさせて申し訳ない。だが、それでも賛意を示してくれたことに礼を言う。」


 議事を終えて散会した後、執務室に戻った春雷の元を治泰が密かに訪れていた。

 渋い表情で苦言を呈する大伯父を前にして、春雷は頭を下げようとする。しかしそれは治泰が片手を差し出して制した。


「皇帝たる者、臣下に易々頭を下げて良いとでも?――それに礼など不要、約束だけお守りくだされ。」

「無論、守る。」

「ならば結構。今回のことはさておき、そもそも陛下は一介の臣下に過ぎない劉司徒にいいように扱われてばかりでなんとも情けなく……」

 

 下げかけた頭を上げると、胸を張り髭を撫で続けて説教紛いの言葉を延々と並べ立てる治泰が視界に入る。その態度は主を前にした従の振る舞いには到底見えない。“臣下”と“大伯父”の立場を都合よく使い分ける治泰の態度に、春雷は苦笑混じりに表情を緩めた。


 約束――王氏の変で一掃された建国期功臣の子孫や、零落してしまっている名家の血筋に連なる者を、それとわからぬように取り立てることである。


 今日の審議を前に、春雷は治泰との交渉に臨んでいた。

 春雷にとって、教育令は是が非でも可決に持ち込みたい施策案である。だが中央貴族の社会に於いて常識外れも甚だしいこの案は、手を拱いていれば劉司徒にも治泰にも拒否されることが明白だった。しかし皇帝権限で押し切るのも避けたい。そうしたところで、有力な協力者がいなければ施策が現実になったとしても妨害を受け碌な成果を出せぬままに打ち切りになってしまうのが目に見えているからだ。

 それでも春雷の頭に、劉司徒と手を組むという考えはなかった。ならば治泰を取り込まねばならなかったのだ。


 春雷は以前から、治泰が建国期功臣の末裔を匿い、没落した名家の子孫を密かに支援しているのではないかと推測していた。

 王氏の変に際し免官となり収入が途絶えていたとはいえ、長きにわたり皇子として恵まれた環境にあった人物であるからには相応の貯えがあっただろうに、栄節の後宮入りにかける費用が余りに少ないことが春雷のなかでずっと引っ掛かっていた。

 それだけではなく、そもそも治泰は栄節をどうやって探し出してきたのだろう。曹氏は王氏の変で粛清対象になることを免れはしたが、その理由は罷免されて都に住めぬ程に落ちぶれた末、平民同然の暮らしをしていたからだ。貴族社会から完全に忘れ去られて行方知れずの状態だったというのに、春雷の即位に合わせ、市井に紛れて暮らしている少女を発見して連れてくるなど余りにもタイミングが良すぎる。治泰が以前から曹家と繋がりを持っていたと考える方が自然だ。


 故に春雷は、治泰にその推察をぶつけた。

 最初こそしらばっくれていた治泰だが、私財を投じた援助でできる範囲は限られていることを諭し、今は日の目を見ることのできぬ立場にある子らも教育令が施行されれば堂々と教育を受け官吏になることも可能なのだと、春雷が熱心に説くにつれて気持ちが揺れたようだ。

 保守的な治泰にとって、教育令への賛成は信念を曲げるに等しい。しかも本来なら死罪になるはずだった建国期功臣の子孫を保護していたことは重罪になる。しかし彼は己の信念や保身よりも、不遇な若者たちの未来を優先した。このあたりが、普段は口煩く厄介極まりない治泰の尊敬に値すべき美点である。

 元より王氏の変を蒸し返すつもりのない春雷は、治泰を罪に問わないことを誓った。そして教育令への賛同の見返りとして、治泰の保護下にある子らの厚遇を約束したのである。

 

 治泰の攻略が成功したなら、後は容易かった。

 無派閥の者は劉司徒を快く思っていないが、治泰の過度に保守的な思考にも同調できないからこそのその立ち位置なので、協力を仰ぐことはそれほど難儀ではなかった。

 そして以前から進めていた劉司徒派の切り崩しにも光明が差し始めていたところだったので、春雷は満を持して教育令を朝廷に持ち込んだのだ。

 他にも多くの案を提出し、敢えてそれらは否決させた。元々そのための中身がない施策案なので惜しくはない。そして劉司徒が慢心して油断しきったであろう最後の最後に、本命の施策を一気に可決させたのだ。


(――これで漸く改革が始まる。)


 時代が動く。春雷の治世はここから始まるといっても過言ではない。

 治泰が下がり一人きりになった室内で、春雷は小さく息を吐いた。今日のこの出来事を霞琳にどう伝えようか。霞琳ならきっと一緒に喜んでくれるに違いない――そんな想像に頬を緩めていた最中、断りもなくけたたましい音を立てて扉が開かれた。


「……徴夏、もう少し静かに――」

「春雷、霞琳が――!」


 呆れ顔で振り返った春雷は、徴夏の真剣な形相からただならぬものを察して立ち上がる。そして徴夏の言葉の続きに碌に耳も貸さぬまま、後宮に向かい駆け出したのだった。



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