運命の邂逅
翌日、張家では密かに客人を迎えていた。先方の意向もあり、飽くまで内々にすべく敢えて正門を通さず、客間も使用しなければ茶の一つも出さない。故に来訪者に気付く使用人すらいないほどの徹底ぶりであった。
己の執務室で客人と対面した燈蓋は、正蓋に相対していた時とは別人であるかのように厳めしい表情を貼り付けて頭を下げる。
「本日はご足労をお掛けいたしました。当主の正蓋とも話ができましたので、保留にさせていただいていた件のご回答をと思いまして。お待たせして大変申し訳ない。」
「いえ、もとはといえば予告もなしにお訪ねした上、厚かましい頼み事をしているのはこちらです。平にご容赦願いたい。」
「お顔をお上げください。勅使とは天子の代理、ならば陛下の権威をも託されていらっしゃるも同然。臣に頭を下げることなどあってはなりません。」
燈蓋は頭を上げ、自分よりも深く頭を垂れている人物に声を掛けた。
忝い、と一言返して面を上げた勅使――徴夏は、その凛とした顔立ちを燈蓋に向けた。毅然と引き締まった表情は微塵も揺るがず、愛想笑いの一つもない。かといって横柄なわけでもない。ただ淡々と、しかし青く燃え盛る熱を秘めた瞳で真っ直ぐ燈蓋を見つめている。
(初めて会った時も思ったが、いやはや、若い割に大した男だね。)
燈蓋はにやつきたくなる心地を胸の奥に押し込めて、尚も威厳に満ちた顔つきを崩さない。元々正蓋と容姿が似ていることもあって、並大抵の人間なら燈蓋のこの仮面に怖じ気づき、直視するのも難しい。思い返せば慶琳も燈蓋の前ではいつも萎縮して顔を俯かせていたものだ。だが、いくらおどおどしていても逃げ出すことは一度もなく、燈蓋は慶琳のその点については内心で高く評価していた。その慶琳が今や優秀な女官長として後宮の改革を進めているというのだから、怯えやすい性格の陰に潜んでいた芯の強さが開花したのだろう。
そういうわけで、厳めしい雰囲気を醸し出す行為は人の性質を見抜くのに非常に有用なので、燈蓋は意識的に活用していた。そして今、徴夏に対しても彼の器を推し量るべく同様の態度を取っている。
本来、勅使というものは謙虚な態度を示すものではないのだが、徴夏は先日用件を言い置いていった時から一貫して丁重な姿勢を崩さない。本当に勅使なのかと疑ったほどなのだが、書状に添えられた印影が確かに皇帝のそれであったため、面喰いながらも信用せざるを得なかった。
では燈蓋の圧に屈するような軟弱者なのかというと、全くそうではない。今現在、傍目にはさぞ険しく見えるはずの燈蓋の眼差しを怯むことなく真正面から受け止め、それどころか堂々と見つめ返してくる。虚勢であるとしてもできすぎだ。かといって上位階級特有の尊大さがあるわけでもなく、真摯に自分と対峙している。こんな若者を、燈蓋は他に知らなかった。
「では改めて、ご返答をいただきたい。」
「ご無礼を承知で、その前に一つ。」
臆することなく話を進めようとする徴夏に対する好奇心から、燈蓋はつい悪癖を覗かせた。この男が相手なら大丈夫だと妙な勘が働いて、覗かせずにはいられなかったのだ。
何か、と言葉にせず眼で促す徴夏の反応を受け、燈蓋は勿体ぶるように一拍置いてから口を開いた。
「お断りしたい――と申し上げたなら、陛下のご意向に沿わぬ私めにはいかなる罰が与えられましょうか。」
「いかなる沙汰もございますまい。」
即答だった。
徴夏の顔は相変わらず涼しい。仕掛けた側でありながら燈蓋の方が一瞬言葉を詰まらせかけたが、そのような素振りはおくびにも出さず、黙ったまま眉間の皺を深くした。この態度から、眼前の若者は燈蓋の心中をどのように解釈するだろうか――そんな愉しみを込めて。
「――して、ご回答は?」
しかし予想に反して、徴夏の反応は再度話を進めようとするのみだった。燈蓋の要求通り会話に一つ付き合ったのだから今度こそ返答を寄越せというように、極めて事務的な対応だ。
勅使という立場上芳しくないはずの仮定の話を聞いても眉一つ動かさず、その仮定を回答と見做すのでもなければ、問いを投げた意図を探りもしない。使命を果たすことしか頭にないかのような振る舞いで、腹の底を覗かせない。
それならばと燈蓋は、こちらも一切の私情を除き去って事実のみで応じることにした。
「お受けいたします。それが正蓋の回答にございます。」
「生憎ですが、こちらは正蓋殿のご返答を求めているのではありません。」
「……と、仰いますと?」
「人材の借用は征西将軍府に影響を及ぼしかねませんから、無論、正蓋殿のご判断は尊重いたします。が、この件は陛下から燈蓋殿への個人的な頼み事――つまり、貴殿のご意向が何より重要なんですよ、燈蓋殿。」
