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ジュゲツナルムの姫君  作者: 上津野鷽
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忘れ形見は小さな嵐

「先日、各部署の責任者に対して、適正な要員数を申告するよう通知しました。早くも既に申告してきたところもありますが、どうも根拠が曖昧でして。」

「そうだな。削減可能人員数が多すぎるか少なすぎるか、両極端になってしまっている。」

「はい。……飽くまで可能性の話ですが、多く削減していいと言っている部署の責任者は施策に協力的な姿勢を見せて評価を得たいという心づもりかと。業務量に対して過剰な削減をしては実務を担う宮女の負担になりますから、それは避けねばなりません。

 一方、余り削減してほしくないという部署は、先帝の時期に比べ大幅に仕事量が減り楽になった現状を維持したいだけのようにも感じます。それを許容してはこの施策の意味がありませんし、他部署との均衡が取れなくなります。

 いずれにせよ、この数字を出してきた理由を確認するため、責任者たちとは個別に面談する予定です。」

「ああ、それがいい。申告内容を一瞥しただけでも整合性が取れない部分が幾つも見て取れる。この件についてはよく精査してほしい。」

「畏まりましてございます。」


 霞琳は春雷に深々と頭を下げた。

 場所は女官長の執務室。定期的に行われている、女官長から皇帝への業務報告の時間である。本日の主な報告内容は、例の後宮改革についてであった。

 春雷は手にしていた資料を机上に戻すと、視線を霞琳に向け直す。


「それで、肝心の宮女たちの反応はどうだ?」

「人員整理の方針を公式発表したわけですが、以前から白維が流してくれていた噂のお蔭で動揺はほとんど見られません。後日、改めて進退の希望について申告をしてもらう予定でおります。申告先は女官長()として、実務はラシシュを中心に、ルェイホマを補佐につけようかと。」

「そうだな。上長に申告するのは気まずい者もいるだろうから、そなたたちが直接対応するのがいい。……とはいえ宮女の数は多い。少人数で当たるのには限界があるだろう。無理はせぬように。」

「お気遣い痛み入ります。――それで、陛下にお願いをしておりました件ですが……。」

「ああ、後宮を出た後の仕官先や結婚を希望する者の引き受け手の件ならば、使用人を増やすだけの余裕がある貴族や独身の官吏を調べて一覧にまとめているところだ。元宮女というだけで箔が付くから、引く手数多になるだろう。」

「それは宜しゅうございました。」


 春雷の言葉を聞いて、霞琳はほっと表情を緩めた。宮女の削減に当たり、最も懸念していたのが後宮を出た後の宮女たちの身の振り方だった。

 追い出すだけ追い出して後は知らんぷり――などというのは、霞琳の性格からいって耐え難いものであったし、下手に恨みを買って今後の後宮改革に支障を来すような真似をされてもいけないだけに、慎重を期さねばならないところだった。

 故に彼女たちの引き取り手が十分にあるというのは、ありがたいことである。だが同時に、或いは後宮の内情を探り、或いは妃嬪たちと繋がろうとするために宮女を引き取ろうと目論む輩もいるはずだ。不埒な目的のため利用しようとする者に宮女を下げ渡すことのないようにだけ注意せねばならないが、春雷が直々に動いてくれている以上、そのような懸念のある者は一覧から除いてくれるだろう。

 残る不安要素は、宮女たち自身が後宮の機密事項をうっかり口外しないようにすることだけだ。こればかりは本人たちの性格や頭の出来によるため一概にどうこうできるものではないが、多少の脅しを交えても口止めだけはしっかりしておかねばならないだろう。余りに口が軽い宮女については、たとえ本人が後宮を出ることを望んだとしても、敢えて後宮に閉じ込めておくのもやむなしだと考えている。


