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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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上辺と本心(後編)

※暴力的な表現がありますのでご注意ください。

 春雷肝入りの施策を始める準備が整い、霞琳もまた昂りを覚える。

 徴夏はそんな霞琳に向き直って、張家の近況を伝えるべく口を開いた。


「正蓋殿にはお会いできなかったが、燈蓋殿や褒琳殿は元気そうだったぜ。あの褒琳殿が後継者なら張家はこの先も安泰だな。」

「兄上に会われたのですか?戦場から戻っていたのですね。」

「ああ、またすぐ戎月国に出陣するって言ってたけどな。」


 一時的とはいえ正蓋と褒琳が帰還していたということは、ジュゲツナルム王国の内戦も少しは落ち着いてきたということだろうか。徴夏の話を聞く限り、褒琳には怪我もなく体調もいいようで、霞琳は安堵に表情を綻ばせる。まだ離れて数ヵ月しか経っていないにもかかわらず、もう何年も会っていないような気がするほどに懐かしさを覚えた。


「……でもな、褒琳殿は大分忙しそうだったぜ。燈蓋殿から政の指南も受けていた。」

「嫡男の褒琳殿が政を?」

「ああ。どうも慶琳殿の病状が相当悪いらしいみたいだ。感染するからって見舞いもさせてもらえなかった。」

「そうか、……それは心配だな。」


 春雷の顔つきが曇る。慶琳が張家にいるはずがないことを知っているというのに、どこからどう見ても心を痛めているとしか思えない自然さである。

 かたや霞琳はといえば、やや間の抜けたようなぽかんとした表情を浮かべてしまった。自分の話のようでありながら他人の話を聞いているかのような不思議な感覚に陥る。実際、ここで話題に上がっている“慶琳”は自分のことではないのだから当然といえば当然なのだが、やはりまだ自分こそが慶琳であるという意識があるが故に、健康そのものの自分の死期が近いと聞かされているようでもやもやとした気持ちになる。

 霞琳の複雑そうな面持ちに首を捻り、徴夏が怪訝そうに問いを投げた。


「あんた、心配じゃないのか?母親が同じ兄貴なんだろ?」

「し、心配ですよ!勿論!……ただ、それ以上に吃驚してしまって……。」

「……そうか。ま、突然こんな話を聞かされたら呆然とするよな。」


 焦ったような霞琳の言い訳を信じるかどうかはさておき、徴夏は相槌を打った。そうしながら頭の中にはふと疑問が浮かぶ。


(……そういえば、張家ではこいつ(霞琳)について一切訊かれなかったような……。)


 普通ならば、何ヶ月も会っていない家族の近況を知りたいと思いそうなものである。況してや当初は短期間で戻るはずが、後宮女官となり二度と張家に帰ることが叶わなくなった少女だ。叔父や兄として気に掛けても当然だろうに、自分が話題に出した時も全く触れられることなく流されてしまった。

 霞琳の態度からは家族仲がよさそうに感じていたが、実際はそうでもないのだろうか。或いは慎重な張家の面々のことなので、霞琳の状況を問うのは後宮や皇帝のことを探ろうとしていると疑われかねないとして避けたのかもしれない。

 なんとなく釈然としないものを抱える徴夏に、春雷が声を掛けて退室を促した。


「真っ先に朗報を齎してくれたのはありがたいが、土埃に塗れた旅装束のまま女性の部屋に上がり込むのはどうかと思うぞ。一度着替えに帰宅するといい。私もそろそろ自分の執務室に戻るから。」

「ん?ああ、そうだな。」


 じゃあまたな、と霞琳に手を振って徴夏が部屋を後にする。見送りに出る霞琳に笑みを贈ってから春雷もそれに続き、連れ立って回廊を進んでいった。


「お前の予想通り、燈蓋殿は癖のある人物だったぜ。話を混ぜっ返されても乗らず応じず、寧ろ相手の話の腰を折ってこっちの流れに持っていけ――その助言の通りに進めて上手く事が運んだって感じだな。思い通りに交渉が進まなければ霞琳の名前を出して話題を変えろとも言われたけど、それすら必要なかった。やっぱお前はすげえわ。」

「ふ、私の見立てが役に立ったなら何よりだ。」

「ところで何で霞琳が交渉の役に立つと思ったんだ?」

「張家にとって霞琳殿は人質にとられているようなものだろう?」

「ふーん、そういうもんかねえ。」


 後頭部で両手を組みすっかり気を緩めて話しかけて来る徴夏に対し、春雷は穏やかに応じた。

 実を言えば春雷は、燈蓋が自分の頼みを断るわけがないと確信していた。明らかに正蓋を敵視していた先帝にすら忠実に仕えていた張家が、ジュゲツナルム王国にも張家にも好意的な皇帝(自分)の意向を無碍にするはずはないだろうと予測していたのである。

 だがもし渋るようならば遠回しな脅し――即ち霞琳のこと(張家の弱み)をちらつかせて従わせるのも已む無しという考えでいたのだが、幸いその最終手段は使用せずに済んだようで、非常に満足できる結果となった。


「――ところで徴夏。寧江に余計なことはしていないだろうな?」


 不意に声を冷たく潜め、春雷はその美しくも無表情だと凄みを帯びる瞳を徴夏に流す。

 しかし徴夏はというと、全く意に介した風もなく笑い声を上げた。


「まさか、するわけねえだろ。大分思いつめてたみたいだったから、心配してついて行っただけだ。――つーか、やっぱりお前は気付いてたんだな。霞琳は全然気付いてなかったってのに。」