不意に徴夏が笑う。片側の口端を上げて双眸を細めた挑発的なその笑みは、まるで燈蓋の思惑など見通しているとでも言わんばかりの余裕をちらつかせていた。
感情に蓋をしていると思えば勢いよく開け放つ――そのような徴夏の態度は、燈蓋の興味を煽りに煽ってはひらりと躱していくに等しいものであった。これでは態々威風を漂わせたのも、険しい表情を作ったのも、何ら意味がないではないか。
だが燈蓋はこの状況を心底悦び、興奮していることを自覚していた。
(皇帝が逸材なら、やはりその側近も只者じゃあないね。成程、李徴夏は噂以上の傑物と見た。)
人材の発掘を重要視する燈蓋にとって、有能な人物との出会いはなによりも心躍る瞬間であった。
とりわけこの徴夏は、燈蓋の好みに合致していた。眩いまでの才能を惜しげもなく見せつけ、一癖ありそうな気配を漂わせつつも親しみやすさを滲ませている。己の才をよく自覚したうえで意識的に使いこなし、人を惹きつけるタイプだ。
燈蓋も例外ではなく、徴夏に強い関心を抱いた。同時に、自分と同属であるという親近感も湧き上がる。
「はっはは!」
「……燈蓋殿?」
突如気分よく哄笑を上げる燈蓋に、徴夏は流石に驚いた様子を見せた。
だがそんなことなどお構いなしに、燈蓋は心行くまで笑った後、にやにやと髭を撫でつけて口角を持ち上げる。素の性格を他人に見せるのは初めてのことだった。
「いやあ、失礼、失礼。失礼ついでに改まった態度はお互い止めにいたしましょう。貴殿とは腹を割って話したくなってね。臣下に対し命令ではなく頼み事とやらを持ちかけてきなさる陛下も大層な御方ですよ、全く。」
「誉め言葉として受け取っておきましょう。」
「無論、絶賛しておりますよ。その気持ちを態度でお示ししたく。」
「では。」
「ええ、勿論。――ですが一つ、頼みを聞く代わりと言っちゃあなんですが、個人的に(・・・・)お願いがありまして。俺は才能を隠す人間を好かないんですよ。才能ってのは天からの授かりものです。持って生まれた才を発揮しないのは天意に背くも同然だ。どうかこれからは存分に振るっていただきたい、と。」
「……わかった。春雷に伝えておこう。」
二人は目を合わせて頷き合う。癖のある者同士、それだけで十分に通じ合ったのだった。
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「叔父上、やはりこちらにいらしたのですか。政の講義の時間にいらっしゃらないのでお迎えに上がりました。……失礼、お客人とご一緒でしたか。」
「ああ、もう時間だったか。すまぬな、褒琳。客人と盛り上がりすぎてしまった。」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました。して、そちらのお方は?ご挨拶申し上げても宜しいでしょうか。」
一度打ち解けるやすっかり意気投合した燈蓋と徴夏は、互いの思想や現在の政情について時を忘れるほどに語り合っていた。漸く一段落して執務室を出たところで、褒琳と出くわしたのである。
褒琳の言葉を受け、紹介してもよいか、と問うような視線を燈蓋が徴夏に向ける。秘密裏の勅使であるため、素性を明かしてもよいものか判断しかねたのだろう。
徴夏は小さく頷き了承の意を伝えると、自ら一歩進み出て名を告げた。
「褒琳殿には初めてお目にかかる。俺は李徴夏、以後お見知りおきを。」
「李徴夏殿……!」
褒琳は双眸を丸めて復唱する。皇帝の右腕として今をときめく人物が、よもや張家に来訪しているとは夢にも思わなかったのだ。
しかし流石張家の嫡子として恥ずかしくない教育を受けていると見えて、褒琳は直ぐに居住いを正し、拱手して深々と頭を下げた。中央で官職に就いている徴夏に比べ、いかに世に名高き張家の後継者といえども征西将軍府内の職しか得ていない褒琳は圧倒的に目下なのだ。
「ご丁寧なご挨拶痛み入ります。既にご承知のこととお見受けしますが、張正蓋が嫡子、褒琳にございます。徴夏殿にお目に掛かれるとは望外の喜び。以後何卒宜しくお願い申し上げます。」
「――ははっ。成程、褒琳殿は霞琳殿から聞いていた通り礼儀正しく明朗な御仁のようだ。もし不快でなければ、歳も近い者同士、加えて不本意ながら劉司徒の相婿同然という縁もある、堅苦しいのはなしでお付き合いいただけると有難い。いかがか?」
「徴夏殿が宜しいのでしたら、私に否やはございません。」
「それは重畳。とはいえまだまだ固さは抜けないようだが、少しずつ慣れていただければと。」
「承知いたしました。……と申し上げるのも固すぎるでしょうか。」
「そうだな。まあ、徐々にでいいさ。」