「残留を希望している者は勤労意欲が高まっていると耳にしたが。」

「はい、随分とよく働くようになった者もいるようです。それが一時的なものではないことを願うばかりですが。」

「ふ、違いないな。後宮に残れると決まった途端に働かなくなっては困る。」

「仰せの通りにございます。残る者に対してもまた、心構えや務めの意義を改めて説く場を設けるつもりでおります。」

「流石、抜かりない。時に宮女教育の準備は進んでいるか?意欲があり残留を希望する者なら、きっと自主的に学びに来ることだろう。」

「教育は間もなく開始するつもりでおります。教材も完成間近ですので。――あ、噂をすれば……。」

「……成程、では私も見せてもらおう。」


 霞琳の視界の端、窓の向こうに小さな人影が映る。こちらに向かっているようだ。絶妙なタイミングに双眸を細めながら、霞琳は片手でそちらを指し示した。

 促された春雷が窓に目を向ければ、冊子の類をたくさん抱えたおぼつかない足取りで、回廊をぴょこぴょこと進んでくる少女が見て取れた。小柄な身には多すぎる荷のせいで前方が見えにくい状況に加え、それを落とさぬよう懸命に抱えながらなので、歩みは遅い。そのように一生懸命な姿に微笑みを誘われた春雷は腰を上げ、執務室の扉を自ら開けて彼女を迎える。


「あ、ありがとうございます、霞琳さ――…って、へ、陛下!?えええ!?ご、ご無礼を……ああっ!」


 扉を開けてくれたのは霞琳だとてっきり思い込んでしまったらしい少女――ルェイホマは、積みあがった冊子の横にひょこりと顔を出して礼を口にするや否や、自分を迎えてくれたのが春雷だと認識して青褪めるなり動揺を露わに荷物をばらばらと床に落としてしまう。


「すまない、驚かせてしまったか。」

「陛下、中でお待ちください。ここは私が。」

「いや、驚かせてしまった私のせいだ。共に拾わせてくれ。」


 春雷がその場に膝を着くのに合わせ、霞琳も中から出てきて二人で一緒に冊子を拾い始める。

皇帝になったというのに、春雷は誰が相手でもこういう優しさや律義さを失わない。その美しい横顔を盗み見て、霞琳は改めて彼に対する敬愛や親しみの念を深くするのだった。

 粗相を繰り返しあたふたしていたルェイホマも漸く我に返ったようで、土下座せんばかりの勢いで跪く。


「も、申し訳ございません!陛下がいらっしゃるとは存ぜず、大変なご無礼を……!わ、私が自分で拾います!ど、どどど、どうかお許しください!」


 額を床に擦り付けたまま恐縮しきってがたがたと震えているルェイホマを前に、霞琳は一瞬呆気に取られてから、ふと思い至った。

 ルェイホマが女官長直属の女官となってからまだ日が浅い。加えて教材作成に集中するため別室に籠ってばかりいたせいで、春雷とはほとんど接したことがない。彼の人柄を知らないのなら、至高の存在たる天子に失礼を働いた事実に震え上がってしまうのも無理はない。況してやルェイホマの小心さは人一倍なのだから。


「ルェイホマ、頭を上げなさい。お許しも何も、陛下はお怒りになど――」

「今度はれーほを殺す気、なの?」


 霞琳の言葉を遮るようにして、幼くも凛とした声が響き渡る。

 初めて聞く声の主を確認すべく霞琳が顔を上げると、回廊の先に小さな女の子が佇んでいるのが見えた。綺麗に結い上げられた髪を飾る簪も、鮮やかで大胆な色遣いが映える衣類も上等なもので、高貴な身分であることを言外に示している。

 年端も行かぬ少女であるにもかかわらず、一切の感情を覗かせない無表情。可愛らしく整った顔立ちをしているだけに、子どもらしからぬ雰囲気が妙な凄みを増しているようにさえ感じた。

 しかし、霞琳は少女に見覚えがなかった。誰だろうと思う間もなく、


「……寧江。」

「こ、公主様!」


 春雷とルェイホマがほぼ同時に声を上げる。

 それに呼応するようこちらにずんずんと歩み寄って来た少女は、ルェイホマを庇うように彼女と春雷の間に割り込んで立ち止まり、澄んだ瞳で彼を見上げる。


「わたしの大切な人をまた奪うつもりなら許さないわ、人殺し。」


 抑揚のない冷ややかな声色に不釣り合いな発言に、その場の空気が凍り付く。


「その前に、あなたを殺してやる。わたしが。」


 全員が言葉を失っている間に、少女が続ける。

 余りにも淡々とした物言いなものだから、物騒な言葉の意味を理解するのに時間を要してしまう。


「こ、公主様、そんな恐ろしいことを仰ってはいけません!今すぐ陛下に謝罪を――」

「あいにく持ち合わせていないわ、人殺しに下げる頭なんて。」

「公主様!」


 ルェイホマは少女に慌てて謝罪を促すが、にべもない反応に泣き出しそうになっている。

 漸く我に返った霞琳は、はっとして周囲を見回した。人影は見当たらないが、油断はできない。室内ならまだしも、誰がどこから見ているともしれない回廊で春雷を堂々と人殺し呼ばわりされてしまうなど、非常に宜しくない状況だ。