 実は徴夏は、寧江が女官長の執務室を訪れたすぐ後にやって来ていた。状況が状況だったので庭木の陰に身を隠し、様子を窺っていたのである。

 そして寧江が走り去った後を追いかけていき、それから改めて春雷と霞琳のもとへ顔を出したのであった。


「ならば構わないが。――さて、今日はここまでだ。そなたは早く帰ってゆっくり休め。要点は聞けたから、詳細な報告は明日でいい。」

「はいはい、そんじゃお言葉に甘えさせてもらいますかね。また明日な。」


 気付けば早くも後宮を出て春雷の執務室の前までやって来ていた。普段通りの柔らかさを取り戻した春雷の気遣いに応じて、徴夏は片手をひらりと振ってその場を後にする。その背中が見えなくなるまで見送ってから、春雷は静かに唇を開いた。


「――志文。」

「はっ。」


 名を呼ばれ、後方から素早く駆け付ける影が一つ。志文は春雷が霞琳の元を訪ねた時からずっと付き従っていたが、敢えて距離を取って護衛の役目を果たしていた。この帰途においても、彼を毛嫌いしている徴夏に配慮して離れて付いてきていたのである。

 そういうわけで、当然、寧江の件も一部始終目にしていたはずだ。


「もしも寧江が私を殺しに来たらどうする?」

「無論、陛下をお守りいたします。」

「寧江はどうする?」

「傷つけぬよう善処いたします。」


 そうか、と春雷は微笑んだ。


「では、もしも寧江が霞琳殿を襲ったらどうする?」

「恐れながら、私は陛下の護衛にございます。」

「あくまで仮定の話だ。もしその場にそなたが居合わせたら、霞琳殿を守ってほしい。私に対してそうするように。」

「御意。」


 平坦な物言いから志文の感情は読み取れない。

 春雷の直感ではあるが、志文は霞琳に対し良い印象を抱いていないようだった。それでも志文は確かに了承した。彼は忠実な男である。譬え不承不承であっても、言を翻すことはあるまい。

 故に春雷はそれで満足することにしたのだった。


 一方、春雷と別れた徴夏は自宅に向けて歩を進めていた。途中、真っ青な空を見上げて小さく独り言ちる。


「……あれは何かしたうちに入らねえよな。」


 徴夏は目に眩しい青空を視界から追い出すように、静かに瞼を閉ざして先程の出来事を思い起こす。


 徴夏が寧江の後を追いかけていくと、彼女は後宮の広大な庭園で足を止めた。そして水鳥が戯れている池の傍らに腰を下ろし、抱えた膝に顔を埋める。遠目でも肩が震えているのが見て取れ、泣いているようだった。

 

「よう、ちびすけ。こんな所で何やってんだ?」

「……徴夏。」


 さも今しがたやってきたかのように、徴夏は明るく声を掛ける。

 春雷と寧江は嘗ては非常に親しく、頻繁に一緒に遊んでいた。徴夏もそれにしばしば付き合わされていた関係から、彼女とは気安い仲である。どうやら徴夏のことは春嵐を殺した犯人だとは思っていないようで、寧江が春雷を毛嫌いするようになってからも徴夏には普通に接してくれている。ただ、以前のような無邪気で快活な姿はすっかり鳴りを潜めてしまったが。


 顔を上げこちらを振り返った寧江は、意外にも泣いていないようだった。無感情な表情を貼り付けて、しっかりとした声をしている。虚勢だとしても、幼い少女にしてはできすぎだと感じる程に。


「一人でこんな所にいたら危ねえだろ?池に落ちたって誰も気付いてくれねえぞ。」

「落ちないわ、池になんて。」

「そうか?――でも、こんなことされたら?」

「っ!?」


 笑顔のまま、徴夏は突如ぐっと寧江の背を押した。

 それは決して池に落ちる程の力ではなかったが、寧江は咄嗟に両手をついて踏ん張った。両手の位置は池の淵ぎりぎりである。水面に映る顔に滲む恐怖がはっきりと見て取れるほど、上体は低く池に突っ伏さんばかりであった。

 寧江は息を飲み、怯えの色を滲ませた双眸で徴夏を見上げる。

 徴夏はなおも笑みを浮かべていた。細められた双眸は冷ややかで、表情は作りものに過ぎないことを如実に示している。


「……何するの、徴夏。」

「何もしないさ、今はな。」

「……。」

「――だが。」


 言いながら、徴夏は寧江の胸倉を掴み上体を引き上げた。抵抗のつもりか、将又露わになる肌を隠そうとしてか、寧江は乱れた襟元へ反射的に両手を添える。


「もし春雷を殺そうとするなら容赦しねえ。あいつが殺される前に殺してやる。譬え子どもの戯言だとしても、聞き流してやるほど俺は優しくない。火種に成り得るものは全部消し去る。」


 徴夏は冷たい怒気を孕んだ端正な顔を寧江に近づけて、低い声で淡々と宣言する。露わにしないぶんだけ、その怒りの程が窺い知れるようだった。

 そして返事を待たぬまま、寧江を地面に放るように解放するや背を向けて戻って行く。もう少女に対する興味など一切ないとでもいうように。


 派手に尻もちをついた寧江は、呆然とした表情で徴夏の後姿を眺めていた。やがて我に返ると、僅かに顔が歪み、頬がうっすら赤らむ。唇が小刻みに開閉するも音を伴わない嗚咽が漏れるだけで、喉が上下に震えた。泣きそうなのに涙は零れない。

 泣き方すら分からなくなってしまった少女は、誰にも気づかれることのない池の畔で長い間そうしていたのだった。


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