若者二人のやり取りを横で眺めていた燈蓋は頻りに髭を撫で付けている。その手元で口許が隠れているお蔭で、感心の息が漏れるのも、にやりと唇の端が上がるのも、他人が見てとることはできなかったろう。
褒琳は身内の目からみても極めて好青年で、征西将軍府においては高い地位にありながら誰に対しても相応の礼を尽くす人物だ。正蓋に対しても、父というより上官に接するがごとき態度を取る。それくらい上下関係を重視しているはずが、徴夏に対しては身分差を気にするよりも親しくなりたい気持ちが勝ったようである。
徴夏からの提案があったとはいえ、普段の褒琳ならこれほど簡単に礼儀を省略することはない。褒琳もまた徴夏に惹かれ、そのペースにすっかり乗せられているのである。
一方の徴夏は感じの良い対応をするなかで、さりげなく、しかしはっきりと、最高実力者といっていい劉司徒を貶した。その豪胆さは称賛に値しよう。
しかも当たり前のようにさらりと口にしたものだから、褒琳も訂正を入れるのを失念したようで、劉司徒の婿になるのが不本意であることを否定していない。張家もまた劉司徒に対し反感を持っていることを簡単に掴まれてしまったといえる。
(……やるねえ、全く。)
燈蓋は緩みそうになる頬を必死に引き締める。これまで数多くの人物を見てきたが、徴夏ほど心踊らせてくれる若者がいただろうか。まるで運命の出会いのようだとまで感じる。
「ところで、褒琳殿も政の講義を受けるのか?張家の嫡男は武を、次男が政を専らにすると聞いていたが……褒琳殿が政まで引き受けねばならないほど、慶琳殿は病状が思わしくないのか。」
徴夏の言葉に空気が固まった。
燈蓋は平静を装っているが、褒琳は表情を固くして口を噤んでしまう。
「……慶琳殿は余程悪いようだな。折角なので挨拶がてら見舞いをしていきたい。霞琳殿にも兄君の様子を伝えたいしな。」
二人の反応から慶琳の病状を推察したらしい徴夏が眉を下げて言葉を続ける。
これは極めて不味い方向だ、と燈蓋は考える。いや、ひょっとすると徴夏は慶琳を心配している風を装って、張家の秘密を暴きにかかっているのではないか。もしくは遠回しに圧力をかけてきているのかもしれない。徴夏が霞琳の正体を知っているのかどうか判断がつかないだけに対応が難しいところである。
いかがいたしましょうか――そう問うてくる褒琳の視線を受けて、燈蓋が進み出た。
「お気持ち、有難くいただきましょう。ですがお見舞いはお控えくださるのが宜しいかと。慶琳の病は感染するものでして。」
「それはどのような病なんだ?」
「西方の風土病とでもいいますか、戎月国以西の人間にとっては風邪のようなものです。ですがこの国では極めて珍しいため、罹ると重症化しやすいものでして。」
「慶琳殿はなぜそのような病に……。」
「この地は西方との行き来が盛んですからな。昔から時折病も運ばれてきて、時折流行り病のようになることもあるのですよ。今回は流行こそしませんでしたが、運悪く慶琳が罹ってしまったというわけで。……悪いことは申し上げません。徴夏殿に感染させるわけにはいきませんから、お見舞いはお気持ちだけ頂戴したく。」
「……わかった。」
何やら考え込んでいたようではあるが、徴夏が頷いたのを見て燈蓋は心の中で安堵する。徴夏の真意はわからぬものの、取り敢えずこの場は凌げたといっていいだろう。
その後、二言三言交わして徴夏は張家を去っていった。
嵐のような来訪者だった、と燈蓋は振り返る。徴夏の才と人柄に心惹かれ、心が通じたと思いきや急所を突かれ、まったく油断も隙もない相手である。だがその緊迫した雰囲気さえも燈蓋にとっては心地よいものであった。徴夏がこれから何を成し遂げてくれるのか、楽しみで仕方がない。
「……あのような方にお仕えしてみたいものです。」
共に徴夏を見送った褒琳が、燈蓋の傍らでぽつりと零す。短時間ですっかり徴夏に心酔してしまったようだ。
褒琳も十分に優秀な若者である。だからこそとでもいうべきか、ここでは褒琳に匹敵する能力を持つ若者がいなかった。同世代のなかには、憧れる相手も、目標にする者も、切磋琢磨する好敵手も、なにも見出すことができなかったのだ。
それが今日、僅かに年長なだけだというのに褒琳を圧倒的に上回る才覚に溢れ、快活な性格に鋭い思考を持ち、都の生まれ育ちで洗練された空気を纏う徴夏に出会った。その刺激はさぞかし大きなものだったのだろう。
張家の嫡男である褒琳は、いずれ征西将軍を継承し皇帝に仕える未来が決まっている。故に徴夏に仕えたいというのは皇帝に対する不忠にあたる問題発言であり、また叶わぬ願いであった。治世とは尊く得難いものだが、主を自らの意志で選べぬ不自由もある。至上の出会いに恵まれながらも立場に縛られた褒琳に深い同情の念を込め、燈蓋は彼の背を軽く叩いたのだった。