「あの、一先ず中に――」

「入らないわ。」


 取り付く島もない返事に、霞琳は黙ることしかできない。

 相手が宮女であれば強引に連れ込むこともできようが、貴人であるようなのでそれも不可能だ。どうしたものかと困惑する霞琳の横で、ルェイホマが涙ぐみながら再度の説得を試みる。


「公主様、お願いですから謝って――」

「いや、構わない、黎苞。……――寧江、私は黎苞に何をするつもりもない。私の振る舞いが悪かったせいで、黎苞を怯えさせてしまったのだ。」

「へ、陛下に非などございません!」

「……ふうん。」


 寧江と呼ばれた少女はルェイホマの言葉に耳を貸すことなく、ふんと鼻から息を抜いて悪態を吐いて今度はこちらに向き直る。霞琳は反射的に身を固くした。


「……張霞琳?」

「さ、さようにございます。」

「返しなさい、れーほを。」

「え?」


 霞琳は首を傾げる。

 れーほ、とはルェイホマのことに違いない。上手く発音ができず愛称のようになっているのだろう。

 返せ、とはどういうことだろうか。ルェイホマは今でこそ霞琳の下にいるが、元々シャムナラ姫の侍女だ。シャムナラ姫以外にルェイホマの返還を要求できる立場の人物などいただろうか。

 加えてルェイホマが少女を“公主”と呼んでいるのも引っ掛かる。先帝にも春雷にも娘はいない。この国で皇子や公主の待遇を受けられるのは皇帝の子のみなので、“公主”という呼称を使用されるべき人物はいないはずだ。


「寧江、止めるんだ。黎苞は霞琳殿の元で働くことになっている。もうそなたのものではない。」

「黙りなさい、人殺し。」

「公主様!」

「れーほも戻りたいでしょう?わたしのところに。」

「そ、それは……。」


 口籠るルェイホマに視線を移す。嘘を吐けない彼女の顔には明らかに“戻りたくない”と書いてあった。それに気づいたようで、寧江の表情が一瞬だけ歪むが、すぐに元通りになって冷気を孕んだ眼差しを霞琳に向けてくる。


「れーほが戻る気にならないのは、張霞琳(この女)のせい?」

「え?」

「なら、張霞琳(この女)がいなくなれば戻るわね?」

「こ、公主様!?」

「寧江。」


 静かに、しかし確実に怒気を滲ませた声色で春雷が制止を掛ける。

 しかし寧江の方は寧ろ春雷の弱点を掴んだと喜ぶように、まるで挑発にも似た言葉を止める気配がない。


「一石二鳥だわ。この人殺しにも、大切な人を失う目を味わわせてやれるようだから。」

「寧江!――そなたが私を恨むのは構わない。だが霞琳殿を巻き込むのは許さない。」

「必要ないわ、許しなんて。」

「公主様!――わ、私は戻りません!霞琳様に何かなさるなら、猶更です!」


 気が弱いルェイホマの珍しく頑なな強い意思表示を受けて、寧江はたじろいだようだった。次いで再度歪んだ顔には悲しみが満ち溢れているようように見受けられたが、それを見せまいとしてか勢いよく身を翻して駆けていく。

 

「寧江!」

「公主様!」


 春雷とルェイホマの声を背に受けながらも足を止めることなく走り去る寧江の姿は直ぐに見えなくなり、二人はほぼ同時に溜息を漏らす。

 一人だけ状況が飲み込めていない霞琳は、申し訳なさげにおずおずと声を掛けた。

 

「あ、あの、今の御方は……?」

「ああ、すまないな、霞琳殿。――あの子は寧江。兄上の娘だ。……私が帝位欲しさに兄上を殺したのだと、そう思い込んでいる。」


 春雷は何でもないような言い方をして瞳を伏せる。

 その些細な仕草に寂しさが宿っているのを見て取り、霞琳は痛ましさを感じて胸を押さえた。


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